徳川家達と徳川慶喜、明治維新の狭間で揺れた二人の人生とは?明治という激動の時代を駆け抜けた徳川家達と慶喜
江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜。大政奉還という決断の裏には、薩長との対立、列強の脅威、そして自身の複雑な思いがあった。一方、徳川宗家16代当主・家達は、幕末の混乱期を生き抜き、父・慶喜への複雑な感情を抱きながらも、徳川家の再興を目指した。激動の時代を駆け抜けた二人の人生を通して、日本の近代史を読み解く。
💡 徳川家達は幼くして徳川宗家の当主となり、激動の時代を生き抜く。家達の父、徳川慶喜との複雑な関係性にも注目
💡 徳川慶喜の大政奉還の真意と、その後の戊辰戦争。彼の戦略と、歴史的評価について解説。
💡 明治維新という時代の転換期における、徳川慶喜の苦悩と功績、そしてその後の人生を紐解きます。
それではまず、この記事でご紹介する内容を3つのポイントにまとめました。
詳しく見ていきましょう。
家達 複雑な父への思いと新たな時代の挑戦
徳川家達にとって、父・慶喜の存在は?
複雑な感情を抱いていた
家達公爵と慶喜の複雑な親子関係、そして明治維新という激動の時代をどのように生きたのか、その心情に迫ります。

✅ 1867年(慶応3年)に徳川慶喜が政権を朝廷に移譲(大政奉還)したことにより、徳川幕府は260年以上続いた歴史に幕を閉じました。
✅ その後、徳川宗家は16代将軍に徳川家達を迎え、静岡藩を領有することになりました。家達は慶喜の実子ではなく、田安家の出身で、当時わずか4歳でした。
✅ 1871年の廃藩置県を経て、家達は華族となり東京に移住。その後はイギリス留学を経て、公爵に叙せられ、貴族院議員も務めました。また、首相就任要請も受けたことが知られています。
さらに読む ⇒日本文化と今をつなぐウェブマガジン出典/画像元: https://mag.japaaan.com/archives/230711家達は4歳で家督を継ぎ、幼少期に様々な苦難を経験したんですね。
父である慶喜への複雑な思いが印象的です。
徳川家達は、4歳で第16代徳川宗家当主となり、駿府城主に任命されました。
その後、新政府からの様々な困難や圧力に晒されながらも、藩主として知藩事の職務を全うしました。
しかし、幼少期に経験した苦難は彼の心に深い傷跡を残し、特に父である慶喜に対して強い反感を抱いていたようです。
家達自身の言葉からも、慶喜に対する複雑な感情が読み取れます。
家達にとって、慶喜は徳川家を滅ぼした存在であり、自身は徳川家を再興した人物という強い意識を持っていたのでしょう。
そうした複雑な思いを抱えながらも、家達は明治時代という新たな時代を懸命に生き抜いたのです。
興味深いですね。徳川家達の視点から幕末維新を見ることで、今までとは違った歴史の見方ができそうです。
慶喜 大政奉還と複雑な評価
徳川慶喜は幕府をどう終わらせた?
大政奉還で終焉へ
大政奉還は、江戸幕府の終焉を告げる出来事でした。
慶喜の真意、そしてその後の戊辰戦争について掘り下げます。
公開日:2024/10/13

✅ 大政奉還とは、徳川慶喜が朝廷に政権を返還したことであり、実質的には国王のような権力を持っていた征夷大将軍の座を朝廷に返還したことを意味します。
✅ 徳川慶喜は、開国に関する騒動など政治的混乱を背景に、朝廷から討伐されることを恐れ、政権を返還することで生き延びようとしたのではなく、立憲君主制や議会を導入し、天皇の下に武家による議会を作り、その中心に立つことを目指していたと考えられています。
✅ 大政奉還後も薩長と幕府軍の争いは激化し、戊辰戦争へと発展しました。これは、薩長が徳川家の排除を目指していたのに対し、徳川慶喜は天皇の下での政治参加を望んでいたため、両者の間で意見が一致せず、武力衝突に至ったためです。
さらに読む ⇒(武将ジャパン)出典/画像元: https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2024/10/13/106023慶喜は、新しい時代を模索していたんですね。
彼の決断が、その後の日本の歴史に大きな影響を与えたことは間違いないでしょう。
徳川慶喜は、江戸幕府第15代将軍で、日本史上最後の征夷大将軍として知られています。
彼は、弱体化した幕府の存続は不可能と判断し、1867年に大政奉還を行い、260年続いた江戸幕府を終わらせました。
しかし、その後勃発した戊辰戦争では、形勢不利と判断し戦地から退却、幕府側からは裏切り者とみなされました。
慶喜は、幕府側からは裏切り者と見なされる一方で、新しい時代を望む人々からは国内の争いを最小限に抑えた人物として評価されています。
彼の聡明さは、幕府の政策に反映され、明治政府にも影響を与えました。
慶喜は、幕末の出来事について多くを語らなかったため、彼の真意は残された資料や歴史から考察するしかありません。
慶喜は、複雑な立場と行動により、歴史の解釈が一つではないことを示す人物として注目されています。
慶喜さんの評価って、色んな見方があるんですね。歴史って難しいけど、面白いですね!
次のページを読む ⇒
徳川慶喜。大政奉還で幕府終焉へ。激動の時代、苦悩と英断の末路とは? 戊辰戦争、維新後の人生まで克明に描く。歴史的評価を問い直す。