橘則光と清少納言の知られざる夫婦関係とは?枕草子に見る平安貴族の恋愛模様枕草子に描かれた橘則光と清少納言の関係性
平安時代の貴公子、橘則光。清少納言の元夫であり、武勇伝を持つ一方、枕草子ではちょっと抜けた愛されキャラとして描かれるギャップが面白い!性格の不一致で離婚するも、良好な関係を保ち、清少納言を支え続けた。武骨ながらも愛情深い則光と、才色兼備な清少納言。二人の関係は、現代の私たちにも共感できる切なさと温かさにあふれている。
💡 橘則光は、清少納言の元夫で、武勇に優れる一方、風流を解さない側面も。二人の性格の不一致が離婚の原因に。
💡 枕草子には、橘則光の武勇伝や、清少納言とのユーモラスなやり取りが描かれ、多様な側面が垣間見える。
💡 離婚後も良好な関係を保ち、宮中での清少納言の活躍を橘則光は陰ながら応援していた。
それでは、橘則光と清少納言の関係を紐解きながら、彼らの背景や人となりについて詳しく見ていきましょう。
橘則光と清少納言の結婚と離婚
清少納言の元夫、橘則光との関係は?
結婚、離婚後も良好
橘則光と清少納言は結婚後すぐに離婚しましたが、その経緯や、離婚後の関係性について見ていきましょう!。

✅ 清少納言の初夫、橘則光は武勇に優れた人物でしたが、風流典雅とは縁遠い性格で、和歌を詠みかけると絶交する、答えに窮するとワカメを頬張るなど、機転が利かない面もありました。
✅ しかし、彼は勅撰和歌集に和歌が掲載されているほどの歌人でもあり、『金葉和歌集』に一首の和歌を残しています。
✅ この和歌は、陸奥守に任じられ赴任する途中に逢坂関で詠まれたもので、陸奥国までの道のりを梅の花が先に来て出迎えてくれたという、メルヘンな感性を表現しています。
さらに読む ⇒日本文化と今をつなぐウェブマガジン出典/画像元: https://mag.japaaan.com/archives/230246橘則光は歌人としても才能があり、陸奥守として赴任する際に詠んだ歌からは、彼の繊細な一面が伺えますね。
橘則光は、平安時代中期に活躍した男性貴族で、枕草子の作者である清少納言の元夫として知られています。
天元4年(981年)頃に結婚し、翌年には長男を授かりましたが、正暦2年(991年)に離婚しました。
離婚理由は性格の不一致とされ、橘則光は体育会系、清少納言はインテリ系と、根本的に思考が違っていたとされています。
しかし、離婚後も良好な関係を保ち、交流は続いていました。
なるほど、橘則光は武骨なイメージがありましたが、歌人としての顔もあったんですね!そのギャップが面白いです。
橘則光の武勇伝と枕草子における描写
橘則光はどんな人物だった?
武勇と鈍感の両面
橘則光は清少納言にとって歌を詠んでくれない夫として描かれているんですね。
現代にも通じるような悩みですね!。
公開日:2016/11/15

✅ 清少納言の夫、橘則光は、歌が嫌いで、才気煥発とは程遠い人物だった。清少納言は、則光が宰相の中将に自分の居場所を教えようと苦しんでいる場面を面白がり、昆布を口いっぱいに詰めてごまかすなど、お茶目な一面を見せている。
✅ 則光は歌を送ってくることを嫌い、清少納言との関係は次第に悪化し、最終的に疎遠になってしまった。
✅ 清少納言は、イケメンの説経師でなければ、説経の内容も頭に入らないと述べており、千年前から男性の容姿は重要視されていたことがわかる。当時のハンサムは、白くて下膨れ気味が好まれたという。
さらに読む ⇒らんどくなんでもかんでもR出典/画像元: https://motanmozo.hatenablog.com/entry/2016/11/15/180110清少納言は則光の鈍感さを面白がっていたんですね。
現代のSNSで炎上しそうなエピソードも、面白いですね。
橘則光は武勇に優れた人物としても知られています。
今昔物語集には、彼が夜中に宿直所を抜け出して女性のもとへ行く途中、盗賊3人を一人で斬り伏せるという武勇伝が収録されています。
このエピソードは、橘則光が剣術に長けた豪傑であったことを物語っています。
一方、元妻の清少納言が書いた枕草子では、橘則光は武勇伝とは異なる、ちょっと鈍感で無邪気な人物として描かれています。
橘則光は武勇伝もあるんですね!枕草子とのギャップがまた面白いです。でも、平安時代のイケメンって…想像できませんね!
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『枕草子』に描かれた橘則光と清少納言の切ない恋。不器用な夫と才媛の妻、二人の関係は、機知と鈍感さ、そして別れへの和歌で彩られる。