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赤染衛門ってどんな人?~歌と愛と家族、平安時代を駆け抜けた女性歌人の生涯とは?赤染衛門:歌人、良妻賢母、そして女性

平安歌壇を彩った才媛、赤染衛門。夫への深い愛情と息子への献身、そして紫式部も認めた歌才。百人一首にも選ばれた歌「やすらはで寝なましものを」に込められた、切なくも美しい恋心。華やかな宮廷社会で、良妻賢母として、歌人として、凛と生きた彼女の生涯を紐解きます。

歌人としての赤染衛門

赤染衛門の歌はどんな評価を受けていた?

格調高く、上品と評価された

この章では、赤染衛門がどのような歌を詠んだのか、そして紫式部が彼女の歌をどう評価したのか、見ていきましょう。

和泉式部、赤染衛門、清少納言を紫式部はどう評した?ライバルたちをめぐる辛口批評と評判を呼んだ『源氏物語』木村朗子『紫式部と男たち』(文春新書)より
和泉式部、赤染衛門、清少納言を紫式部はどう評した?ライバルたちをめぐる辛口批評と評判を呼んだ『源氏物語』木村朗子『紫式部と男たち』(文春新書)より

✅ 「紫式部日記」から、紫式部が和泉式部、赤染衛門、清少納言の3人の女性について辛口批評している箇所が紹介されています。

✅ 和泉式部については、和歌の才能はあるものの、歌を批評したり教えるような役には向いていないと評しています。赤染衛門については、優れた作品があるものの、詠み散らかすようなことはないと評しています。

✅ 清少納言については、漢字を書き散らすものの、実際は至らない点が多いと評し、人とは違うことを見せようとする姿は、最終的には良くない結果に終わるだろうと述べています。

さらに読む ⇒本の話~読者と作家を結ぶリボンのようなウェブメディア~出典/画像元: https://books.bunshun.jp/articles/-/9224

紫式部の辛口批評は面白いですね。

赤染衛門の歌が、当時の価値観の中でどのように評価されていたのかが分かります。

赤染衛門は優れた歌人としても知られており、紫式部の日記『紫式部日記』には、彼女の歌の技量について批評が記されています。

紫式部は赤染衛門の歌風について、格調高く、下手に歌を詠まない、上品な歌だと評しています

しかし、一方で「腰が離れそうな(和歌の上句と下句がちぐはぐな)歌」と評し、少し辛辣な意見も述べています。

これは、赤染衛門の歌が、当時の基準では少し保守的な印象を与えたためかもしれません。

紫式部の評価は、少し辛口ながらも的を射ていますね。赤染衛門の歌が、どのように受け止められていたのか、興味深いです。

同時代の女性たちとの関係

赤染衛門はどんな女性だった?

夫を愛する才女

この章では、赤染衛門と、同時代に活躍した女性たちとの関係について見ていきます。

痛烈批判あれば大絶賛も…紫式部は、清少納言・和泉式部・赤染衛門をどう評価したのか?【後編】
痛烈批判あれば大絶賛も…紫式部は、清少納言・和泉式部・赤染衛門をどう評価したのか?【後編】

✅ 紫式部は、和泉式部を「感心できない面もあるが、文才があり、何気ない言葉遣いに色つやが見える。歌には趣がある」と評していました。

✅ 和泉式部は、当時の評判は芳しくなく、「浮かれ女」と呼ばれていましたが、紫式部は彼女の文才を認めていたことがわかります。

✅ 和泉式部は、多くの男性を虜にする魅力と文才に溢れた人物であり、勅撰集に200首以上の歌が選ばれる歌人として、また『和泉式部日記』の著者としても知られています。

さらに読む ⇒日本文化と今をつなぐウェブマガジン出典/画像元: https://mag.japaaan.com/archives/224761

紫式部の日記から、当時の女性たちの関係性が垣間見えて面白いですね。

それぞれの価値観の違いも興味深いです。

赤染衛門は、紫式部、清少納言、和泉式部といった当時の著名な女性たちと交流していました。

紫式部とは、宮中で共に一条天皇の中宮、彰子に仕えていました。

紫式部は日記の中で、赤染衛門を「匡衡衛門」と呼び、夫の匡衡への愛情深さや、本格的な和歌の腕前を高く評価していました

清少納言とは、宮中で異なる上司に仕えていたものの、宮廷を離れた後も交流があったと考えられます。

赤染衛門の和歌には、清少納言の動向を詠んだ作品があり、二人の関係を示唆しています。

和泉式部とは、直接的な関係は不明ですが、紫式部と清少納言といった同時代の女性たちと比較されることが多い人物です。

赤染衛門は、情熱的な恋多き女性として知られる和泉式部とは対照的に、落ち着きのある上品な和歌を詠む、夫を深く愛する女性だったと考えられます。

紫式部の日記を通して、当時の女性たちの関係性や価値観の違いがよくわかりました。赤染衛門の人となりがより深く理解できました。

赤染衛門の代表作品

赤染衛門は何の才能で知られていましたか?

優れた歌人

この章では、赤染衛門の代表作品について、その歌に込められた想いや背景と共に解説します。

やすらはてねなましものをさよふけて赤染衛門

公開日:2020/10/19

やすらはてねなましものをさよふけて赤染衛門

✅ この歌は、恋人を夜通し待ち続けたものの、結局来なかったという切ない思いを歌っています。

✅ 歌の背景には、赤染衛門の姉妹が恋人の藤原道隆にデートをすっぽかされたという状況があり、赤染衛門が姉妹の代わりにその気持ちを代弁しています。

✅ 赤染衛門は、平安時代のキャリアウーマンとして知られており、皇族の教育係りとして活躍した後、大江匡衝と結婚し、良妻賢母として過ごしたことが紹介されています。

さらに読む ⇒レッツ百人一首出典/画像元: https://hyakuninisshu.net/uta_059/

百人一首にも選ばれた歌の背景を知ると、また違った印象を受けますね。

赤染衛門の心情が伝わってきます。

赤染衛門は、藤原道長の正妻である倫子や、その娘である彰子の女房として仕え、優れた歌人として活躍しました。

彼女の代表作として、小倉百人一首にも選ばれている「やすらはで寝なましものをさよふけて傾(かたぶ)くまでの月を見しかな」という歌があります。

この歌は、道長の兄である藤原道隆が赤染衛門の姉妹に会いに来ることを約束しながらも、来なかったことから、待ち焦がれる姉妹の心情を代弁して詠まれたものです

赤染衛門は、他にも「代らむと思ふ命は惜しからでさても別れむほどぞ悲しき」や「我が宿の松はしるしもなかりけり杉むらならばたづね来なまし」など、数々の名歌を残しています。

これらの歌からは、赤染衛門の深い愛情や知性を感じることができます。

百人一首に選ばれている歌の背景を知ることができ、大変勉強になりました。赤染衛門の歌に対する理解が深まりました。

赤染衛門の波乱万丈な生涯と、彼女の残した歌を通して、平安時代の女性たちの生き方を知ることができました。

🚩 結論!

💡 赤染衛門は、歌人としてだけでなく、良妻賢母としても生きた、多才な女性でした。

💡 彼女の歌は、百人一首にも選ばれ、現代にもその想いが伝えられています。

💡 赤染衛門の生涯を通して、平安時代の女性たちの生き方や価値観を知ることができました。