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赤染衛門ってどんな人?~歌と愛と家族、平安時代を駆け抜けた女性歌人の生涯とは?赤染衛門:歌人、良妻賢母、そして女性

平安歌壇を彩った才媛、赤染衛門。夫への深い愛情と息子への献身、そして紫式部も認めた歌才。百人一首にも選ばれた歌「やすらはで寝なましものを」に込められた、切なくも美しい恋心。華やかな宮廷社会で、良妻賢母として、歌人として、凛と生きた彼女の生涯を紐解きます。

赤染衛門ってどんな人?~歌と愛と家族、平安時代を駆け抜けた女性歌人の生涯とは?赤染衛門:歌人、良妻賢母、そして女性

📘 この記事で分かる事!

💡 平安時代の女流歌人、赤染衛門は、歌人としての才能だけでなく、良妻賢母としても知られていました。

💡 百人一首にも選ばれた「やすらはで寝なましものを」の歌に込められた、赤染衛門の想いを紐解きます。

💡 赤染衛門の夫である大江匡衡との夫婦愛や、紫式部、清少納言との交流についても触れていきます。

赤染衛門の生涯、歌人としての評価、そして家族との関係について、さらに詳しく見ていきましょう。

赤染衛門の生涯

赤染衛門はどんな人物?

平安時代の歌人

この章では、赤染衛門の生い立ちと、彼女の代表作である「やすらはで寝なましものを」について解説します。

赤染衛門の百人一首「やすらはで〜」の意味や背景とは?

公開日:2024/07/04

赤染衛門の百人一首「やすらはで〜」の意味や背景とは?

✅ この記事では、平安時代の女流歌人である赤染衛門が詠んだ「やすらはで〜」という百人一首の歌について解説しています。

✅ 記事では、この歌が生まれた背景として、赤染衛門の姉が藤原道隆との約束を破られた際に詠んだ歌であると紹介し、当時の「通い婚」という慣習と、男性の訪問が女性にとって重要であったことを説明しています。

✅ さらに、赤染衛門が詠んだ他の有名な歌として、「代らむと〜」と「我が宿の〜」を紹介し、それぞれの歌に込められた赤染衛門の思いや、当時の社会状況などを解説しています。

さらに読む ⇒サライ|小学館の雑誌『サライ』公式サイト出典/画像元: https://serai.jp/hobby/1179794

赤染衛門の生きた時代背景や、彼女の歌が生まれたエピソードは、とても興味深いですね。

当時の恋愛事情も垣間見えます。

赤染衛門は、平安時代中期を代表する女性の一人で、実名不詳ながら、歌人としての評価も高く、和歌が百人一首に選ばれています。

彼女は天暦10年(956年)頃に赤染時用の娘として生まれ、父親の官職である「衛門」を合わせた「赤染衛門」という女房名で呼ばれていました

貞元年間(976~978年)に文章博士の大江匡衡と結婚し、仲睦まじい夫婦として知られていました。

夫の官位が尾張守になると共に現地へ赴き、息子である大江挙周の和泉守への任官にも尽力しました。

夫の死後も女流歌人として活躍し、藤原頼通や藤原生子の歌合に出場するなど、80歳以上の長寿を全うしたとされています。

当時の結婚事情や赤染衛門の生い立ちが詳しく解説されていて、大変興味深かったです。特に、通い婚という習慣は初めて知りました。

良妻賢母としての赤染衛門

赤染衛門はどんな女性だった?

良妻賢母

この章では、赤染衛門が良妻賢母としてどのように生きたのか、具体的に見ていきましょう。

赤染衛門「光る君へ」人物事典

公開日:2024/10/22

赤染衛門「光る君へ」人物事典

✅ 赤染衛門は、藤原道長と一条天皇の妻である彰子に仕えた女流歌人であり、文学好きな紫式部とも交流がありました。中古三十六歌仙の一人に選ばれた歌人であり、夫の匡衡への愛情が深く、道長や彰子から「匡衡衛門」と呼ばれていたそうです。

✅ 赤染衛門は、夫の匡衡と共に様々な役所に赴任し、閨房に能力を全振りする姿が描かれています。夫の匡衡の仕事のサポートを行い、時にはアドバイスもしていたようです。また、紫式部と良好な関係を築き、あかね(和泉式部)とは意外にも気が合っていたことがドラマで描かれています。

✅ 赤染衛門は、夫の匡衡の死後、出家したとされています。その後も歌人として活躍し、倫子の七十賀屏風歌や賀陽院水閣歌合、弘徽殿女御十番歌合などに参加した記録が残っています。

さらに読む ⇒出典/画像元: https://www.onestep-mugi.com/post/hikarukimie_akazomeemon01

夫の匡衡を支え、息子を思う赤染衛門の姿は、現代にも通じるものがありますね。

紫式部との関係も興味深いです。

赤染衛門は、良妻賢母として知られており、夫である大江匡衡への愛情深さや、息子である大江挙周の官位への昇進に尽力したことが、紫式部の日記『紫式部日記』に記されています。

また、赤染衛門は、夫の昇進を願って藤原道長ら権力者に働きかけ、息子の出世を助けるなど、周囲からの信頼も厚かったようです。

このような彼女の行動は、彼女が良妻賢母として安定した生活を送っていたことを示唆しています。

良妻賢母としての彼女の姿がよくわかりました。夫を支え、息子を思う気持ちは、時代を超えて共感できますね。

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紫式部も認めた歌人、赤染衛門。上品な歌風と、夫への深い愛情が魅力。百人一首にも選ばれた名歌で、その才を感じて。