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即身仏(ミイラ)とは?その違いや現代的意義について!(?)即身仏の過酷な修行と信仰、そして現代社会との繋がり

自らの命を捧げ、仏を目指した即身仏。過酷な修行を経てミイラとなった彼らの姿は、死への畏怖を超え、より良く生きる意味を問いかける。飢餓や病に苦しむ人々を救済するため命を懸けた僧侶たちの姿、その信仰と精神を伝える。湯殿山、求菩提山を巡る旅を通して、即身仏の奥深さに迫る。

即身仏(ミイラ)とは?その違いや現代的意義について!(?)即身仏の過酷な修行と信仰、そして現代社会との繋がり

📘 この記事で分かる事!

💡 即身仏とは、厳しい修行の末に自らミイラとなった僧侶のこと。

💡 即身仏とミイラの違いは、その目的と過程にあり、前者は仏になることを目指す。

💡 即身仏は、現代社会においても死生観や生き方を考える上で示唆に富む存在。

本日は即身仏について、その定義から始まり、修行、そして現代における意味合いまでを掘り下げていきます。

どうぞ最後までお付き合いください。

死を超越する仏たち

即身仏とは?どんな存在?その目的は?

自らの命を捧げた仏。人々を救済するため。

即身仏とは、飢餓や病から人々を救うために、自ら仏となることを目指した僧侶のことです。

彼らは、厳しい修行を経てミイラとなりました。

即身仏が語りかけるもの
即身仏が語りかけるもの

✅ 即身仏は、飢饉や病の苦しみから人々を救うために自ら仏となった方々であり、厳しい修行を経て実現した存在である。

✅ 即身仏になるための修行は、木の実や山草のみを食する「木食修行」と、土中で断食し続ける「土中入定」の2つがあり、ミイラとは異なり人工的な処理は施されていない。

✅ 山岳信仰の聖地である湯殿山は、即身仏の修行場であり、厳しい環境下で修行が行われていた。

さらに読む ⇒ 山形県の公式観光・旅行情報サイト出典/画像元: https://yamagatakanko.com/sokushinbutsu

即身仏になるための修行は過酷を極め、その精神力には感銘を受けます。

木食修行や土中入定など、想像を絶する苦行だったことでしょう。

かつて、人々の幸せを願い、自らの命を捧げて仏となった「即身仏」と呼ばれる存在がいました。

彼らは、厳しい修行を経てミイラとなり、今もなお、私達に様々なことを語りかけています。

即身仏は、飢餓や病に苦しむ人々を救済するために自ら命を捧げた僧侶の姿であり、その多くは、真言宗系の僧侶が肉体のまま仏となることを目指し、過酷な修行を経てミイラ化したものです。

即身仏となる過程は、まず「木食行」と呼ばれる食事制限による肉体のミイラ化、地下の密閉空間での瞑想、そして死後3年を経て安置されるというものでした。

日本最古の即身仏は室町時代のもので、江戸時代に信仰が盛んになり、全国に20〜30体存在したとされています。

彼らは、生きたまま土中に埋葬される「土中入定」を経て即身仏になったと伝えられています。

即身仏という言葉は知っていましたが、その詳細な過程については初めて知りました。大変興味深いです。ありがとうございます。

即身仏への道:過酷な修行と信仰

即身仏になる修行、一番キツい段階は何?

土中入定!断食と読経を3年3ヶ月!

即身仏となるためには、過酷な修行と信仰が不可欠でした。

ここでは、その具体的な修行内容や、即身仏が祀られている場所について解説します。

観音寺 仏海上人即身仏

公開日:2024/09/15

観音寺 仏海上人即身仏

✅ 観音寺には、日本最後の即身仏と言われる仏海上人の即身物が安置されている。上人は生前に入定の準備をしていたが、法規制により死後に入定することとなった。

✅ 即身仏は30年後に掘り出される予定だったが、墳墓発掘禁止令により遅延し、昭和36年に発掘調査という名目で掘り出された。しかし、保存状態は良くなく、修復後に安置された。

✅ 観音寺には振袖地蔵と呼ばれる地蔵があり、ある六部が若い女性の幽霊から受け取った着物の袖を元に建立されたという伝承がある。

さらに読む ⇒ 日本最後の即身仏の寺出典/画像元: https://japanmystery.com/niigata/kannonji.html

即身仏になるための修行は、想像を絶するものでした。

土中で3年3ヶ月も過ごすというのは、現代人には考えられないことです。

即身仏となるための修行は苛烈を極めました。

食事を制限し、体を清める「木食行」から始まり、座禅を組みながら土中に埋められる「土中入定」へと進みます。

土中では、断食と読経を続け、3年3ヶ月後に掘り起こされます。

体が残っていれば即身仏として寺院に祀られましたが、失敗すれば白骨化したり腐敗したりし、無縁仏として葬られることもありました。

代表的な即身仏として、湯殿山注連寺の鉄門海や、新潟県村上市の観音寺に安置されている佛海上人が挙げられます。

彼らは、自らの命を犠牲にして人々の苦しみを受け入れ、仏となることを目指しました。

鉄門海上人は、過去の過ちを反省し、社会事業や布教活動に尽力。

一方、佛海上人は、木食行や土中入定といった過酷な修行を行い、未来を見通す力など不思議な力を持っていたと伝えられています。

即身仏になるための修行は本当に過酷ですね。信仰の力というのは、本当にすごいものだと感じました。

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ミイラと違う!自ら仏を目指した即身仏。死の恐怖を乗り越え、今を生きる勇気をくれる。過酷な修行と信仰の記録、その姿に心揺さぶられる。