総力戦研究所とは?日本を破滅に導いた組織の真実とは?(戦前、開戦、シミュレーション?)開戦回避を提言した組織と、無視された提言
1940年、日本は日米開戦をシミュレーションし、"国力上、日本必敗"という結論に至った。内閣直轄の総力戦研究所は、軍事、経済、社会など多角的に分析。しかし、その警告は軍部に無視され、結果的に日本の敗戦を招いた。客観的データより精神論が優先された悲劇。未来を読み解く知性と、都合の悪い真実を直視する勇気。現代社会にも通じる教訓がそこにある。
💡 総力戦研究所は、日米開戦を多角的に分析し、その結果を近衛文麿内閣に報告するために設立されました。
💡 「模擬内閣」による開戦シミュレーションを行い、長期戦による日本の敗北を予測し、開戦回避を提言しました。
💡 しかし、その提言は当時の軍部指導者には受け入れられず、結果的に日本は破滅への道を歩むこととなりました。
今回は、日本が第二次世界大戦(太平洋戦争)開戦前に設立した「総力戦研究所」に焦点を当て、その活動と、なぜ開戦という道を選んだのかを解説していきます。
総力戦研究所の誕生
日本が総力戦体制へ向けて設立した組織は?
総力戦研究所。日米開戦を分析。
1940年、日本は総力戦体制に向けて、内閣総理大臣直轄の「総力戦研究所」を設立しました。
優秀な人材を集め、将来のリーダー育成を目指しました。
公開日:2023/06/15

✅ 昭和16年夏、政府・軍部内で対米開戦を「不可」と予想する動きがあったが、日本は破滅への道を選んだ。
✅ 陸軍省戦争経済研究班や総力戦研究所の模擬内閣は、日米の国力差や長期戦の負担から「日本必敗」と予測していた。
✅ しかし、当時の指導者たちは「意外性」を重視し、机上論に過ぎないとして、開戦への道を突き進んだ。
さらに読む ⇒読売新聞オンライン : ニュース&お得サイト出典/画像元: https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20220815-OYT8T50056/開戦前に、国家のあらゆる側面を考慮した分析を行っていたことは驚きです。
優秀な人材を集め、将来のリーダー育成を目指していたという点も興味深いですね。
1940年、日本は総力戦体制に向けた準備として、内閣総理大臣直轄の「総力戦研究所」を設立しました。
この研究所は、日米開戦の可能性を多角的に分析し、その結果を近衛文麿内閣に報告することを目的としていました。
軍事、外交、経済、社会など、国家のあらゆる側面を考慮した分析が行われ、優秀な人材が集められました。
彼らは、将来のリーダーとなることを期待され、35歳までの年齢制限が設けられました。
総力戦研究所の設立背景について、非常に興味深いですね。開戦を回避するための組織があったとは、驚きです。当時の日本の状況を深く知る第一歩になりそうです。
「模擬内閣」と開戦回避の提言
日米開戦シミュレーション、日本は勝てなかった?
長期戦で、日本は「必敗」という結論。
総力戦研究所は、日米開戦を想定したシミュレーションを実施し、長期戦における日本の敗北を予測しました。
その結果は、首相官邸に報告されました。
公開日:2024/09/08

✅ 総力戦研究所は、日米開戦を想定した机上演習を行い、長期戦による日本の敗北を予測する結論を導き出した。
✅ 研究結果は首相官邸で近衛文麿首相や東条英機陸相らに報告されたが、東条は結果を口外しないよう指示した。
✅ この机上演習は、開戦の3ヶ月前に行われ、現実の日米戦争の戦局とほぼ合致する結果を示した。
さらに読む ⇒ホリショウのあれこれ文筆庫出典/画像元: https://hhrrggtt38518.hatenablog.com/entry/2024/09/09/061258シミュレーションで日本の敗北を予測していたにも関わらず、開戦へと進んだという事実に衝撃を受けます。
なぜ、その提言が受け入れられなかったのか、理解を深めたいです。
総力戦研究所は、日米開戦を想定したシミュレーションを複数回実施しました。
その中でも、特に注目すべきは「模擬内閣」によるシミュレーションです。
1941年夏に実施されたこのシミュレーションでは、石油資源獲得のため南方に侵攻し、長期的な対米消耗戦に陥った場合を想定。
詳細なデータと分析の結果、「国力上、日本必敗」という結論に至りました。
この結論は、開戦直前の8月末に首相官邸で東条英機陸相に報告されました。
当時の日本が、すでに敗北を予測していたという事実は、衝撃的ですね。なぜ開戦を回避できなかったのか、その背景が気になります。とても興味深い内容です!
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総力戦研究所の悲劇。軍部は現実を無視し、机上の空論を退けた。現代にも通じる教訓とは?過去から学び、国家戦略を練れ!