江戸時代の消防組織の変遷?消防組織の誕生から町火消の活躍まで江戸の火災と消防の歴史
江戸の町を焼き尽くす火災から人々を守った、勇猛果敢な消防士たち「火消し」。木造密集地帯で頻発する火災に対抗するため、幕府は組織的な消防体制を構築。大名火消の失敗を経て、定火消と町火消が誕生。華麗な衣装に身を包み、鳶口を手に火災と戦う彼らの姿は、まさに江戸のヒーロー!消火技術や情報伝達の工夫は、現代消防の礎となった。熱き魂と技術が織りなす、江戸消防の歴史を紐解こう!
町人による消防組織「町火消」の誕生
江戸の火消し「町火消」とは?どんな組織?
町人が作った消防組織。大岡忠相が創設。
町人による消防組織「町火消」の誕生は、江戸の消防史において重要な出来事です。
町火消は、どのようにして生まれ、どのような役割を果たしたのでしょうか?。
公開日:2024/12/16

✅ 1720年9月9日、江戸幕府は江戸の町火消を「いろは47組」に再編成し、各町が火消人足を用意して消火活動を行う制度を導入しました。
✅ 町火消は町奉行の支配下に置かれ、各組は独自の纏や幟をシンボルとしていました。また、火消たちは危険を顧みない勇敢さと人命救助で江戸の人々から親しまれました。
✅ 大岡越前守忠相の主導による町火消の制度化は、町民の自警意識を高め、江戸の活力の一部となりましたが、組同士の功名争いや喧嘩も発生しました。
さらに読む ⇒WEB歴史街道出典/画像元: https://rekishikaido.php.co.jp/detail/4180町人による消防組織「町火消」の誕生は、画期的な出来事ですね。
町民の自警意識が高まり、江戸の防災に貢献しました。
大岡越前守の功績ですね。
町人による消防組織の設立も進みました。
南町奉行の大岡忠相は、町人による消防組織「町火消」を享保3年(1718年)に創設。
「いろは48組」を筆頭に、本所・深川を含め64組で構成され、町人たちの火災からの保護に貢献しました。
町火消は、建設現場などで働く人々が隊員となり、鳶口やまさかりを使用し、建物を壊して延焼を防ぐことが主な任務でした。
消火方法は、延焼を防ぐために周囲の家屋を取り壊す「破壊消防」が中心で、竜吐水や桶での消火活動も行われました。
町火消は、町の人々が自分たちの手で町を守ろうとした結果生まれた組織なのですね。とても興味深いです。
火消たちの活躍と消火活動
江戸の火消し、激しい縄張り争い!何を使って消火?
半纏、とび口、大のこ。纏を上げて消火!
火消たちの活躍は、江戸の人々の心を捉え、様々な逸話を生み出しました。
火消たちは、どのようにして火災と戦い、人々の生活を守ったのでしょうか?。

✅ 「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉に象徴される江戸の気質を表すように、町火消は人々の憧れの的であり、新門辰五郎は、町火消、侠客、将軍の友人として幕末を駆け抜けた。
✅ 新門辰五郎は幼少期の火事がきっかけで火消を志し、養父の組頭の養子となり、のちに組頭に就任。大名火消との喧嘩で名を上げ、24歳で「を組」の組頭となった。
✅ 十番組の頭取となり、浅草寺の掃除方を拝命し、浅草寺境内や奥山での商売を取り締まる役割も担うようになり、「新門の親方」「新門辰五郎」と呼ばれるようになった。
さらに読む ⇒和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!出典/画像元: https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/139184/火消たちの勇ましい姿は、人々の憧れの的だったのでしょうね。
新門辰五郎のような人物がいたことも興味深いです。
火消たちは、各組を識別するため、様々な工夫を凝らした衣装を着用し、派手な装飾が施されました。
消火活動では、どの組が早く消火口を確保し、纏(まとい)を上げるかも重要であり、縄張り争いも発生しました。
半纏を着用し、火の粉から身を守り、「とび口」や「大のこ」などの道具を使用し、消火活動を行いました。
また、火事が起きた場所を示すために「まとい」が使用されました。
火の見櫓の半鐘の鳴らし方で火事の規模や場所が示され、現代の消防にも引き継がれています。
消火活動は、主に土木工事や建築の職人であるとび職人によって担われていました。
代表的な火消しとして「新門辰五郎」が知られています。
そうですね、火消たちの服装や纏のデザインは、粋でかっこよかったでしょうね。新門辰五郎のような人物がいたことも、彼らの活躍をより魅力的にしていますね。
江戸の消防のレガシー
江戸の消防、何が現代の消防の基礎を築いた?
組織、技術、広報、消火道具の工夫。
江戸の消防の歴史は、現代の消防にどのような影響を与えたのでしょうか。
江戸の消防が残したレガシーについて見ていきましょう。
公開日:2019/10/12

✅ 江戸時代は火事が頻繁に発生し、最初の消防組織は機能不全に陥ったものの、将軍による改革や「大名火消」の設立など組織強化の試みがなされた。
✅ 大名火消は、装束や挨拶に時間を費やすなど問題が多く、加賀鳶のような私設消防団が活躍する一方、1657年の「明暦の大火」を機に、専門組織「定火消」が強化された。
✅ 強化された「定火消」は火消屋敷を設け、火の見櫓や消火のプロである「臥煙」を配置するなど、現代の消防署の原型となる組織へと発展した。
さらに読む ⇒江戸ガイド | 画像と名言、年表で人物を身近に。江戸がわかる総合サイト | 江戸ガイド出典/画像元: https://edo-g.com/blog/2016/02/hikeshi.html江戸の消防は、現代の消防の基礎を築いたと言えるでしょう。
初期の組織から、専門組織、町人による組織へと発展していく過程は、興味深いですね。
江戸の消防の歴史は、初期の「奉書火消」や、加賀藩の「加賀鳶」のような私設消防団の存在から始まり、大規模な火災への対策として、組織と技術の両面で発展を遂げました。
消火活動だけでなく、火災の規模や場所を知らせる方法、そして消火道具の工夫など、江戸時代の消防は、現代の消防の基礎を築きました。
日本史の学習においては、用語を覚えるだけでなく、それぞれの用語が生まれた背景や経緯、そしてそれらのつながりを理解することが重要です。
こうして、江戸の人々を守るヒーロー「火消し」たちの奮闘が、江戸の町を火災から守り、その後の日本の消防の発展に大きく貢献しました。
江戸の消防の歴史は、単なる過去の出来事ではなく、現代の消防の礎を築いた重要な歴史だったんですね。とても勉強になりました。
本日は江戸時代の消防組織の変遷についてご紹介しました。
初期の組織から、町火消の活躍まで、人々の暮らしを守るための様々な工夫があったことが分かりました。
💡 初期の消防組織は未整備だったが、大名火消などが作られた。
💡 明暦の大火を機に、専門の消防組織「定火消」が設置された。
💡 町人による消防組織「町火消」の誕生は、江戸の消防史において重要である。