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江戸時代の消防組織の変遷?消防組織の誕生から町火消の活躍まで江戸の火災と消防の歴史

江戸の町を焼き尽くす火災から人々を守った、勇猛果敢な消防士たち「火消し」。木造密集地帯で頻発する火災に対抗するため、幕府は組織的な消防体制を構築。大名火消の失敗を経て、定火消と町火消が誕生。華麗な衣装に身を包み、鳶口を手に火災と戦う彼らの姿は、まさに江戸のヒーロー!消火技術や情報伝達の工夫は、現代消防の礎となった。熱き魂と技術が織りなす、江戸消防の歴史を紐解こう!

江戸時代の消防組織の変遷?消防組織の誕生から町火消の活躍まで江戸の火災と消防の歴史

📘 この記事で分かる事!

💡 江戸時代は火災が多く発生し、初期の消防組織は未整備だった。

💡 徳川家光によって、江戸城や武士の家を守る「奉書火消」や「大名火消」が作られた。

💡 明暦の大火をきっかけに、幕府は本格的な消防組織を整備し、「定火消」が設置された。

今回は、江戸時代の消防組織の歴史を紐解き、人々の暮らしを守った消防士たちの活躍に迫ります。

火災多発の背景、初期の消防組織の試み、そして町火消の誕生まで、詳しく見ていきましょう。

火災頻発と初期の消防組織の試み

江戸の火事はなぜ頻発?原因と対策は?

木造密集と消火体制の課題。大名火消も形骸化。

江戸時代、火災は頻繁に発生し、人々の生活を脅かしていました。

初期の消防組織は未整備で、消火活動は困難を極めました。

どのような組織が作られたのでしょうか?。

お江戸の火事対策。どのような消防組織が作られたのか?【その1】
お江戸の火事対策。どのような消防組織が作られたのか?【その1】

✅ 江戸時代には火事が多発し、初期は消防組織が未整備だった。

✅ 徳川家光により、まず江戸城や武士の家を守るための「奉書火消」や「大名火消」が作られた。

✅ 「大名火消」は、大名16人を指名して組織されたもので、後の消防組織のルーツとなった。

さらに読む ⇒日本文化と今をつなぐウェブマガジン - Japaaan出典/画像元: https://mag.japaaan.com/archives/203146

初期の消防組織は、大名火消などがありましたが、組織としての機能は十分ではありませんでした。

大名のプライドや装束による遅れがあったと聞きます。

大変だったのでしょうね。

江戸時代、頻繁に発生する火災は人々の生活を脅かしていました。

「火事とけんかは江戸の華」という言葉が示すように、火災は江戸の日常の一部でした。

木造家屋の密集と燃えやすい屋根材の使用が、火災の拡大を助長していました。

初期には、徳川家光によって大名が消火活動を行う「大名火消」が設置されましたが、大名のプライドや装束による遅延などから十分な成果を上げられませんでした。

また、寛永11年(1643年)には、大名自らが人員を率いて消火活動を行う「大名火消」が設置され、京橋桶町での大火(桶町火事)がきっかけとなった。

しかし、時代が下ると大名火消は形骸化し、衣装を飾り立てるなど、本来の目的から逸脱するようになった。

なるほど、大名火消は、大名のプライドが邪魔をして、機能不全を起こしていたんですね。興味深いですね。

明暦の大火と消防体制の強化

江戸を焼き尽くした大火後、幕府が整備したものは?

専門消防組織「定火消」と消火専門家

明暦の大火は、江戸の都市構造が抱える問題点を浮き彫りにし、消防体制の強化を促しました。

この大火災が、江戸の消防組織にどのような影響を与えたのでしょうか?。

明暦の大火
明暦の大火

✅ 明暦の大火は、1657年に江戸の広範囲を焼き尽くした大火災で、本郷、小石川、麹町の3箇所から連続して出火したことが特徴です。

✅ 江戸城や市街地の大部分が焼失し、死者は3万から10万人に上り、江戸時代最大の被害をもたらしました。

✅ 火災後、幕府は復興資金援助や食糧供給を行い、江戸城天守閣は再建されず、復興は市街地の再建に重点が置かれました。

さらに読む ⇒Wikiwand出典/画像元: https://www.wikiwand.com/ja/articles/%E6%98%8E%E6%9A%A6%E3%81%AE%E5%A4%A7%E7%81%AB

明暦の大火は、江戸の町に甚大な被害をもたらし、幕府は消防組織の強化に乗り出しました。

専門の消防組織「定火消」の設置は、画期的な出来事だったと思います。

1657年の「明暦の大火(振袖火事)」は、江戸の約6割を焼失し、約2万人の犠牲者を出す大惨事となりました

この大火を機に、幕府は本格的な消防組織の整備を開始しました。

四代将軍家綱は、旗本を中心とした専門の消防組織「定火消」を飯田橋など4箇所に設置しました。

これらは現在の消防署の原型となり、火の見櫓、半鐘、太鼓などを備え、常駐することで迅速な消火活動を可能にしました。

また、「臥煙」と呼ばれる消火専門家を雇い、軽装で火災に立ち向かう彼らの勇ましさは人々の尊敬を集めました。

定火消の設置は、まさに転換点だったんですね。専門家を雇ったり、火の見櫓を建てたり、本格的な消防組織が整っていく様子がよく分かります。

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江戸の町を守った火消し!町人による消防組織「町火消」の誕生秘話。華麗な衣装、縄張り争い、現代消防の基礎…熱き男たちの活躍を完全解説!