Gone Hidden Logo Menu opener

インドネシア独立への日本人兵士たち:『ラ・カロロ』と残留日本兵の真実?独立戦争を支えた日本人兵士たちの知られざる物語

真珠湾攻撃からインドネシア占領、そして独立戦争へ。敗戦後も現地に残り、独立を支えた日本人兵士たちの知られざる物語。捕虜を恐れ、故郷を捨て、インドネシア独立に人生を捧げた彼らの姿を、貴重な資料と日系インドネシア人の証言から紐解く。侵略者の子孫として苦悩しながらも、過去と向き合い、未来を切り開こうとする人々の姿を描く、感動のドキュメンタリー。

インドネシア独立への日本人兵士たち:『ラ・カロロ』と残留日本兵の真実?独立戦争を支えた日本人兵士たちの知られざる物語

📘 この記事で分かる事!

💡 インドネシア独立戦争で、日本兵はゲリラ戦に参加し、独立を支援。多くの兵士が命を落とし、その多くが『ラ・カロロ』と呼ばれた。

💡 終戦後もインドネシアに残留した日本兵の選択、その背景には様々な理由があった。彼らは現地で生活し、社会に溶け込んだ。

💡 独立戦争に参加した日本兵の子孫たちは、現在もアイデンティティに悩み、歴史資料館を設立するなど、過去に向き合っている。

今回の記事では、インドネシア独立戦争において、祖国を離れ、独立を支援した日本人兵士たちの知られざる姿に迫ります。

彼らの決意と、その後の人生について見ていきましょう。

インドネシア独立への道:日本軍の占領と残留日本兵の選択

なぜ太平洋戦争後、多くの日本兵がインドネシアに残った?

捕虜の恐怖、軍隊への嫌気、そして独立支援のため。

1940年代、日本軍の占領下にあったインドネシアで、第二次世界大戦終結後、多くの日本兵が帰国せず、独立を支援しました。

彼らはどのようにして独立戦争に参加し、どのような運命を辿ったのでしょうか。

インドネシア独立戦争に参加した元日本兵
インドネシア独立戦争に参加した元日本兵

✅ インドネシア独立戦争において、スラウェシ島で独立を支援するため、日本兵がゲリラ活動に参加し、多くが命を落とした。彼らは「La karoro」と呼ばれ、軍服を脱ぎ椰子の葉を身につけていた。

✅ 終戦後、オランダ軍との戦闘で犠牲になった日本兵も多く、樺島一郎中尉らは捕らえられ処刑された。戦後、米山友一氏らの尽力により慰霊碑が建立され、樺島中尉のご遺族とも連絡がとれた。

✅ 日本軍の武装解除が進む中、コラカ周辺では独立への機運が高まり、現地住民は民族意識を高め、蘭印軍へのゲリラ戦も繰り広げられた。

さらに読む ⇒スラウェシ島情報マガジン出典/画像元: https://sul-mag.sulut.asia/mks/sugiyama.html

日本兵がゲリラ活動に参加し、命を落としたという事実は衝撃的です。

終戦後も異国で独立を支援するという決意、そしてその後の処遇は、非常に考えさせられますね。

1941年の真珠湾攻撃から始まった太平洋戦争において、日本軍はインドネシアを占領しました

1945年の日本の敗戦後、約1000人の日本兵がインドネシアに残留しました。

彼らが帰国しなかった理由は様々で、捕虜になることへの恐怖、軍隊生活への嫌気、そして独立支援の約束を守りたいという思いなどがありました。

彼らは、連合国の占領下の日本での生活を不安視し、現地で家庭を築き、インドネシア名で生活するなど、現地社会に溶け込んでいきました。

日本兵の残留と独立支援…教科書ではさらっとしか触れられていない部分なので、とても興味深いです。連合国の占領下での生活を不安視して残留した、というのは意外でした。

独立戦争への参戦:ゲリラ戦と小野盛軍曹の記録

インドネシア独立を支えた日本人とは?どのような貢献をした?

兵器修理、軍事訓練、ゲリラ戦で独立を支援した。

ジャワ島で独立戦争に参加した小野盛軍曹の足跡を辿り、彼の記録である「陣中日誌」を通して、残留日本兵たちの実態に迫ります。

彼らはどのようにして独立戦争に関わったのでしょうか。

ジャワ島で戦った残留日本兵小野盛
ジャワ島で戦った残留日本兵小野盛

✅ 著者はジャワで訪問を諦めていた残留日本兵、小野盛の住所に誤りがあることに気づき、急遽小野盛の息子に会いに行くことになった。

✅ 住所探しに苦労しながらも、小野盛の息子Eru Suyonoさんに辿り着き、市来の墓に関する情報を得ることができた。

✅ 小野盛が市来の墓を建てた経緯や、墓作りに参加した人々について、Eru Suyonoさんから話を聞いた。

さらに読む ⇒ジャワ島で戦った残留日本兵小野盛出典/画像元: http://www3.nsknet.or.jp/~yoji-yoko/blog/jyawa/ono.htm

小野盛軍曹の「陣中日誌」は、貴重な資料ですね。

独立戦争における残留日本兵の役割の変化や、アジア主義的な思想に基づいた行動が詳細に記録されているのは興味深いです。

インドネシア独立戦争が勃発すると、残留日本兵は独立派に加わり、兵器の修理・改造、軍事訓練、ゲリラ戦などに貢献しました。

独立を求めるインドネシア側は、日本軍が持つ兵器や人材を求めたのです。

この独立戦争の様子を記録した貴重な資料として、小野盛軍曹の「陣中日誌」があります。

1945年から1948年の独立戦争期間中の残留日本兵の日常と戦闘の様子を記録しており、彼らの離合集散や役割の変化を明らかにしました

小野軍曹は、アジア主義的な思想から日本とインドネシアを「兄弟」と捉え、その独立のために身を投じました。

独立戦争は、外交と武力闘争を軸に展開し、共和国政府とオランダの間で停戦協定が結ばれるも、オランダ側の軍事侵攻によって破られました。

スカルノ大統領らが連行される危機的状況の中、共和国側はゲリラ戦を展開し、国際世論を味方につけて主権を回復しました。

小野盛軍曹の日誌、ぜひ読んでみたいです!アジア主義的な思想で独立を支援した、という部分にすごく興味があります。当時の日本人の心情が垣間見えそうですね。

次のページを読む ⇒

インドネシア独立に貢献した残留日本兵。天皇皇后両陛下も訪問した英雄墓地。日系人の苦悩と、過去を乗り越え未来を紡ぐ姿を描く、感動のドキュメント。