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児玉光雄さんの88年の生涯:被爆体験を語り続けた証言とは?被爆者の児玉光雄さんの生涯を辿る

12歳で被爆、奇跡的に生還した兒玉光雄さんの壮絶な人生。爆心地800mで経験した地獄、20回以上のがん手術…それでも核兵器の恐ろしさを世界に伝え続けた。被爆体験証言者として、修学旅行生や海外の人々に訴え、平和を願った。広島大学医学資料館で開催された企画展「被爆者を生き抜く」で、その記録を辿る。苦難を乗り越え、未来へ希望を繋いだ兒玉さんの姿。

児玉光雄さんの88年の生涯:被爆体験を語り続けた証言とは?被爆者の児玉光雄さんの生涯を辿る

📘 この記事で分かる事!

💡 被爆体験を国内外で証言し、核兵器の非人道性を訴え続けた。

💡 20回以上のがん手術を経験し、被爆後遺症と闘いながらも生き抜いた。

💡 平和を願い、資料館での展示や証言活動を通して、記憶を未来へ繋いだ。

児玉光雄さんの壮絶な人生を様々な角度から見ていきましょう。

あの日の記憶:12歳の少年が体験した原爆

広島原爆、爆心地800mで生き残った12歳とは?

兒玉光雄さん。教室にいたことが幸い。

児玉光雄さんの生涯は、12歳での被爆から始まりました。

被爆体験を語り続けた児玉さんの人生を紐解きます。

児玉光雄さん死去 広島一中で被爆 証言活動 88歳
児玉光雄さん死去 広島一中で被爆 証言活動 88歳

✅ 広島一中で被爆し、その後がんの手術を繰り返しながら被爆体験を国内外で伝えてきた児玉光雄さんが、88歳で死去した。

✅ 被爆後、60歳を超えてから複数回のがん手術を経験し、広島平和文化センターの被爆体験証言者として、核兵器の非人道性を伝えた。

✅ 海外での証言活動や原爆資料館での情報発信を通して、被爆者の健康被害と核兵器の危険性を訴え続けた。

さらに読む ⇒中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター出典/画像元: https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=101793

被爆後、がん手術を繰り返しながらも証言を続けた児玉さんの強さに胸を打たれます。

被爆体験を伝えることの重みを改めて感じますね。

1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下されました。

兒玉光雄さんは当時12歳、広島第一中学校(現:広島県立広島国泰寺高等学校)の生徒でした。

戸坂からの登校途中、空襲警報解除後に教室で自習中、強烈な閃光と共に爆弾が炸裂。

爆心地からわずか800mという至近距離で被爆しました。

教室に残っていたことが幸いし一命を取り留めたものの、周囲は地獄絵図。

校舎は倒壊し、多くの同級生が命を落としました。

児玉さんの体験は、本当に胸が締め付けられる思いです。爆心地からわずか800mでの被爆という事実にも驚愕します。当時の状況を想像するだけで言葉を失います。

絶望と希望の狭間で:被爆後の苦難と救い

被爆した兒玉さんが悟ったこととは?

日本は負けた

被爆後の苦難を乗り越え、児玉さんは被爆体験を語り続けました。

その壮絶な道のりと、乗り越える力に焦点を当てます。

兒玉 光雄

公開日:2021/01/24

兒玉 光雄

✅ 被爆者の兒玉光雄さんは、爆心地から800mの広島第一中学校で被爆し、21回のがん手術を経験。放射線の恐ろしさを語り継いでいる。

✅ 8月6日の原爆投下時、兒玉さんは校舎内にいて難を逃れたが、多くの同級生が犠牲となった。その後、被爆による体調不良と、被爆後の惨状を目の当たりにする。

✅ 兒玉さんは、被爆体験を語り続けることで、放射線の恐ろしさを世界に伝えたいと強く願っている。当時の記憶と、亡くなった同級生の思いが、その活動を支えていると感じている。

さらに読む ⇒ヒロシマの記憶を継ぐ人インタビュー出典/画像元: https://interview.tsuguten.com/interview_kodama/

被爆後の児玉さんの体験は、想像を絶する苦しみだったと思います。

その中でも、井戸水で生き返り、生き抜いたことは奇跡としか言いようがないですね。

倒壊した校舎から這い出した兒玉さんは、比治山を目指しましたが、炎に阻まれ南へ避難

日赤病院へ向かう途中で目にした惨状から「日本は負けた」と悟りました。

被爆による体の影響は深刻で、すぐに倒れる状態でしたが、宇品線の丹那駅付近で倒れたところを近所の農家のおばあさんに助けられ、井戸水で生き返りました。

この日、288人もの同級生を亡くすという悲劇を経験しました。

被爆後の状況は本当に酷かったんですね。助けを求める声がこだまする地獄絵図だったのでしょう。想像することしかできませんが、その中で生き抜いた児玉さんの強さに感銘を受けます。

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原爆と闘い、20回以上のがん手術を経験した兒玉さん。被爆体験を世界へ伝え、核兵器の恐ろしさを訴え続けた。壮絶な記録と証言から、平和への想いを読み解く。