飛鳥宮跡の発掘調査から紐解く古代日本の姿とは?(飛鳥時代・宮殿・歴史)?飛鳥浄御原宮、平城宮跡、その歴史と発掘調査の記録。
四半世紀にわたる発掘調査の回顧録。飛鳥寺、川原宮、飛鳥板蓋宮… 坪井清足氏が日本の古代史に刻んだ足跡を辿る! 従来説を覆す発見、木簡から見える古代官人の食生活、そして都市開発の波と遺跡保存の攻防。飛鳥宮跡での大型建物跡発見は、古代宮殿構造の謎を解き明かす鍵となるか? 世界遺産登録を目指す発掘調査の行方を見逃すな!
遺跡保存への道と都市開発の狭間
平城宮跡を救った出来事とは?国民の心を動かしたものは?
国民的保存運動と政府による全域買上げ
平城宮跡は、その貴重な歴史的価値から保存活動が行われましたが、都市開発との間で様々な問題も発生しました。
近鉄奈良線の移設問題や、保存運動の経緯を見ていきましょう。
公開日:2020/08/13

✅ 近鉄奈良線が横切る平城宮跡の線路移設案が、奈良県・奈良市・近鉄の協議により具体化に向けて進んでいる。
✅ 移設案では、大和西大寺駅付近を高架化し、宮跡の西側を通り、宮跡南側の道路に沿って線路を移設。新駅の設置や踏切の解消も計画されている。
✅ 近鉄奈良線は、平城宮跡が特定される前に建設された経緯があり、移設により景観改善や道路渋滞の緩和が期待される。
さらに読む ⇒ 東洋経済オンライン出典/画像元: https://toyokeizai.net/articles/-/367731?display=b都市開発と遺跡保存の狭間で揺れ動く平城宮跡の姿は、現代の私たちにも考えさせられる問題提起ですね。
保存のために様々な努力が払われたことがよく分かります。
発掘成果が世間に認知され始めた頃、平城宮跡は都市開発の波に直面します。
私鉄による土地買収問題が発生し、国民的な保存運動が起こりました。
最終的には、政府による全域買上げが決定され、遺跡の保存への道が開かれました。
また、国道24号線バイパス建設の計画に対して、宮域の広がりを根拠にルート変更を勝ち取り、遺跡を守り抜きました。
これらの出来事は、都市開発と遺跡保存の狭間で揺れ動く平城宮跡の姿を象徴しています。
遺跡の保存と都市開発って、いつも難しい問題ですよね。でも、ちゃんと守られてよかった!この教訓を活かして、これからも色んな遺跡を守ってほしいですね!
飛鳥宮跡の新たな発見と宮殿構造の謎
飛鳥宮跡で見つかった巨大建物跡、何が凄い?
奈良時代への宮殿、構造変化の手がかり!
飛鳥宮跡では、新たな発見が相次ぎ、古代の宮殿構造に関する謎が深まっています。
飛鳥浄御原宮を中心とした、その詳細を見ていきましょう。
公開日:2024/09/10

✅ 飛鳥浄御原宮は、天武天皇が壬申の乱後に近江大津宮から遷都して築いた宮殿で、天武・持統天皇の時代に都として機能し、律令制の基礎や八色の姓の制定など、国家の基盤を築いた。
✅ 飛鳥浄御原宮では、正殿跡や石敷広場、大井戸跡が発掘・復元され、那須国造碑の任命も行われた。 また、天武天皇はここで即位し、天皇中心の政治を行った。
✅ この記事では、飛鳥浄御原宮の歴史的背景や特徴を解説し、所在地や関連情報、取材班の紹介なども行っている。
さらに読む ⇒ニッポン旅マガジン出典/画像元: https://tabi-mag.jp/na0373/飛鳥浄御原宮の新たな発見は、今後の研究に大きな影響を与えそうですね。
内裏正殿との類似性など、興味深い点も多く、今後の調査結果が楽しみです。
奈良県明日香村の飛鳥宮跡では、7世紀後半の大型建物跡が相次いで発見されました。
最初に発見されたのは、天武・持統天皇が起居した飛鳥浄御原宮(672~694年)の内裏の中心的な建物とみられる巨大な建物跡。
この建物は、平城宮跡の内裏正殿と似た構造を持ち、奈良時代の内裏正殿へと繋がる可能性が示唆されています。
さらに、飛鳥宮跡の北側では、以前発見された大型建物跡に隣接する、同規模の総柱建物跡も発見され、その配置の謎が議論されています。
これらの発見は、飛鳥時代から奈良時代への宮殿構造の変化を解き明かす重要な手がかりとなり得ます。
これはすごい!7世紀の建築物の謎が解き明かされるかもしれないなんて、ワクワクしますね!今後の研究に期待しましょう。
飛鳥宮跡が語る、天皇と皇后の住まい
飛鳥宮跡の新発見!何が変わった?
宮殿構造と社会構造の認識が変わった。
飛鳥宮跡では、天皇と皇后の住まいに関する新たな発見もなされています。
宮殿構造や、当時の人々の生活を読み解く上で重要な手がかりとなりそうです。

✅ 7世紀の飛鳥時代に、舒明天皇、皇極天皇(斉明天皇として重祚)、斉明天皇、天武天皇の4人の天皇によって、飛鳥の地に4つの王宮(岡本宮、板蓋宮、後岡本宮、浄御原宮)が築かれた。
✅ 飛鳥宮跡の発掘調査により、3期に渡る遺構が発見され、上層から後岡本宮・浄御原宮、板蓋宮、岡本宮の順に重なっていたことが判明した。最も調査が進んでいる後岡本宮・浄御原宮では、内郭や苑池、東南郭などの遺構が見つかっている。
✅ 内郭には公的な空間と私的な空間があり、正殿や庁、井戸などの施設が確認されている。天武天皇は、後岡本宮の内郭を引き継ぎ、東南郭を増築した。
さらに読む ⇒ 史跡ナビ出典/画像元: https://shisekinavi.com/asukakyuato/皇后の住まいに関する新たな発見は、宮殿構造や当時の社会構造を再考する上で重要な意味を持ちますね。
「飛鳥・藤原の宮都」の世界遺産登録を目指す動きとも連動し、今後の発掘調査と研究の成果に期待が高まりますね。
飛鳥宮跡で発見された大型建物跡は、従来の認識を覆す新たな視点をもたらしました。
特に、内郭の外側に位置する建物の存在は、その用途や意味合いについて様々な憶測を呼んでいます。
専門家は、皇后の住まいや天皇の特別な行事に使われた施設である可能性を指摘しており、天皇の住まいである可能性も示唆されています。
これらの発見は、飛鳥時代の宮殿構造や当時の社会構造を再考する上で重要な意味を持ち、今後の研究の進展が期待されています。
「飛鳥・藤原の宮都」の世界遺産登録を目指す動きとも連動し、今後の発掘調査と研究の成果に期待が高まります。
天皇と皇后の住まいって、どんなだったんだろう?想像するだけでもワクワクするね!今後の調査で、もっと色んなことが分かるといいね!
本日の記事では、飛鳥宮跡の発掘調査を通して、古代日本の歴史、宮殿構造、そして遺跡保存の重要性についてご紹介しました。
古代のロマンを感じますね。
💡 飛鳥宮跡の発掘調査により、古代日本の宮殿構造や人々の暮らしぶりが明らかになった。
💡 平城宮跡の木簡からは、古代の役人たちの食生活や、社会構造の一端を垣間見ることができた。
💡 都市開発と遺跡保存の間で揺れ動く平城宮跡の姿は、現代の課題にも通じるものがある。