浅井長政とは?生涯、信長との確執、そしてその最期…?戦国武将・浅井長政の生涯を辿る
戦国武将・浅井長政。義理堅く美男子としても名高い彼は、織田信長と同盟を結ぶも、盟友・朝倉氏との板挟みで信長を裏切る。その決断と、妻子への愛情、そして滅亡への道を描く。信長の妹・お市の方との結婚、そして3人の娘たちが織りなす壮絶な運命。現代にも続く血脈とは? 浅井長政の生涯を紐解く、歴史ドラマ。
💡 浅井長政は、近江を拠点とした戦国大名。織田信長の妹・お市の方を妻とし、信長と同盟を結んだ。
💡 信長との同盟は朝倉氏との対立が原因で破綻。その後、信長を裏切り、激しい戦いを繰り広げることとなる。
💡 浅井長政は、義理堅い性格で知られ、最期は自害。その生涯は、現代にも様々な影響を与えている。
本日は、浅井長政の生涯を様々な角度から見ていきましょう。
まずは浅井長政という人物について、概要をまとめました。
浅井長政の生涯と初期の活躍
浅井長政はどんな人物だった?
近江国の戦国武将
浅井長政の人物像や、織田信長との関係、そして悲劇的な最期について解説します。

✅ 浅井長政は、織田信長の妹・お市との結婚により、信長と同盟関係を結び、織田政権の樹立に貢献しました。しかし、信長が同盟を破って朝倉氏を攻撃したことで、浅井長政は信長を裏切り、朝倉氏と共に織田軍と戦いを繰り広げました。
✅ 信長は浅井長政を重要なパートナーとして考えており、お市の輿入れを熱望していました。しかし、信長が浅井長政との約束を破り、朝倉氏を攻撃したことで、浅井長政は信長への信頼を失い、最終的には敵対関係へと発展しました。
✅ 浅井長政は、信長へのリスペクトと朝倉氏への恩義の間で葛藤し、信長を裏切り、朝倉氏と共に織田軍と戦いを繰り広げました。しかし、最終的には信長に攻め滅ぼされ、浅井家は滅亡しました。
さらに読む ⇒戦国武将のハナシ|面白い逸話やエピソード「どんな人?何をした?」だから戦国武将はおもしろい出典/画像元: https://busho.fun/person/nagamasa-azai浅井長政の葛藤や、信長との関係性の変化がよく分かりますね。
信長が浅井長政を重要視していたことが伺えます。
浅井長政は、近江国の戦国武将で、浅井家3代目当主にして最後の当主でした。
1545年に生まれ、1573年に29歳で自害しました。
彼は義理堅い性格で知られており、強要された結婚からすぐに妻を離縁したエピソードも残っています。
また、高身長で恰幅の良い体格だったことから、当時の美男子像に当てはまっていたとされています。
当初は六角氏に臣従していましたが、家臣団の不満から久政を廃し、長政が当主となります。
長政は六角氏からの脱却を目指し、六角氏家臣の高野瀬秀隆を調略し、肥田城を奪いました。
これにより六角義賢は激怒し、肥田城を攻撃しますが、長政はこれを撃退します。
この戦いは「野良田の戦い」と呼ばれ、浅井長政の武名が世に知れ渡りました。
その後、六角義治が、祖父の代からの重臣・後藤賢豊らを暗殺するという暴挙に出たことで、六角氏は衰退の一途をたどります。
長政は、六角氏からの独立を機に、織田信長と同盟を結び、勢力を拡大していきます。
浅井長政の生涯、短いながらも波乱万丈ですね。義理堅い性格だったというのも面白いですね。
織田信長との同盟と破綻
浅井長政はなぜ信長と同盟を破ったのか?
朝倉義景との約束を破られたため
織田信長との同盟と破綻について、詳しく見ていきましょう。
公開日:2024/06/23

✅ 信長と長政は、信長の天下統一という野心と長政の北近江の繁栄という異なる目標を持ち、価値観が大きく異なっていたため、同盟は破綻した。
✅ 信長は長政を義理の弟として深く信頼していたが、長政は信長の行動に恐怖を感じ、特に将軍足利義輝の暗殺事件をきっかけに、信長の野心と自分たちの存在の危機を認識し、裏切りを決意した。
✅ 信長と長政は、互いの考えを深く理解することなく、相手を自分の思い込みで捉えており、早いうちから互いのズレを修正していれば、悲劇は避けられた可能性もある。
さらに読む ⇒トピックスプラストピックス出典/画像元: https://topics.bs11.jp/ijin-haiboku-kyoukun_29/互いの価値観の違いが、同盟破綻の一因だったことが分かりますね。
もし最初から互いを理解していれば…と考えると、少し切ないですね。
浅井長政は、織田信長と同盟を結び、信長の妹であるお市の方を妻に迎えました。
この同盟は、信長の美濃国斎藤氏との戦いを打破するために、浅井氏に同盟を提案したことから始まりました。
しかし、浅井氏の盟友である朝倉義景との対立が問題となり、長政はお市の方と結婚し、同盟を結びます。
信長は上洛の準備を進め、長政は朝倉氏には手を出さないことを信長に約束させました。
その後、信長は朝倉義景を討伐するため、敦賀城に入ります。
長政は、信長との約束を破られたと感じ、朝倉義景側に立ち、金ヶ崎城を攻撃しますが、信長を討つことができず逃がしてしまいます。
これがきっかけで、浅井長政と織田信長の同盟は破綻し、浅井氏は滅亡しました。
浅井長政とお市の方の結婚は、信長との同盟のためだったんですね。朝倉氏との関係が、同盟破綻の原因になったんですね。
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信長を裏切った悲劇の武将、浅井長政。その生涯と、彼が生きた証である娘たちの波乱に満ちた運命。現代に続く血脈を辿る、感動の物語。