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『脱亜論』とは?福沢諭吉の思想と日本の近代化への影響とは?福沢諭吉『脱亜論』に見る、アジア観と近代化への道

福沢諭吉の『脱亜論』は、1885年発表。西洋文明への傾倒とアジアからの脱却を説き、近代化を目指す日本の進むべき道を提示。清や朝鮮を批判し、国際社会での日本の地位向上を願った。その思想は、現代でもアジアとの関係性において議論を呼ぶ。近代化を麻疹に例え、西洋文明を取り入れる重要性を訴えた福沢の思想とその背景とは。

朝鮮の近代化と福沢諭吉の憤り

福沢諭吉が脱亜論を主張した背景には何があった?

朝鮮近代化阻害

続いて、福沢諭吉の朝鮮に対する考えについて考察します。

福沢諭吉の朝鮮日朝清関係のなかの「脱亜」』(月脚達彦)
福沢諭吉の朝鮮日朝清関係のなかの「脱亜」』(月脚達彦)

✅ 本書は、福沢諭吉の朝鮮論をめぐる論争を、日朝清関係史のなかの福沢と朝鮮開化派との個人的関係と「時事新報」での言説を軸に、福沢の情念と「リベラルな帝国主義者」という立場が挫折してゆく過程を分析しています。

✅ 福沢諭吉は、朝鮮の独立を支援しながらも、朝鮮の開化を促す「朝鮮改造論」を提唱しました。しかし、ロシアの脅威や巨文島事件の影響を受け、福沢は朝鮮改造論を見直し、「脱亜論」を唱えるようになります。

✅ 福沢諭吉の朝鮮に対する思いは、朝鮮開化派への支援から朝鮮の独立への期待、そして「脱亜論」へと変化していきました。本書は、福沢の朝鮮論の変遷を通じて、当時の日朝関係の複雑さを描き出すとともに、現代の東アジア関係への示唆を与えています。

さらに読む ⇒講談社「おもしろくて、ためになる」を世界へ出典/画像元: https://www.kodansha.co.jp/r/book/product?item=0000195572

福沢諭吉の朝鮮に対する複雑な思いが、この論文から読み取れます。

脱亜論の背景には、福沢諭吉が朝鮮の近代化に期待を持ち、金玉均ら近代化派と交流していたことがあります。

福沢は朝鮮で新聞発行を支援しましたが、清国の圧力で休刊となり、甲申政変では新聞社が焼き討ちされました

さらに、政変の中心人物である金玉均とその親族が、清国の影響下にある勢力によって残酷に処刑されたことに対して、福沢は強い憤りを抱きました。

そのため、福沢は朝鮮の近代化を阻害する清国とその影響力を持つ勢力を強く批判し、脱亜論を主張したと考えられます。

福沢諭吉の朝鮮に対する考えの変化は、当時の国際情勢を反映しているんですね。

清朝と李氏朝鮮の運命

福沢諭吉は、清朝と李氏朝鮮の未来をどう予測していましたか?

分割と滅亡

次は、日清戦争と福沢諭吉の思想の関係について見ていきましょう。

朝鮮問題の深刻化と日清戦争の発生

公開日:2016/08/10

朝鮮問題の深刻化と日清戦争の発生

✅ 日清戦争は日本の近代史における「五十年戦争」の始まりであり、1894年から1895年の2年間、朝鮮の支配権をめぐって日本と清が戦った。

✅ 日清戦争の原因は、朝鮮への影響力を強めようとした日本と、朝鮮の属国化を強めた清の対立によるものであり、特に伊藤博文政権は国内の強硬な世論に押される形で戦争に突入した。

✅ 日清戦争の結果、日本は下関条約を締結し、朝鮮の独立を認めさせるとともに、遼東半島、台湾、澎湖諸島を獲得したが、ロシア、フランス、ドイツによる三国干渉により遼東半島を返還せざるを得なかった。

さらに読む ⇒日本近現代史の講座出典/画像元: http://jugyo-jh.com/nihonsi/jha_menu-2-2/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%AE%E6%B7%B1%E5%88%BB%E5%8C%96%E3%81%A8%E6%97%A5%E6%B8%85%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%AE%E7%99%BA%E7%94%9F/

福沢諭吉の予見が的中したという事実は、彼の先見の明を示していますね。

福沢諭吉は、清朝や李氏朝鮮が近代化を果たせなければ、西欧列強の帝国主義によって分割される運命にあると予見し、日本はそれらを待つ余裕はないと主張しました。

実際に、清朝は、1894年の日清戦争で敗北し、1911年の辛亥革命で崩壊しました。

李氏朝鮮も、1894年の東学農民運動をきっかけに起こった日清戦争で日本に敗れ、1910年には日本に併合されました。

日清戦争の結果が、福沢諭吉の思想を裏付ける形になったというのは、歴史の皮肉ですね。

福沢諭吉の思想と行動

福沢諭吉が日本の近代化に貢献した最大の理由は?

西洋文明の導入と人材育成

最後に、福沢諭吉の思想と行動についてまとめます。

福沢諭吉
福沢諭吉

✅ 福沢諭吉は明治を代表する啓蒙思想家であり、蘭学を学び、欧米文化を紹介する書物を著した。

✅ 彼は慶応義塾を創設し、官職につくことなく、『学問のすすめ』や『文明論之概略』などの著作を発表した。

✅ 福沢諭吉は、欧米文化を日本に紹介し、学問の重要性を説いたことから、近代日本の発展に大きく貢献したと言える。

さらに読む ⇒国立国会図書館―出典/画像元: https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/185/

改めて、福沢諭吉の功績を再認識しました。

福沢諭吉は、日本の近代化に大きく貢献した思想家、教育者、啓蒙家であり、西欧文明を紹介した人物としても知られています。

彼の代表作『学問のすすめ』は、封建的な身分制度を打破し、国民に学問の重要性を説いた画期的な著作です

彼は、儒学の伝統を学びながらも、西洋文明の合理性と実用性を高く評価し、日本の社会改革を提唱しました。

特に、キリスト教の影響は大きく、西洋文明の本質を理解するために、キリスト教について深く学んだとされています。

福沢は、慶應義塾を創設し、教育を通して人材育成に尽力しました。

彼は、学問を通して個人の能力開発を促し、社会の発展に貢献することを目指しました。

また、西洋文明の導入によって、日本の近代化を進め、国際社会における日本の地位向上を目指しました。

福沢諭吉は、日本の近代化に多大な影響を与えた人物であり、彼の思想と行動は、現代の日本社会にも大きな影響を与え続けています。

福沢諭吉の思想は、現代にも通じる普遍性がありますね。

本日は、福沢諭吉の『脱亜論』についてご紹介しました。

日本の近代化における彼の思想とその影響について理解を深めることができました。

🚩 結論!

💡 福沢諭吉は『脱亜論』で、日本が西洋文明を取り入れ、アジアから脱却すべきと主張した。

💡 『脱亜論』は、日本の近代化を加速させる上で重要な役割を果たし、その後の日本の外交にも影響を与えた。

💡 福沢諭吉は、教育者としても活躍し、日本の近代化に大きく貢献した。