『黄金列車』とは?消えた屎尿輸送の歴史を紐解く旅?東京と埼玉を結んだ、屎尿輸送の知られざる物語
江戸時代の葛西舟から始まった、し尿リサイクルの知られざる物語。近代化の中で露呈した糞尿問題、西武鉄道「黄金列車」による屎尿輸送、そして終焉。人々の生活を支えた"負の遺産"は、衛生と資源循環の狭間で揺れ動いた日本の姿を映し出す。現代社会が抱える課題を考える上で、貴重な歴史的教訓となる。
💡 江戸時代から始まった屎尿のリサイクルは、貴重な肥料として都市と農村を結ぶ役割を果たした。
💡 太平洋戦争中に屎尿処理が困難になり、西武鉄道の「黄金列車」が誕生。都心から郊外へ屎尿を輸送した。
💡 戦後の化学肥料普及や海洋投棄の開始により、屎尿輸送は終焉。現代の資源循環社会への教訓となる。
それでは、日本の近代化を陰で支えた屎尿輸送の知られざる歴史を、時代を追って見ていきましょう。
江戸時代から続くし尿リサイクルの歴史
江戸時代のし尿はどのように利用されていましたか?
肥料として活用
江戸時代から、し尿は貴重な資源として活用されてきました。
しかし、明治時代以降、都市化が進むにつれて、その処理方法が課題となりました。

✅ 阪南市では、し尿処理は一般廃棄物処理業許可業者に依頼する必要があります。
✅ し尿収集手数料は、簡易水洗トイレとくみ取りトイレで異なります。簡易水洗トイレは5ℓあたり35円、くみ取りトイレは1人1か月あたり350円です。
✅ 浄化槽の清掃費用は、お住まいの地域の浄化槽清掃業者へお問い合わせください。建築現場等の仮設トイレは、その区域の許可業者に処理を依頼する必要があります。
さらに読む ⇒ホーム出典/画像元: https://www.city.hannan.lg.jp/kakuka/shimin/seikatsu_k/eisei/sinyouzyoukasou/shinyoukumitori/1395217377564.html阪南市のし尿処理方法や、江戸時代のし尿リサイクルの歴史について解説されました。
現代とは異なる処理方法に驚きました。
江戸時代から続くし尿リサイクルの歴史は、葛西舟と呼ばれる船による農村への運搬から始まりました。
このし尿は貴重な肥料資源として活用され、都市と農村の繋がりを象徴する存在でした。
しかし、明治期以降、東京では近代化による下水道整備の遅れから、糞尿問題は深刻化し、水洗トイレの普及に伴い、悪臭や衛生問題が社会問題となりました。
当時の新聞には、外国人観光客がホテルから臭気で逃げ出す様子や、下水道建設の必要性、さらには糞尿の肥料としての価値と下水道による排出の経済的損失に関する議論が掲載されるなど、深刻な状況が伺えます。
なるほど、江戸時代から肥料として活用されていたんですね。都市と農村の繋がりを表すとは、興味深いですね。
戦時中の屎尿問題と「黄金列車」の誕生
戦後、深刻化した屎尿処理問題を解決するため、東京都がとった対策は?
鉄道による輸送
太平洋戦争末期、物資が不足する中で、屎尿処理は深刻な問題となりました。
西武鉄道の「黄金列車」の運行は、その苦肉の策だったと言えるでしょう。
公開日:2024/09/26

✅ 太平洋戦争末期の東京都では、糞尿処理が困難となり、西武鉄道村山線は夜間に糞尿輸送を行う「黄金列車」を運行していました。
✅ 黄金列車は、始発駅で糞尿をタンクに貯め、終着駅(東村山)でバルブを開けてタンクに落とす仕組みで運行されていました。
✅ 東村山駅北方の現在の西武鉄道社員寮付近には糞尿タンクが設置され、地元の農家が高架化工事中の付近までリヤカーやオート三輪で糞尿を汲みに来ていました。
さらに読む ⇒古今東西舎出典/画像元: https://kokontouzai.jp/archives/73736戦時下の屎尿処理について解説されました。
燃料不足の中で、列車による輸送が行われたという事実に衝撃を受けました。
昭和に入ると、トラックによる屎尿の集荷・配送が主流となり、合理的な事業として発展しました。
しかし、太平洋戦争の勃発により、燃料不足やトラックの焼失により、屎尿の流通は頓挫。
戦後は、山林や河川への不衛生な投棄が行われるなど、深刻な処理問題に直面しました。
この状況を打開するため、東京都は西武鉄道に屎尿の鉄道輸送を依頼。
西武鉄道は、115両の貨車に木造の貯槽を載せた専用車「黄金列車」を製作し、都心から郊外の農地へし尿を運搬しました。
黄金列車、名前は凄いですが、実情は大変だったでしょうね。戦争の爪痕を感じます。
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戦時下の西武・東武鉄道が屎尿輸送!肥料不足を補った黄金列車も、化学肥料の普及で終焉。悪臭と課題、そして下水道の重要性…歴史が語る教訓。