軍艦島(端島)の歴史と人々の暮らしとは?世界遺産登録までの道のりも解説?軍艦島 - 産業遺産と人々の生活
軍艦島(端島)は、日本の近代化を支えた炭鉱の島。最盛期には驚異的な人口密度を誇り、高待遇と引き換えに過酷な労働環境で人々が暮らした。住宅学者・西山夘三が記録した貴重なカラー写真と詳細な調査レポートで、島の栄華と人々の生活を鮮やかに描き出す。世界遺産登録への道のりも紐解き、産業遺産としての軍艦島の価値を再認識できる一冊。
閉山とその後
軍艦島の住民は閉山後どこへ?
記録不明、謎
軍艦島が閉山に至るまでの経緯、そしてその後の様子を見ていきましょう。

✅ 軍艦島は、日本のエネルギー政策の変化、生活環境の厳しさ、再開発の難航が複合的に絡み合って人がいなくなった。
✅ 軍艦島での生活は、1890年から1974年までの約84年間続き、近代日本のエネルギー供給を支えた一方で、過酷な労働環境や時代の変化に翻弄された人々の苦悩が刻まれている。
✅ 軍艦島は、島内に淡水を得られる自然源がなかったため、島外からの水の輸送に依存していた。その後、雨水や井戸水を活用するなど、様々な工夫によって水の確保を図っていた。
さらに読む ⇒セカイノート出典/画像元: https://oyakudachiking.com/after-gunkanjima/閉山後の島民たちのその後が明確に記録されていないというのは、少し寂しいですね。
今後の調査に期待したいです。
1974年の閉山により、軍艦島は無人島となりました。
多くの島民は故郷へ帰ったり、他の地域で生活を始めたと考えられますが、具体的な移住先やその後の人生については、明確な記録が残っていないため、謎に包まれています。
軍艦島の閉山と、その後の人々の生活について、もっと詳しく知りたいと思いました。閉山後の人々の足跡を辿るような調査があれば、ぜひ見てみたいです。
住宅学者の視点で見た軍艦島
軍艦島の貴重なカラー写真が見られるのはなぜ?
西山夘三の調査によるもの
続いて、住宅学者の視点から見た軍艦島についてご紹介します。
公開日:2020/08/22

✅ 1952年の調査で西山夘三と扇田信が端島の生活環境を調査し、その結果をレポートとしてまとめた。
✅ 1970年の調査では片寄俊秀がより体系的な生活環境調査を行い、住民の生活状況や島の社会構造について詳細な報告を行った。
✅ 本書は、貴重な写真資料と調査レポートを通して、日韓の歴史認識問題においても重要な史料となる軍艦島の歴史と生活状況を明らかにし、より多くの人に知られることを期待している。
さらに読む ⇒好書好日|出典/画像元: https://book.asahi.com/jinbun/article/13609582住宅学者の視点から、軍艦島の生活を捉えた貴重な資料ですね。
写真資料が豊富で、当時の人々の生活を鮮やかに伝えていますね。
本書は、住宅学者・西山夘三が戦後二度にわたり軍艦島を訪問調査し、カラーを含む住宅と生活の写真を数多く撮影した、貴重なビジュアルブックです。
廃墟となった後の写真や当時のモノクロ写真などはすでに多く公開されていますが、これほど多くのカラー写真が公開される例は非常に珍しいです。
また、炭鉱関係者や写真家ではなく、人とすまいを見つめ続けた住宅学者の視点で残る当時の資料はほぼ唯一と言えるでしょう。
世界にも類を見ない、高密・高層炭鉱住宅群を、日常のくらしを見据えた視線で捉えた写真とスケッチの数々は、日本を代表する炭鉱であった軍艦島の栄華と、特異な環境に生きる人々の生活を生き生きと伝えています。
本書には、西山夘三・扇田信による調査レポート「軍艦島の生活―長崎港外、三菱端島炭礦の見学記」に加え、西山ゼミの卒業生で閉山後も端島調査を続けていた片寄俊秀による論文「軍艦島の生活環境(その1、2、3)」および「付記・厳しかった端島(軍艦島)の調査」を収録。
1952年・1970年の調査時を中心に、明治の近代化から高度経済成長までを支えた端島における歴史を、人々の生活の視点からつかむことができます。
ビジュアル資料の貴重さ、ほかにない観点での調査報告など、軍艦島、産業遺産、近代化遺産を語るうえで見逃せない一書です。
住宅学者の視点から見た軍艦島の写真や調査レポートは、非常に貴重な資料ですね。当時の人々の生活や、島の社会構造を深く理解する上で、欠かせないものだと感じました。
世界遺産登録と未来への展望
軍艦島はいつ世界遺産に登録されましたか?
2015年
最後に、世界遺産登録と未来への展望について解説します。
公開日:2024/03/17

✅ 明治日本の産業革命遺産は、19世紀後半から20世紀初頭にかけてわずか50年で日本の近代化を達成したことを示す、鉄鋼・製鋼、造船、石炭産業の産業遺産です。
✅ この遺産は、日本が西洋技術を導入し独自の工業化に成功したことを示しており、東アジアの工業化にも大きな影響を与えました。
✅ 世界遺産登録基準では、日本の産業革命遺産が西洋技術を導入し、独自の工業化を達成し、東アジアに影響を与えたこと(登録基準 (ii))と、世界で初めて近代的な産業革命を成功させた産業遺産であること(登録基準 (iv))が評価されています。
さらに読む ⇒世界遺産マニア出典/画像元: https://worldheritage-mania.com/sites-japans-meiji-industrial-revolution/世界遺産登録までの道のりや、登録された範囲について詳しく解説されています。
今後の軍艦島の保存と活用に期待したいですね。
2015年、軍艦島を含む「明治日本の産業革命遺産製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界文化遺産に登録されました。
軍艦島は単独での登録ではなく、構成資産の一つとして登録され、島全体の約2割が世界遺産として認定されました。
世界遺産登録への道のりは、20世紀末からの産業遺構保存の動きから始まり、2003年のNPO法人「軍艦島を世界遺産にする会」の発足、2006年の経済産業省による登録支援、2008年の世界遺産暫定リストへの追加記載を経て、2015年の登録に至りました。
軍艦島は、他の産業遺構のように保存活動が行われていなかったため、世界遺産登録を目指す活動には、NPO法人や経済産業省など多くの関係者の協力が必要でした。
登録されたのは明治時代の石炭掘削坑で、大正・昭和時代に建造された建物は世界遺産には含まれていません。
また、世界遺産の保護区域である「緩衝地帯」は、世界遺産ではなく、多くの建物は崩壊したままで保存義務を負いません。
軍艦島は、日本の近代化産業遺産の一端として、世界にその歴史と文化を発信しています。
軍艦島が世界遺産に登録された経緯や、その意義について、とてもよく理解できました。世界遺産として、今後どのように保存されていくのか、注目していきたいです。
この記事を通して、軍艦島の歴史、人々の暮らし、世界遺産登録について、様々な視点から深く理解することができました。
軍艦島の未来に期待したいです。
💡 軍艦島は、日本の近代化を支えた石炭採掘の島であり、最盛期には高い人口密度を誇った。
💡 島民たちは、厳しい労働環境と生活環境の中で生活を送っていた。
💡 世界遺産登録を経て、軍艦島の歴史と文化は未来へと伝えられている。