Gone Hidden Logo Menu opener

軍艦島(端島)の歴史と人々の暮らしとは?世界遺産登録までの道のりも解説?軍艦島 - 産業遺産と人々の生活

軍艦島(端島)は、日本の近代化を支えた炭鉱の島。最盛期には驚異的な人口密度を誇り、高待遇と引き換えに過酷な労働環境で人々が暮らした。住宅学者・西山夘三が記録した貴重なカラー写真と詳細な調査レポートで、島の栄華と人々の生活を鮮やかに描き出す。世界遺産登録への道のりも紐解き、産業遺産としての軍艦島の価値を再認識できる一冊。

軍艦島(端島)の歴史と人々の暮らしとは?世界遺産登録までの道のりも解説?軍艦島 - 産業遺産と人々の生活

📘 この記事で分かる事!

💡 軍艦島は、日本の近代化を支えた石炭採掘の島。最盛期には世界有数の人口密度を誇った。

💡 島民たちの生活は、高待遇ながらも厳しい労働環境や生活環境の中で営まれた。

💡 1974年の閉山後、無人島となった軍艦島は、世界遺産登録を経て未来へ繋がっている。

今回は、軍艦島について様々な視点から掘り下げていきます。

まずは、軍艦島の概要と、この記事で皆様に知っていただきたい3つのポイントをご紹介しましょう。

軍艦島の誕生と繁栄

軍艦島の人口密度はどれくらいだった?

東京都区部の9倍

本日は軍艦島の歴史について、深く掘り下げていきます。

全てはここから始まった…。端島炭鉱(軍艦島)と日本の産業革命
全てはここから始まった…。端島炭鉱(軍艦島)と日本の産業革命

✅ この記事は、日本の産業革命期を支えた軍艦島・端島炭鉱の歴史について、採掘方法、石炭の役割、そして炭鉱産業の隆盛と衰退を詳しく解説しています。

✅ 特に、軍艦島における石炭の採掘方法や、石炭が日本の産業発展に大きく貢献したことが強調されています。

✅ また、炭鉱産業の衰退は、石油の大量輸入や採掘現場の遠隔化などの要因が複合的に作用した結果であると説明されています。

さらに読む ⇒【上陸レポート有り】軍艦島の歴史と今を総力特集!~軍艦島ガイド【完全版】~出典/画像元: https://www.gunkanjima-excursion.com/coalmine/

軍艦島の誕生から繁栄、そして衰退までを詳細に解説されていますね。

石炭採掘が日本の近代化に大きく貢献したという点は、非常に興味深いです。

1891年に採炭が始まった軍艦島(端島)は、石炭採掘によって栄え、最盛期には人口密度が東京都区部の9倍に達するほど活気に満ち溢れていました

島の周囲は埋め立てられながら拡張され、5000人以上の人々が暮らしていました。

狭小な島ゆえ、住居は6畳と4畳半の一間ずつという狭いものが一般的で、風呂や水洗トイレはなく、共同の炊事場が利用されるなど、現代とは異なる生活環境でした。

しかし、厳しい労働環境と引き換えに、高待遇が提供され、島民は物質的に豊かに暮らしていました。

鉱員たちは、地下200メートルの炭鉱で一日8時間労働し、じん肺症になる者も少なくありませんでした。

医療体制としては、端島病院と隔離病棟が設置されていましたが、病気になれば仕事と住環境を失うことを意味し、精神的な負担は大きかったようです。

軍艦島は、高待遇ゆえに人気の職場だった一方、厳しい労働環境や生活環境もあり、島民は様々な思いを抱えていたと考えられます。

軍艦島の歴史的背景と、石炭採掘が日本の近代化に果たした役割について、非常に分かりやすく解説されていました。過酷な労働環境の中で、高待遇が提供されていたという点が印象的でしたね。

島民たちの暮らし

軍艦島での生活はどんな様子だった?

職員・鉱員別住宅、共同浴場、青空市場

軍艦島での人々の暮らしぶりを、詳しく見ていきましょう。

上階の共同トイレから汚物が落ちてくる音が…日曜劇場では描きにくい軍艦島の超過密空間のリアルな暮らし
上階の共同トイレから汚物が落ちてくる音が…日曜劇場では描きにくい軍艦島の超過密空間のリアルな暮らし

✅ 軍艦島は三菱鉱業の炭鉱として栄え、島民は社宅に住んでいたため家賃は無料だったが、住居レベルには明確な格差があり、幹部用の社宅は高級な造りであった。

✅ 鉱員用の社宅は共同トイレと共同浴場が多く、特に日給社宅と呼ばれるものは窓が小さく風通しも悪く、海に囲まれた30号棟の下層階は湿気や悪臭に悩まされていた。

✅ 軍艦島のトイレは、共同トイレで汲み取り式で、海に直接排水していたため排水管から海水が逆流することもあり、衛生環境は非常に悪かった。また、トイレの場所によっては昼でも暗く、子どもにとって恐怖の場所だったという。

さらに読む ⇒インフォシーク楽天が運営するニュースサイト出典/画像元: https://news.infoseek.co.jp/article/president_87300/

住居や生活環境に関する情報は興味深いですね。

特に、水洗トイレが普及するまでの過程や、島民たちの生活の知恵が印象的でした。

軍艦島は、三菱グループ企業が所有し、そこで働く社員とその家族が暮らしていました。

社員は「職員」と「鉱員」に分けられ、それぞれ「職員社宅」と「鉱員社宅」と呼ばれる集合住宅に住んでいました。

住宅は時代とともに変化し、設備も充実していきました。

当初は水は貴重で、共同浴場を利用するなど、現代とは異なる生活がありました。

トイレは汲み取り式が主流で、昭和30年代になってようやく水洗トイレが普及しました。

食料も本土からの輸送に頼っており、時化になると手に入らないこともありました。

島内には「青空市場」と呼ばれる露天の店があり、そこで食料品を販売していました

現代の暮らしとは異なるながらも、人々は創意工夫を凝らし、島の生活を楽しんでいたようです。

共同トイレや、狭い住居など、現代とは異なる生活環境だったことがよく分かりました。高待遇だったとしても、やはり生活は大変だったのだろうなと感じました。

次のページを読む ⇒

軍艦島の貴重なカラー写真集!住宅学者の視点で捉えた、人々の生活と栄華。世界遺産登録までの道のりも。近代化を支えた島の姿を、今、鮮やかに伝える。