Gone Hidden Logo Menu opener

軍艦島(端島)の歴史と世界遺産登録の現状とは?軍艦島、近代日本の産業革命を象徴する島

軍艦島、それは石炭と共に隆盛を極めた島の記憶。近代化を象徴する高密度な人口、過酷な労働、そして閉山の悲劇。世界遺産となった炭坑への入り口が語る、日本の産業革命。今、廃墟となった島は、人々の暮らしと歴史を静かに物語る。軍艦島の全貌を、あなたの目で確かめてください。

鉱員の生活と労働環境

軍艦島はどんな生活環境だった?

厳しく、独特なコミュニティ

続いて、軍艦島での鉱員の生活と労働環境について見ていきましょう。

過酷な労働環境や、当時の人々の暮らしに迫ります。

軍艦島に住んでいた人【その後に語られる生活の真実】
軍艦島に住んでいた人【その後に語られる生活の真実】

✅ 軍艦島は1974年に無人化しました。これは、戦後のエネルギー政策の変化により石炭から石油への転換が進んだこと、炭鉱労働の危険性や生活環境の悪さによる住民の移住希望、閉山後の再開発が困難だったことなど、複数の要因が複合的に作用した結果です。

✅ 軍艦島での生活は約84年間続きました。1890年に炭鉱の操業が始まり、1974年に無人島となるまで、島は独自の社会や文化を形成し、繁栄を享受しました。しかし、1973年の閉山決定により、住民は本土への転居を余儀なくされ、84年の歴史に幕を閉じました。

✅ 軍艦島は、水資源の乏しい孤島であったため、水の確保は大きな課題でした。初期には船による水の輸送に頼っていましたが、天候に左右されやすいことから水不足が発生することもありました。そのため、雨水を集める貯水施設や海水淡水化装置が導入され、水不足解消に努めました。

さらに読む ⇒セカイノート出典/画像元: https://oyakudachiking.com/after-gunkanjima/

鉱員の生活は、過酷な労働と、限られた生活環境の中で行われていたことが分かります。

健康被害や精神的な負担も大きかったでしょう。

軍艦島は、かつて5000人以上が暮らし、独自のコミュニティを形成していた島でした。

鉱員たちは、厳しい労働環境と引き換えに、高待遇を受け、島内で完結する生活を送っていました

住居は狭く、お風呂や水洗トイレはありませんでしたが、住民同士の繋がりを深める役割を果たしていたとも考えられます。

鉱員たちは、1日8時間、石炭を掘り出し、運搬する労働に従事し、じん肺症などの健康被害も少なくありませんでした。

病院は島にあり、緑色に塗られた端島病院は、鉱員たちの安らぎの場所でした。

しかし、病気で働けなくなれば、島での生活基盤を失うことになり、精神的な負担が大きかったと考えられます。

軍艦島は、待遇が良く、人気の職場だった一方で、厳しい労働環境と生活環境の制約から敬遠される面もありました。

当時の鉱員の出身地や、閉山後の彼らのその後については、明確な情報は得られていません。

軍艦島の労働環境は、現代の労働環境とは比べ物にならないほど過酷だったんですね。当時の人々の苦労を考えると、胸が痛みます。

世界遺産登録への道

軍艦島が世界遺産になった理由は?

産業革命遺産

次に、軍艦島の世界遺産登録への道について見ていきましょう。

登録に至るまでの様々な取り組みを解説します。

軍艦島の世界遺産登録までの道のり【秘話アリ】
軍艦島の世界遺産登録までの道のり【秘話アリ】

✅ 軍艦島は、2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の一部として世界文化遺産に登録されました。登録には、NPO法人「軍艦島を世界遺産にする会」をはじめとした多くの関係者の尽力がありました。

✅ 軍艦島は島全体ではなく、島の中心部の明治時代の石炭掘削坑が登録されています。残りの部分は「緩衝地帯」と呼ばれ、世界遺産ではなく保護の義務が課されず、多くは崩壊したままです。

✅ 軍艦島の世界遺産登録への道のりは、各界の専門家による保存と活用の提唱、九州地方知事会による連携、NPO法人「軍艦島を世界遺産にする会」の活動、経済産業省の支援など、多くの取り組みによって実現しました。

さらに読む ⇒【上陸レポート有り】軍艦島の歴史と今を総力特集!~軍艦島ガイド【完全版】~出典/画像元: https://www.gunkanjima-excursion.com/world-heritage/

世界遺産登録は、関係者の長年の努力と、軍艦島の歴史的価値が認められた結果ですね。

今後の保存と活用にも期待したいです。

軍艦島は、日本の近代史の中でも重要な場所であり、その歴史と人々の暮らしについて、より深く理解していく必要があります。

軍艦島は2015年に「明治日本の産業革命遺産製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の一部として世界文化遺産に登録されました

登録には、NPO法人「軍艦島を世界遺産にする会」をはじめとする多くの関係者の尽力がありました。

軍艦島は島全体ではなく、明治時代の石炭掘削坑が登録対象です。

残りの部分は緩衝地帯として、世界遺産の保護区域となっています。

世界遺産登録への道のりは、20世紀末からの産業遺構保存運動から始まりました。

2003年に「軍艦島を世界遺産にする会」が設立され、2006年には経済産業省が世界遺産登録支援を決定。

2008年に暫定リストに登録され、2009年に正式にリスト入りを果たしました。

世界遺産登録までの道のりは、多くの人々の努力があったんですね。軍艦島の価値を未来へつないでいくために、重要な取り組みだと思います。

軍艦島の世界遺産登録

軍艦島は何故世界遺産に?

産業革命の証です

最後に、軍艦島の世界遺産登録に関する現状について見ていきましょう。

世界遺産としての課題にも触れます。

世界遺産委、日本に改善要求決議軍艦島の展示めぐり:朝日新聞

公開日:2021/07/22

世界遺産委、日本に改善要求決議軍艦島の展示めぐり:朝日新聞

✅ ユネスコの世界遺産委員会は、軍艦島を含む「明治日本の産業革命遺産」について、朝鮮半島などから連行され労働を強いられた人々についての日本の説明が不十分だとし、強い遺憾を示す決議を全会一致で採択しました。

✅ 決議は、日本の説明が犠牲者の記憶にとどめるための措置をとると約束したにもかかわらず、犠牲者についての説明が不十分であり、展示が産業遺産の暗い側面についての見学者の判断を助けるような多様な証言を提示していないと指摘しています。

✅ 日本政府は、決議を受け、犠牲者を記憶にとどめるための適切な措置を説明戦略に盛り込むことを考慮に入れるよう求められており、具体的には、犠牲者の説明に特化した情報センターの設置などが挙げられています。

さらに読む ⇒朝日新聞デジタル:朝日新聞社のニュースサイト出典/画像元: https://www.asahi.com/articles/ASP7Q72LJP7PUHBI03G.html

世界遺産登録は、素晴らしい功績ですが、その裏側には様々な課題があることも事実です。

今後の対応が重要ですね。

軍艦島は高い上陸率を誇り、多くの人がその歴史と廃墟の風景を目にすることができる観光スポットです。

軍艦島(端島)は、長崎県長崎市にある約6.3ヘクタールの島で、海底に炭坑を有しています。

1891年に出炭し、採炭量の増加により島の周囲を埋め立て、拡張されていきました。

最盛期の1960年には東京都区部の9倍もの人口密度に達し、世界で最も人口過密な炭鉱コミュニティでした。

1974年の閉山に伴い島民が島を離れてからは、無人島となっています。

軍艦島という名前は、横から見た島のフォルムが軍艦「土佐」に似ていることから名付けられました。

軍艦島の端島炭坑は、「明治日本の産業革命遺産製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つとして、世界遺産に登録されています。

しかし、世界遺産となっているのは炭坑への入り口があった部分のみで、島内の建造物のほとんどは世界遺産ではありません。

軍艦島が世界遺産に登録された理由は、1890年代に西洋の技術が日本の文化や伝統に合う形で発展し、石炭産業における総合的なインフラが整ったこと、非西洋国である日本が急速に産業化し発展していった証であることを示すからです。

特に、石炭産業に関わる施設や遺構は、文化財保護法だけでなく、港湾法や景観法なども組み合わせて保護されていたため、文化庁ではなく、内閣官房の推薦によって登録されています

世界遺産の登録は素晴らしいですが、課題も多いんですね。歴史的事実を正しく伝え、未来へ繋げていくことが大切ですね。

本日は、軍艦島の歴史、生活、労働環境、世界遺産登録についてご紹介しました。

貴重な歴史的遺産である軍艦島について、理解を深めることができたと思います。

🚩 結論!

💡 軍艦島は、日本の近代化を支えた産業遺産であり、世界遺産としての価値を持っています。

💡 過酷な労働環境や、島での生活を通して、近代日本の歴史を学ぶことができます。

💡 世界遺産登録には、多くの人々の尽力があり、今後の保存と活用が課題となっています。