長崎の歴史と文化探訪:潜伏キリシタンから異文化交流までを紐解く旅?長崎の歴史的遺産と異文化交流
禁教と貿易、異文化が交錯した長崎。宣教師ザビエルの来日から潜伏キリシタンの信仰、そして信徒発見まで。長崎版日葡辞書が伝える語学史、多様な文化が花開いた背景とは?貿易と交流が生み出した美術工芸、近代化への歩み。長崎の歴史文化展示ゾーンで、その魅力を体感しよう。
💡 長崎は、キリスト教伝来と潜伏キリシタンの歴史があり、信仰を守り抜いた人々の足跡を辿ることができます。
💡 長崎は、日本における異文化交流の玄関口として、語学、貿易、様々な文化が交錯した場所です。
💡 長崎には、多様な歴史文化と、異国情緒あふれる美しい風景があり、その魅力を堪能できます。
本日は長崎の歴史と文化について、5つの章に分けて詳しくご紹介します。
まずは、長崎の歴史を知る上で欠かせないポイントを3つ、箇条書きでご紹介いたします。
長崎とキリスト教:450年を超える信仰の物語
長崎とキリスト教、どんな関係?
禁教と復活の歴史
長崎は深い歴史を持つ場所ですね。
潜伏キリシタンの方々の信仰心には頭が下がります。
公開日:2024/05/21

✅ 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録されたことを受け、長崎県の地元自治体と観光団体が島々を巡るツアーを企画した。
✅ ツアーでは、平戸島、小値賀島、五島列島、野崎島などを巡り、潜伏キリシタンの歴史や信仰をたどり、キリスト教伝来初期の信仰形態を残している生月島を訪れる。
✅ ツアーを通して、潜伏キリシタンが信仰を守り伝えてきた歴史や文化、そして島々の魅力を体感できる。
さらに読む ⇒(離島経済新聞)出典/画像元: https://ritokei.com/shimabunka/12256潜伏キリシタンの歴史を辿るツアーは、信仰を守り抜いた人々の歴史と文化に触れる貴重な機会ですね。
五島列島など、美しい島々の魅力も堪能できそうです。
1549年、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝来させ、長崎はポルトガル貿易の中心地として発展しました。
多くの領主がキリスト教に改宗し、長崎は「日本の小ローマ」と呼ばれるほど繁栄しました。
しかし、キリスト教の勢力拡大を恐れた豊臣秀吉と徳川家康は禁教令を発布し、厳しい弾圧が始まりました。
キリスト教徒たちは信仰を隠して「潜伏キリシタン」となり、秘密の組織を作り続けました。
しかし、幕府の弾圧は厳しさを増し、多くの潜伏組織は壊滅しました。
1865年、長崎・浦上村の潜伏キリシタンが宣教師に信仰を告白した「信徒発見」を機に、禁教政策は解かれ、キリスト教は復活しました。
しかし、明治政府は再び弾圧を加えました。
現代の長崎県には約6万1千人のカトリック信徒がおり、全国の信徒数の約14%が集中しています。
かつての潜伏集落の多くはカトリック教会となり、生月や外海、五島列島にはわずかに「かくれキリシタン」も残っています。
潜伏キリシタンの歴史は、本当に興味深いですね。私もいつか、長崎の教会巡りをしてみたいです。
長崎の語学:異文化交流の証
長崎で異国語が重視された理由は?
文化交流のため
長崎は、多様な文化が交わる場所であったことがよく分かります。
当時の日本語を知る上で、辞書が重要な役割を果たしていたのですね。

✅ 本書は、現存数が極めて少なく市場に出回る機会も少ない「キリシタン版」の一つである「日葡辞書」について解説しています。
✅ 「日葡辞書」は、1603年から1604年にかけて長崎のコレジョで刊行され、3万を超える言葉を収録した日本語辞典です。ポルトガル語が訳語として採用されているのは、ポルトガルがイエズス会の重要な拠点であり、宣教師にポルトガル話者が多かったためです。
✅ 「日葡辞書」は、当時の日本語の様態や近畿・九州の文化・風習を知る貴重な資料として、多くの研究者から注目されています。現存するものは世界でわずか4部のみで、日本国内にはこれまで原本が所蔵されていませんでした。しかし、近年ブラジルで5冊目の「日葡辞書」が発見され、大きな話題となっています。
さらに読む ⇒青羽古書店洋書・美術書・学術書出典/画像元: https://www.aobane.com/books/1079「日葡辞書」は、当時の日本語を知る貴重な資料であり、現存するものが少ないのは驚きです。
ブラジルで新たな辞書が発見されたのは、素晴らしいですね。
長崎は古くから海外交流の盛んな地であり、様々な文化が交わっていました。
言語は文化交流の基礎となるため、長崎では異国語の習得が重要視されていました。
1603年に長崎のコレジヨで作られた『長崎版日葡辞書』は、32871語もの見出し語が掲載され、当時の日本には近代的な辞書がなかったため、非常に画期的でした。
この辞書の編纂背景には、イエズス会宣教師たちの布教活動がありました。
宣教師たちは、日本人に対してキリスト教を説くために、日本語を学ぶ必要があり、日本語とポルトガル語の辞書が必要だったのです。
また、『長崎洋学史上巻』の語学編には、南蛮船が来航した頃の長崎の様子が描写されています。
長崎学の第一人者である古賀十二郎氏は、当時長崎の人々がポルトガル語を自然に習得していたことを指摘しています。
これらの辞書は、長崎における海外交流の歴史を物語る貴重な資料であり、長崎の語学史を知る上で重要な役割を果たしています。
長崎の語学史は奥深いですね!当時の日本語の様子を知る資料があるのは、すごく興味深いです。
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長崎の歴史文化を凝縮!西洋との出会いから近代化まで、8つのテーマで長崎の魅力を紐解きます。貿易、異文化交流、暮らし…五感で感じる体験も!