「もののあはれ」とは?:日本文化に根付く感情表現の探求?紀貫之から本居宣長へ:感情と美意識の変遷
「もののあはれ」とは?感情を重んじ、日本文化の深層を探求した本居宣長の思想を紐解く。古事記から源氏物語へ、時代を超えた「あはれ」の変遷を辿り、宣長の比較文明論を通して日本人の美意識を考察。恋の歌を愛し、真実の感情を表現することの重要性を説いた宣長の『もののあはれ』論は、現代にも通じる心のあり方を問いかける。
💡 「もののあはれ」は、対象に触れて心が揺さぶられる状態を指す言葉。喜び、悲しみ、共感など、多様な感情を含む
💡 平安時代には繊細な感情表現として洗練され、貴族の美的感性を育んだ。鎌倉以降は仏教思想とも結びつく。
💡 本居宣長は「もののあはれ」を日本文化の核心と捉え、古典文学の解釈を通してその本質を明らかにした。
それでは、まず「もののあはれ」とは何か、その定義と歴史的背景から見ていきましょう。
「もののあはれ」の起源と変遷
「もののあはれ」はどんな感情を表す言葉に発展した?
哀愁、共感、優美
(ありませんでした。
公開日:2024/04/06

✅ 紀貫之は平安時代の貴族で、歌人として有名です。彼は『古今和歌集』の撰者の一人であり、36歌仙の一人でもあります。また、日記文学として最古の『土佐日記』の作者としても知られています。
✅ 紀貫之は『古今和歌集』の編纂において、仮名序を執筆しました。仮名序は和歌の本質や成り立ち、分類、将来像について詳しく解説しており、特に冒頭文は後世で高く評価されています。
✅ 『古今和歌集』は全20巻で構成され、約1110首の和歌が収録されています。その中には作者不詳の歌や、紀貫之、壬生忠岑、凡河内躬恒、紀友則らの歌、在原業平や小野小町などの名手たちの歌などが含まれています。
さらに読む ⇒草の実堂色々なものを調べてみる雑学専門サイト出典/画像元: https://kusanomido.com/study/history/japan/heian/39130/紀貫之の言葉には、当時の人々の感情や価値観が色濃く表れていますね。
文学作品を通して、その時代の人々の心情に触れることができるのは興味深いです。
「もののあはれ」は、古事記や万葉集に見られる「あはれ」から発展したもので、対象に対する賞讃、親愛、共感、哀傷などの詠嘆の声から生まれた。
平安時代には、しみじみとした同情、共感、優美、繊細、可憐といった情緒を表すようになった。
紀貫之の「土佐日記」は、「もののあはれ」を文字に記した最初期の例であり、船頭が文学の情趣を理解せずに酒を飲んでいることを非難する文章の中で、その概念が明確に示されている。
平安時代の「もののあはれ」は、貴族の日常生活における美的情操に関わる生活用語であり、それを「知る」ことは、趣味を理解し世間の情理をわきまえた教養として重んじられていた。
鎌倉時代以降は、「もののあはれ」は仏教の無常観とも結びつき知的な活動をも包含するようになり、江戸時代には浄瑠璃や小説でも用いられるようになった。
そこでは、日常生活における他人への心づかいや同情心が「もののあはれ」として表現されるようになった。
なるほど、紀貫之の時代から「もののあはれ」という概念があったんですね。文学作品を通して、その移り変わりを知るのも面白いですね!
宣長の「もののあはれ」論:日本文化への洞察
本居宣長の「もののあはれ」論は何を重視する?
感情の重要性
(ありませんでした。

✅ 本居宣長は「物語を読むのは人の情を知るため」と考え、その根底には「もののあはれ」という概念がありました。「もののあはれ」とは、人が喜びや悲しみなど様々な感情を感じ、心が揺れ動く際に生まれる「あぁ」という歎息であり、その感情を通して人の心の動きを感じ、理解することです。
✅ 宣長は「もののあはれ」を「人の心」と捉え、和歌や物語を通して、その心の動きを表現し、理解することを重要視していました。そして「もののあはれ」を知ることは、人間が生きていく上で大切な「情」を理解することだと考えていました。
✅ 宣長は「敷島の歌」を通して、自然の美しさに感動する心を「大和魂」と表現しました。これは、自然や文化を通して「もののあはれ」を感じ、心を豊かにすることの重要性を示しています。
さらに読む ⇒歴史チャンネル|気高い生き方を歴史に学ぶ出典/画像元: https://rekishi-ch.jp/column/article.php?column_article_id=110本居宣長の「もののあはれ」論は、単なる感情論ではなく、日本文化の独自性を探求する深い考察ですね。
感情を大切にするという考え方は、現代にも通じるものがあります。
本居宣長の「もののあはれ」論は、中国と日本の文化比較を通して日本人のアイデンティティを探求するものであり、比較文明論的な側面を持つ。
宣長は「もののあはれ」を客観的な存在ではなく、人間の心の動き、特に「感ずる」という深い感動に注目して説明する。
彼は日本人が「もののあはれを知る」ことを重視するのに対し、中国人は「物の道理を知る」ことを重視すると主張し、その理由として中国の社会状況が不安定で、秩序維持のために道理が重視されたのに対し、日本は神の国として人々の心が素直で、感情を自然に表現できたためだと説明する。
宣長は、恋愛や女性の感情といった「もののあはれ」を表現する歌を重視し、中国人がそれを抑圧していることを批判する。
特に、恋を「万のあはれにすぐれて深く人の心にしみて、いみじく堪へがたきわざ」と捉え、日本の歌に恋の歌が多いことを説明する。
また、僧侶の恋歌に対する批判に対しても、歌は道と異なるものであり、必ずしも儒仏の教えに背くものではないと擁護する。
宣長の「もののあはれ」論は、感情の重要性を強調し、日本文化のアイデンティティを感情的な側面から探求したものであり、中国との比較を通して独自の視点と主張を展開している。
宣長先生の論は、日本人の心のあり方を浮き彫りにしているようで面白いですね。中国との比較を通して日本の独自性を語る視点も興味深いです。
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本居宣長の「もののあはれ」論。歌論から源氏物語解釈へ。感情の機微を捉え、日本美学の核心に迫る。現代にも通じる、繊細な心の揺らぎを読み解く。