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山鹿素行と士道:武士の生き方とは? その思想と影響を徹底解説!江戸時代の武士像:士道と新しい価値観

江戸時代の儒学者、山鹿素行。戦乱終結後の武士像「士道」を提唱!権威に屈せず義を貫く「大丈夫」を理想とし、朱子学批判から『論語』へ回帰。武士は品格と道徳を重んじ、社会の師範たれ!彼の思想は、武士道から江戸時代的価値観への転換点。素行の教えから、武士の新たな役割と日本社会の深層を読み解く。

山鹿素行と士道:武士の生き方とは? その思想と影響を徹底解説!江戸時代の武士像:士道と新しい価値観

📘 この記事で分かる事!

💡 山鹿素行は、朱子学を批判し、孔子の教えに立ち返る古学を提唱しました。武士道に代わる士道を提唱し、武士の新たな役割を示しました。

💡 江戸時代の武士は、平和な時代の中で、政治や教育に携わるようになり、士道を通して、人々の模範となる生き方を求められました。

💡 本記事では、山鹿素行の思想である士道と、それが江戸時代にもたらした影響について、詳しく解説していきます。

それでは、山鹿素行と士道について、詳しく見ていきましょう。

まずは、第一章からご紹介します。

山鹿素行と士道:武士の役割と新しい価値観

山鹿素行が提唱した「士道」とは?

武士の新しい生き方

武士の役割が変化していく中で、山鹿素行が提唱した士道は、武士が社会の中でどのように生きていくべきかを示しました。

山鹿素行の「士道」が定義する、平和な時代の武士の職分
山鹿素行の「士道」が定義する、平和な時代の武士の職分

✅ 江戸時代の武士は、戦闘者としての役割が減少し、儒学を学ぶことが重要視されるようになった。

✅ 武士は、給与制によって生活を支えられ、戦闘準備や生活費として米を支給されていたが、平和な時代にはその必要性が薄れ、贅沢に使う武士も現れた。

✅ 武士は、戦闘者としての役割に加え、政治行政への進出や、儒教的な思想に基づいた「人間性を磨いて人々のお手本になる」という役割を担うことで、自身の存在意義を見出していった。

さらに読む ⇒煉誠館大東流合気武術・神変自源流居合術の古流武術道場大阪、奈良を中心に活動出典/画像元: https://rensei-kan.com/blog/%E5%B1%B1%E9%B9%BF%E7%B4%A0%E8%A1%8C%E3%81%AE%E3%80%8C%E5%A3%AB%E9%81%93%E3%80%8D%E3%81%8C%E5%AE%9A%E7%BE%A9%E3%81%99%E3%82%8B%E3%80%81%E4%BA%BA%E6%A0%BC%E3%81%AE%E5%90%91%E4%B8%8A%E3%81%AB%E3%82%88/

山鹿素行の士道は、武士が単なる戦闘者ではなく、人々の模範となる存在であるべきだと説いた点が印象的です。

これは、平和な時代における武士の新たな役割を示唆しています。

江戸時代の儒学者、山鹿素行は、戦乱終息後の武士のあり方を「士道」として提唱しました。

士道は、武士が天下の賤民ではなく、三民の師範としての職務を全うすべきだと主張し、権威に屈せず、義心を貫き、命をかけても物事をやり遂げる強い意志を持つ人物像(大丈夫)を理想として示しました。

素行は、朱子学が孔子の教えを歪めていると批判し、直接『論語』を学ぶことを提唱しました。

また、武士は「食わねど高楊枝」の精神で、たとえ貧しくとも、身分に見合った品格と行動を心がけるべきであると説きました。

これは、戦乱の世が終わった江戸時代において、武士が生き残っていくために必要な新しい価値観であったと言えるでしょう。

素行の思想は、武士道を中心とした戦国時代の価値観から、社会全体の秩序と道徳を重視する江戸時代の価値観へと移行していく過程を反映しています。

彼の思想は、武士のあり方だけでなく、当時の社会構造や価値観を理解する上で重要な役割を果たしています。

山鹿素行の思想は、現代にも通じるものがありますね。武士道とは違う、社会全体のことを考えた士道という考え方は興味深いです。

儒学と国学:日本の思想を彩る二つの潮流

江戸時代の日本思想は、様々な学派を生み出しました。儒学者たちはどんな思想を提唱したのでしょうか?

朱子学、陽明学、古学など

中江藤樹の陽明学が、日本でどのような影響を与えたのか、興味深いですね。

実践を重視した教えは、当時の人々に大きな影響を与えたことでしょう。

中江藤樹(〜江戸時代初期の儒学者陽明学の祖)『藤樹規』の名言今週の防災格言
中江藤樹(〜江戸時代初期の儒学者陽明学の祖)『藤樹規』の名言今週の防災格言

✅ 中江藤樹は、日本の陽明学の祖であり、近江国小川村で生まれ、9歳で養子に出されました。

✅ 彼は後に郷里に戻り、藤樹書院を開き、熊沢蕃山や淵岡山など多くの門人を育てました。

✅ 藤樹は、天命を畏れ徳性を尊ぶことを人生の指針とし、その教えは「持敬」と「進修」を重視していました。

さらに読む ⇒防災意識を育てるマガジン「思則有備(しそくゆうび)」出典/画像元: https://shisokuyubi.com/bousai-kakugen/index-260

儒学と国学、それぞれが日本の思想にどのように影響を与えたのか、理解が深まりました。

特に、林羅山や中江藤樹、山鹿素行など、多様な思想家が登場し、日本の思想を豊かにしたことが分かります。

江戸時代~近現代の日本思想では、儒学者と国学者が活躍しました。

儒学者は、朱子学、陽明学、古学など様々な学派を生み出し、社会や文化に大きな影響を与えました。

林羅山は朱子学を官学化し、上下定分の理に基づく身分秩序を重視した思想を展開しました。

中江藤樹は朱子学への批判から生まれた陽明学を日本に紹介し、実践を重視し、孝と良知に基づく知行合一を説きました。

山鹿素行は朱子学の抽象性を批判し、周公・孔子の教えに立ち戻った古学を提唱し、武士のあり方である士道を確立しました。

中江藤樹の陽明学は、実践を重視したんですね。林羅山や山鹿素行も、それぞれ違った形で思想を表現していて面白いですね。

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国学と古学、日本の精神を探求!本居宣長は古事記研究、山鹿素行は士道を提唱。武士の新しい役割と道徳観を提示。