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ルイス・フロイスが見た織田信長とは?人物像と多面性を徹底解説!(謎?)フロイスの見た信長像:人物像と性格

16世紀、日本に渡来した宣教師ルイス・フロイスが見た織田信長。冷酷なイメージとは裏腹に、正義感や慈悲深さも持ち合わせた多面的な人物像を描き出す。戦術に長け、家臣に畏敬されながらも、神仏を軽蔑し、合理的な思考を持つ。フロイスの記録は、信長の粗末な服装から、時計を断る姿まで、その複雑な性格と、生きた時代を鮮やかに伝えている。

ルイス・フロイスが見た織田信長とは?人物像と多面性を徹底解説!(謎?)フロイスの見た信長像:人物像と性格

📘 この記事で分かる事!

💡 ルイス・フロイスが『日本史』で記した織田信長の人物像。信長の性格、嗜好、行動を多角的に分析。

💡 信長の潔癖さ、合理主義、家臣との関係性。フロイスの視点から見た信長の多面的な姿を解説。

💡 信長の残虐性だけではない、慈悲深さや統率力。フロイスが記録した信長の人間性に迫ります。

本日は、織田信長を同時代に観察したルイス・フロイスの著書『日本史』を通して、信長の人物像に迫りたいと思います。

まずは、この記事でわかることの要点をお伝えします。

フロイスが見た織田信長の姿

フロイスが見た信長はどんな人物だった?

多面的で複雑

本章では、フロイスが『日本史』で記した信長の人物像について解説します。

信長との出会いから、その人間性に迫ります。

宣教師ルイス・フロイスが見た織田信長「信長の印象は強烈だった」

公開日:2024/07/02

宣教師ルイス・フロイスが見た織田信長「信長の印象は強烈だった」

✅ ルイス・フロイスは、織田信長の人物像を「日本史」の中で、信長との出会い、潔癖な性格、そして性格や嗜好などの多角的な視点から描写しています。

✅ フロイスは信長との初対面で、信長の建築現場での指揮ぶりや厳格さ、そして信心深い都の人々に対する大胆な行動を目の当たりにし、その印象を詳細に記録しました。

✅ フロイスは信長が贈り物に対しては、気に入ったもの以外は受け取らなかったこと、そして目覚まし時計を修理できないという理由で返却したことから、信長の潔癖さを指摘しています。また、フロイスは信長を事実上の権力者と認識し、将軍足利義昭よりも信長に敬意を表していました。

さらに読む ⇒草の実堂色々なものを調べてみる雑学専門サイト出典/画像元: https://kusanomido.com/study/history/japan/sengoku/ieyasu/66678/

フロイスの記録から、信長の多面的な性格が浮き彫りになりますね。

建築現場での姿、潔癖さ、そして家臣からの畏敬の念…残虐なイメージとは異なる側面も見えてきます。

ルイス・フロイスは、16世紀に日本に渡来したイエズス会の宣教師であり、織田信長の同時代人として、信長の姿を詳細に記録しています。

フロイスは信長と1569年に二条御所の建築現場で出会い、信長の強烈な印象を受けました。

信長は、建築用の石が不足すると墓石や石仏を粉砕して使うなど、信心深い住民にとって衝撃的な行動をとっていました。

フロイスは信長の潔癖な面も記録しており、贈り物を受け取っても気に入らないものは突き返していたといいます。

信長は、フロイスに対して布教を許可するなど、寛容な側面も持ち合わせていました。

フロイスは『日本史』という著作の中で、信長の性格、嗜好、考え方などを記述しています

信長は名誉心に富み、正義感が強く、貪欲ではなく、時に人情味や慈愛を示すこともあったものの、侮辱された者は許さず、懲罰を与えたとされています。

フロイスは信長を、戦を好み、戦術に長けた人物として描写しており、信長が家臣から畏敬の念を持たれていたことも記録しています。

フロイスの記録を通して、織田信長は残虐なイメージとは異なる、多面的な人物であったことがわかります。

信長の多面的な姿を、当時の記録から読み解くのは非常に興味深いですね。フロイスの視点を通して、歴史の人物を深く理解できるのは素晴らしいと思います。

信長の複雑な性格

フロイスは信長をどんな人物と評したか?

冷酷で、慈悲深い

本章では、信長の複雑な性格について掘り下げます。

フロイスの観察眼を通して、信長の人間性に迫ります。

完訳フロイス日本史②信長とフロイス織田信長篇Ⅱ
完訳フロイス日本史②信長とフロイス織田信長篇Ⅱ

✅ 本書は、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが著した「日本史」の第2巻「信長とフロイス 織田信長篇Ⅱ」で、フロイスの観察と描写を通して、織田信長の個性や人間像が生き生きと描かれている。

✅ フロイスは信長と親密な関係を築き、その観察眼から得られた信長に関する興味深い記述が多数含まれている。特に、信長と仏僧との激越な論争や、南蛮寺建立の顛末など、当時の信長の宗教観や政治戦略が垣間見える内容となっている。

✅ 本書は信長の人物像だけでなく、当時の社会状況や宗教情勢、さらにはフロイス自身の日本での活動についても詳細に記されており、当時の日本を知る上で貴重な資料となる。

さらに読む ⇒中央公論新社出典/画像元: https://www.chuko.co.jp/bunko/2000/02/203581.html

フロイスの記述からは、信長の様々な顔が浮かび上がりますね。

粗暴さ、名誉心、そして正義感。

矛盾する要素が同居しているところが興味深いです。

ルイス・フロイスは、織田信長を「ヒョロッとやせ形で、ヒゲは少なく、声は甲高い、武芸を好み下品で荒々しく、お酒はほとんど飲まない」と記述しています。

彼は、信長を戦を好み、名誉に富み、正義において厳格で、とても性急で激昂しやすい人物と評し、同時に戦術には老練で、戦況が悪くても忍耐強く、困難な事に当たるときは大胆不敵だったと述べています。

信長は、自らの見解に尊大で、侮辱を許さず、家臣の忠告には従わず、畏敬されていた一方、身分の低い家来とも親しく話し、神や仏を軽蔑し、日本の有力者達を上から目線で見ていたとされています。

フロイスは、信長について「正義感と慈悲に関係ある事は喜んで実行する男」とも評しており、信長公記では、信長が体に障害のある男のために小屋を建て、食料を与えたエピソードが紹介されています。

これらの記述から、信長は冷酷なイメージとは別に、正義感や慈悲心を持つ複雑な人物であったことがわかります。

彼の性格は多面的で、その行動原理は単純な残忍さだけでは説明できない、複雑なものであると考えられます。

信長の人間性の複雑さ、矛盾した部分に惹かれます。冷酷なイメージだけでは語れない、魅力的な人物ですね。

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