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光州民主化運動とは?韓国現代史における転換点(光州事件)光州民主化運動の背景と、その後の韓国社会への影響

1980年、韓国・光州で起きた民主化運動。全斗煥軍事政権に抵抗する市民は、軍の武力弾圧に立ち向かった。学生への暴行に端を発し、市民軍が結成されるも、軍は徹底的な弾圧で応じた。数多くの犠牲者と、歪められた報道。しかし、この悲劇は、韓国社会の民主化への強い意志を燃え上がらせた。光州事件は、今もなお、民主主義の真の意味を問いかける。

光州民主化運動とは?韓国現代史における転換点(光州事件)光州民主化運動の背景と、その後の韓国社会への影響

📘 この記事で分かる事!

💡 1980年に韓国の光州で発生した、軍事政権に対する市民の民主化要求運動について解説します。

💡 全斗煥を中心とした軍事政権の成立と、光州民主化運動が激化した背景を説明します。

💡 光州民主化運動の終結と、その後の韓国社会への影響、民主化への貢献について考察します。

光州民主化運動の背景、勃発、そしてその後の影響について、深く掘り下げていきましょう。

光州民主化運動の勃発

光州事件、市民はなぜ立ち上がった?

民主化を求めて

それでは、光州民主化運動勃発前の、韓国の政治状況から見ていきましょう。

時勢造惡人?全斗煥如何憑「朴正熙之死」篡奪南韓

公開日:2021/12/02

時勢造惡人?全斗煥如何憑「朴正熙之死」篡奪南韓

✅ 全斗煥は1979年10月26日に起きた朴正熙大統領暗殺事件の合同搜查本部長として、事件の調査と情報公開を行ったことで政治舞台に躍り出た。彼は事件後、朴正熙大統領の信頼を得ていたことを背景に、国民への印象操作を行い、政権を掌握するに至った。

✅ 民主化後、全斗煥は狡猾で野心的な人物として描かれ、彼の政権は暴政と腐敗のイメージが強い。一方で、朴正熙は一部の人々から功績者として評価されている。

✅ 外国のジャーナリストは、全斗煥を冷酷で非情な人物として描写している。彼の性格は陰気で、そのせいで人気もなかった。また、家族の財産問題なども批判されている。

さらに読む ⇒轉角國際出典/画像元: https://global.udn.com/global_vision/story/8663/5931951

全斗煥氏の政権掌握までの過程、そしてその後の彼の評価について、複雑な思いを感じます。

1980年5月18日、光州で発生した民主化運動は、市民による自衛権の発動と戒厳軍の残虐行為が交錯する中で、次第に激化していきました。

背景には、1979年10月26日の朴正熙大統領暗殺事件があり、その後、全斗煥ら新軍部は権力を掌握しようとしました

市民は民主化を求め、戒厳令解除などを要求しましたが、新軍部は武力鎮圧で応じました。

光州では、軍による学生への暴力的な取り締まりに市民が反発し、デモが拡大。

軍の無差別発砲によって多くの死者が出ました。

市民たちは武器を手に入れ、軍と対峙し、一時は市の中心部を掌握するまでに至りました。

しかし、最終的には軍の圧倒的な武力により運動は鎮圧され、多くの犠牲者を出しました。

なるほど。全斗煥氏の人物像や、それを取り巻く状況が、光州民主化運動の背景にあったんですね。

市民の決意と運動の転換点

光州5.18で市民はどのような決断を迫られましたか?

抗争か武装解除か

次に、市民がどのようにして運動を継続し、転換点を迎えたのかを見ていきましょう。

光州!光州!決定韓國命運,光州民主化運動全記錄
光州!光州!決定韓國命運,光州民主化運動全記錄

✅ 本書は1980年の光州民主化運動を記録した、韓國の代表的な作家黃晳暎が執筆した書籍。

✅ 光州事件の真相、特に市民の視点と証言を詳細に記録し、戒嚴時期の地下暢銷書として重要な役割を果たした。

✅ 本書は韓國の民主化運動の歴史を理解するための重要な資料であり、光州事件を題材にした映画やドラマなど、数多くの作品を生み出すきっかけとなった。

さらに読む ⇒購物出典/画像元: https://24h.pchome.com.tw/books/prod/DJAP47-A900I6VJ3

市民が団結し、民主化への強い意志を示したことが印象的でした。

その決意が、後の運動に繋がったのですね。

5月22日には、市民代表、学生代表らによる収拾委員会が組織され、戒厳軍との交渉を進めながら治安維持に努めました。

しかし、戒厳軍は再び光州に侵攻する準備を進めており、市民は闘いを続けるか、それとも武装解除を選ぶかで意見が対立しました。

一部の市民たちは、国民の命を守るため、そして民主化運動の真実を守るため、抗争を続けることを決意しました。

一方、他の市民たちは、さらなる犠牲を避けるため、そして光州市民の命を守るために、武装解除を求めました。

そして、最終的には、光州市民による「夜学」活動を行っていた尹祥源を中心とした大学生グループが、抗争派と収拾派の対立を収拾しました。

彼らは、5月25日に「民主市民闘争委員会」を結成し、市民軍による「80万民主市民の決議」を発表しました。

この決議は、過渡政府への責任追及、戒厳解除、全斗煥の公開処断、民主人士の釈放、真の民主政府樹立などを訴え、光州5.18を単なる抗争ではなく、民主化運動へと位置付けました

市民たちの連帯と、自分たちの権利を守ろうとする強い意志に感動しました。本当にすごいですね。

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1980年、韓国・光州で起きた民主化運動。軍の弾圧と市民の抵抗。事件は韓国民主化の転換点となり、今もなお記憶に刻まれる。