明治時代の盆踊り:禁止から復活、そして変化?禁止された盆踊り、弾圧と抵抗の歴史
明治時代、西洋化の波は盆踊りにも!風紀を乱すとして禁止・規制された過去を紐解く。若者は巡査を川へ?過激な事件も。夜通し踊り明かした時代、男女の出会いの場だったという証言も。現代のフェスや集会に通じる自由な楽しみを制限した政府。盆踊りの歴史を通して、明治という激動の時代と、現代とのギャップを浮き彫りにする。
明治時代の変化と盆踊りの進化
明治時代、盆踊りはどんな変化に直面した?
変化に翻弄されながら進化
さて、盆踊りの変化について見ていきましょう。
時代の中で、どのような変化があったのでしょうか。

✅ 明治維新後、西欧化政策の影響で、旧習である盆踊りが風紀を乱すとして禁止された。しかし、地方ではしぶとく残り、男女の交流の場として根強く続いた。
✅ 明治中期以降、盆踊りの規制は緩和され、再び活発化した。しかし、徹夜踊りは減少し、歌詞も卑猥なものは現代的なものに改められるなど、変化が見られた。
✅ 盆踊りは、娯楽の場であると同時に、男女の出会いの場としての役割も担っていた。しかし、産業革命の影響で、新たな娯楽が登場し、盆踊りは徐々に衰退していった。
さらに読む ⇒盆踊りの世界出典/画像元: https://www.bonodori.net/rekishi/06-2/盆踊りも、時代の流れに合わせて変化していったんですね。
人々の娯楽に対する考え方も変わっていったことが分かります。
明治時代は、人口増加、寿命の増加、学校教育の普及、産業革命による社会構造の変化、そして戦争など、様々な変革が起きた時代でした。
盆踊りも、この時代の変化に翻弄されながらも、独自の進化を遂げてきたと言えるでしょう。
盆踊りは、単なる娯楽以上の意味を持っていたんですね。時代の変化の中で、どのように人々に受け入れられていったのか、興味深いです。
明治時代の盆踊り:弾圧と抵抗
明治時代の盆踊りはどんな扱いを受けていた?
弾圧されていた
続いて、盆踊りの弾圧と抵抗について見ていきましょう。
どのようなことが起きていたのでしょうか。

✅ 明治時代に、風紀を乱すとして盆踊りが弾圧された一方で、実際には多くの地域で盆踊りが盛んに行われ、警察が中止を呼びかけると若者たちが警察官を川に放り込むなど、激しい抵抗があった。
✅ 大正2年の和歌山では、盆踊りを止めるように説得に行った巡査が、罵倒され、危険を感じた巡査が抜刀して負傷者が出る事件も発生している。
✅ これらの出来事は、当時の盆踊りが、単なる娯楽ではなく、人々の重要な交流の場であり、それを守ろうとする強い意志があったことを示している。
さらに読む ⇒国内最大級のまとめメディア出典/画像元: https://togetter.com/li/2081601盆踊りに対する人々の強い思いが伝わってきますね。
単なる娯楽以上の、地域社会にとって重要な役割を担っていたのでしょう。
白土晴一氏は、「WatchDogsTokyo」の作者であり、設定考証稼業として「ヨルムンガンド」「ジョーカー・ゲーム」「プリンセス・プリンシパル」などの作品に参加している。
氏は、明治時代に風紀を乱すという理由で盆踊りが弾圧された歴史を紹介し、巡査が盆踊り中止を叫ぶと、若者たちが巡査を川に放り込むなどの過激な事件があったとツイートした。
大正2年の和歌山では、盆踊りを止めようとした巡査が罵倒され、抜刀して負傷者が出る事件も発生した。
このツイートは、多くの人から反響を呼び、「DJポリスが川に放り込まれる」などのユーモアなコメントや、風営法ダンス規制に通じるものを感じるというコメント、江戸時代には盆踊りが街コンや逢い引きの場だったというコメントなどが寄せられた。
さらに、戦前は盆踊りが若い男女の出会いの場として機能していた地域もあり、田舎が政府に対してバイオレンスな抵抗運動をしていたというコメントも寄せられた。
盆踊りが乱交パーティだったという主張や、昔の盆踊りが朝まで続いていたという証言も紹介され、盆踊りに対する当時の社会の考え方や、現代とのギャップが浮き彫りになった。
当時は、盆踊りが人々の交流の場として、とても大切なものだったことが分かりますね。抵抗の様子から、その熱意が伝わってきます。
明治時代の盆踊り禁止令:背景と影響
明治初期、なぜ盆踊りが禁止されたの?
儒教的価値観による風俗の乱れ防止
最後に、盆踊り禁止令の背景と影響について見ていきましょう。

✅ 明治時代に盆踊りが禁止された理由として、当時の政府は、盆踊りが「下賤の者」の影響で風紀を乱し、若者や子供たちが仕事をしなくなることを危惧していた。
✅ 当時の盆踊りでは、男女が自由に交流し、乱交が行われるなど、現代とは異なる開放的な場であった。特に、盆踊りの場は「男女混合」することで「すこぶるわいせつ」であるとされ、禁止された。
✅ 盆踊りの禁止は、単に風紀の乱れを理由としただけでなく、政府が社会秩序を維持し、国民を管理しようとした政治的な意図もあったと考えられている。
さらに読む ⇒出典/画像元: https://home.kingsoft.jp/news/amusing/nazology/170640.html政府の意図と民衆の文化に対する思いが対立していたんですね。
現代の価値観とは異なる部分も多く、興味深いです。
明治初期、政府は盆踊り禁止令を発布し、男女の集会、裸体や奇抜な服装、楽器演奏、街中での踊りなどを禁じました。
これは、現代のフェスやカーニバル、コンサート、ハロウィン、お祭り、集会、デモなどに該当する可能性があり、民衆の集まりや交流、自由な楽しみ、開放性、表現の機会を制限したと言えるかもしれません。
当時の政府は、儒教思想に基づき、風俗の乱れを恐れ、秩序と道徳性を重視したと考えられます。
この禁止令は、新しい国家を建設する明治政府にとって、儒教的な価値観を重視する「儒魂洋才」の一環であり、伝統的な日本文化の一部が弾圧されたことを示しています。
今の時代からは想像もつかないような禁止令ですね。当時の社会状況を理解するために、とても重要な情報ですね。
本日は、明治時代の盆踊りの歴史を振り返りました。
禁止から復活、そして変化していく様子を通して、当時の社会の一面が見えてきました。
💡 明治時代、盆踊りは風紀を乱すとして禁止されましたが、地方では抵抗し、根強く存続しました。
💡 政府の政策と人々の文化への思いが対立し、盆踊りは変化を遂げながらも、社会の中で役割を果たしました。
💡 盆踊りを通して、明治時代の社会情勢や人々の価値観、文化の変遷を理解することができます。