特攻作戦とは?大西瀧治郎の決断と、その悲劇を紐解く(?)特攻作戦の始まりと終焉
太平洋戦争末期、日本軍は劣勢を覆すため特攻作戦を決行。若者たちが命を懸け、敵艦に体当たりする悲劇は、戦況を変えるには至らなかった。神風特攻隊の戦果は過小評価される傾向にあるが、その実態を様々な資料から検証する。特攻兵器『剣』に見る、戦争の残酷さ。生還を前提としない作戦は、何をもたらしたのか。現代に問いかける、戦争の真実。
💡 太平洋戦争末期、劣勢を覆すために考案された特攻作戦は、多くの悲劇を生みました。
💡 特攻作戦の背景には、大西瀧治郎中将の苦悩と、時代の要請がありました。
💡 特攻兵器の開発と、それに伴う兵士たちの苦悩、そして犠牲について解説します。
本日は、特攻作戦の始まりから終わりまでを、様々な視点から掘り下げていきます。
特攻作戦の始まり
特攻作戦はどの程度の戦果を挙げたのか?
戦果は期待を下回った
特攻作戦は、日本軍が絶望的な状況の中で行った作戦であり、その背景には様々な要因が複雑に絡み合っています。
公開日:2020/08/20

✅ この記事は、太平洋戦争末期の特攻隊を推進した大西瀧治郎の決断と、その背景について解説しています。
✅ 大西は、日本が劣勢に追い込まれる中で、残り少ない戦闘機を敵艦に体当たりさせる「特攻」という作戦を決断しました。これは、飛行機や資材、燃料が不足する中で、敵の航空母艦などを攻撃する手段として考え出されたものでした。
✅ 特攻作戦は、当初は敵を震え上がらせるほどの効果を発揮しましたが、次第に飛行機の不足や操縦士の未熟さ、敵の対策が進んだことなどから、効果は薄れていきました。大西自身も特攻を「統率の外道」と表現していたように、この作戦には強い苦悩があったと考えられます。
さらに読む ⇒丹波新聞井戸端会議の主役になれる出典/画像元: https://tanba.jp/2018/09/%E3%80%8C%E7%89%B9%E6%94%BB%E9%9A%8A%E7%94%9F%E3%81%BF%E3%81%AE%E8%A6%AA%E3%80%8D%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E7%80%A7%E6%B2%BB%E9%83%8E%E3%80%8014%E6%AD%B3%E5%BD%93%E6%99%82%E3%81%AE%E4%BD%9C%E6%96%87%E4%BF%9D/特攻作戦は、日本軍の劣勢を象徴するものであり、その戦果と犠牲は、今も多くの議論を呼んでいます。
1944年10月、レイテ島の危機的状況を打破するため、大西瀧治郎中将は『特攻』作戦を発案しました。
特攻隊の初出撃は同年10月25日で、レイテ島で24名の若者がアメリカ軍空母を目指し飛び立ちました。
この攻撃により、アメリカ軍空母1隻が撃沈、5隻が破損したとされます。
特攻はその後、日本軍の中心的戦略となり、終戦までに2149機の特攻機が突入しました。
しかし、米軍発表では、特攻による沈没は48隻、損傷は310隻と、戦争全体で見れば微々たるものです。
特攻の命中率は18.6%と、戦果は期待を大きく下回りました。
一方で、特攻はアメリカ軍兵士に大きな心理的影響を与え、恐怖や敵意を植え付けたともされています。
特攻作戦の背景にある大西瀧治郎中将の苦悩や、作戦の推移が詳細に解説されていて興味深いです。
特攻作戦の実施
特攻はなぜ実行されたのでしょうか?
やむを得ず実行された苦肉の策
特攻作戦は、軍上層部の思惑と、現場の兵士たちの思いが交錯する中で行われました。

✅ 大西瀧治郎中将の遺書は、特攻隊員への謝罪と、生き残った若者への「諸子は国の宝なり」という願いが込められている。
✅ 大西中将は、無条件降伏に反対し、全軍特攻を提唱するなど、徹底抗戦を主張していたが、遺書では軽挙妄動を戒め、生き残った若い者に国の宝であると語りかけ、特攻隊のような精神でこれからの日本を建設し、世界平和のために努力することを訴えている。
✅ 遺書には、大西中将の特攻隊に対する深い悲しみと、戦争の悲劇を繰り返さないという強い意志が感じられる。
さらに読む ⇒文春オンライン世の中の「ほんとう」がわかります出典/画像元: https://bunshun.jp/articles/-/72715大西中将の遺書からは、特攻作戦に対する深い悲しみと、未来への希望が感じられます。
特攻は軍上層部からも当初は反対されていましたが、戦争の長期化と劣勢状況から、やむを得ず実行された側面があります。
大西中将自身も、特攻が勝利に導くとは考えておらず、天皇陛下に戦争停止を促すための苦肉の策であったとも伝えられています。
しかし、特攻は天皇に戦争停止を促すには至りませんでした。
特攻は時代の流れと軍部の暴走によって引き起こされた悲劇であり、戦況打開というよりは、自国の損失を抑えるための手段であったと考えられます。
特攻作戦は、時代の流れと軍部の思惑によって引き起こされた悲劇だったんですね。
次のページを読む ⇒
太平洋戦争末期の特攻作戦。若き兵士たちの命を奪った悲劇を、兵器開発や戦果の分析を通して検証。戦争の残酷さと、歴史を正しく捉えることの重要性を問う。