村正の謎?切れ味と妖刀伝説で紐解く、戦国時代の刀(村正、徳川家康、妖刀)徳川家に仇なす妖刀、村正の真実を探る
切れ味抜群!戦国武将を魅了し、徳川家康を翻弄した妖刀「村正」。武士に愛された実用刀は、なぜ「妖刀」と呼ばれるようになったのか? 斬新な作刀技術と数々の伝説が織りなす、日本刀のミステリーに迫る。 歴史と伝説が交錯する、村正の真実とは?
💡 村正は、高い切れ味で知られる刀工集団とその刀であり、戦国時代に武士の間で人気を博しました。
💡 徳川家康の祖父や父が村正によって命を落としたことから、徳川家にとって不吉な刀とされました。
💡 村正は、その切れ味と妖刀伝説から、現代でも人々の興味を引きつけ、様々な解釈がされています。
それでは、村正の歴史と、その妖刀伝説について、詳しく見ていきましょう。
村正 戦国時代の刀工集団とその刀
村正はどんな刀だった?
実戦用、切れ味鋭い
村正についてですね!切れ味鋭い刀として名を馳せた一方で、徳川家との不吉な因縁により「妖刀」と恐れられた刀ですね。
公開日:2022/08/11

✅ 「妖刀・村正」は、徳川家に不幸をもたらしたとされる刀であり、その切れ味、徳川家への呪い、数値化できない切れ味、他の刀とは異なる痛みなど、様々な理由から「妖刀」と呼ばれています。
✅ 「村正」は室町時代から江戸時代初期にかけて三重県桑名で作られた刀で、切れ味と実用性に優れていたことから、その切れ味を指して「妖刀」と呼ばれるようになりました。
✅ 徳川家康の祖父や父、嫡男、正室など、多くの徳川縁者が「村正」によって命を落としたことや、幕府に反する勢力も「村正」を所持していたことから、徳川家だけでなく幕府をも呪う刀として恐れられてきました。
さらに読む ⇒草の実堂色々なものを調べてみる雑学専門サイト出典/画像元: https://kusanomido.com/study/history/japan/edo/60477/切れ味と実用性を兼ね備えた刀として、戦国時代に活躍した村正。
徳川家との因縁がなければ、また違った評価になっていたかもしれませんね。
村正は、伊勢国桑名(現在の三重県桑名市)を拠点とした刀工一派とその作品のことです。
初代は1501年頃に活動した「千子村正」で、その切れ味は古今無双と称され、徳川家康の生誕地である三河国の武士たちに愛用されていました。
村正は、正宗の「相州伝」と美濃伝の影響を受け、地鉄は板目肌、刃文は箱乱、三本杉、湾れのいずれかで、表裏の刃文が揃っているのが特徴です。
茎はタナゴ腹と呼ばれる形状をしています。
村正は、戦国時代の実用品として作られた刀であり、博物館に展示されるような美しい刀というよりは、戦の役に立つ刀でした。
そのため、現代の目利きから「全体的に垢抜けない」「日常使いの品」と評価されることもあります。
村正は室町時代から江戸初期にかけて伊勢国(三重県)桑名に存在した刀工集団の名称であり、彼らが作った刀も「村正」と呼ばれています。
初代と2代目の活躍は戦国時代にあたり、安価ながらも切れ味が鋭い刀を大量生産し、武士の間で人気を博しました。
桑名はもともと平和な土地柄でしたが、戦乱が拡大したことで、刀の需要が高まり、村正が台頭したと考えられています。
初代村正は、文亀元年(1501年)に作刀したことが確認されており、鋭い刃を持つ「互の目」が特徴です。
2代目は初代よりも優れた技術を持つとされ、刀だけでなく短刀や槍なども製作しました。
村正は、実戦での使用を重視した刀であり、現代でもその切れ味や技術の高さが高く評価されています。
なるほど、村正は戦国時代の実用刀だったんですね!普段使いの品って評価は面白いですね!
村正と徳川家康 伝説と現実
村正はなぜ妖刀と呼ばれた?
家康一族への不幸伝説
はい、妖刀と呼ばれるようになった背景には、様々な出来事があったようです。

✅ 村正は、その切れ味と美しい刀身から、多くの武士に愛された名刀ですが、徳川家康は家臣への村正の帯刀を禁止しました。
✅ 家康の祖父・松平清康が村正によって命を落とした「守山崩れ」という事件が原因であり、村正は「妖刀」と呼ばれるようになったと言われています。
✅ 村正が妖刀と呼ばれるようになった背景には、清康への内通疑惑や、家康の父・松平広忠の暗殺未遂事件など、徳川家と村正の複雑な因縁が絡み合っています。
さらに読む ⇒日本文化と今をつなぐウェブマガジン出典/画像元: https://mag.japaaan.com/archives/85759徳川家康にとって不吉な刀とされた村正。
家康は刀の帯刀を禁止し、その後の歴史にも大きな影響を与えましたね。
村正は、日本刀の中でも特に有名な刀剣のひとつであり、徳川家康との因縁深い「妖刀」として知られています。
村正が妖刀と呼ばれるようになった理由は、家康とその近親者に不幸をもたらしたという伝説が語り継がれているからです。
家康の祖父である松平清康、父である松平広忠、長男である徳川信康、そして妻である筑山御前が、村正によって命を絶たれたと言われています。
さらに、家康自身も村正によって2度傷を負ったという話も伝えられています。
これらの出来事から、村正は家康にとって不吉な刀として認識され、妖刀と呼ばれるようになったと考えられます。
しかし、村正はあくまでも刀であり、その刀を扱う人間の意思によってその運命が決まります。
家康の側近である酒井忠次と本多忠勝は、村正を愛用していました。
これは、村正が必ずしも悪意のある刀ではないことを示唆しています。
村正の伝説は、歴史と伝説が複雑に絡み合い、様々な解釈を生み出しています。
村正が本当に妖刀なのか、それともただの刀なのか、その答えは人それぞれでしょう。
妖刀って聞くと怖いけど、使う人によって運命が変わるって考えたら、ちょっとロマンがありますね!
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切れ味抜群の刀「村正」。徳川家を呪った妖刀伝説は真か? 優れた刀剣ながら、政治的思惑で妖刀扱いされた背景と、現代に語り継がれる神秘の魅力に迫る。