花山天皇の悲劇と権力抗争:出家への道は?『光る君へ』に見る花山天皇と平安時代の権力闘争
17歳で即位した花山天皇。儚くも激動の生涯は、藤原兼家の策略により幕を開ける。愛する女性の死、権力争い、裏切り…出家へと追い込まれた天皇の運命を描く。ドラマ『光る君へ』で描かれる、平安時代の闇と光。権力者の思惑、揺れ動く人間の心、そして天皇のその後。歴史の裏側に隠された真実が、今、明らかになる。
💡 花山天皇は、藤原兼家の陰謀により退位、出家させられる。兼家は孫を天皇にしたいと考えた。
💡 花山天皇の出家は、権力闘争の激化を招き、藤原氏の勢力拡大に繋がった。
💡 花山天皇は出家後も様々な事件に巻き込まれ、その生涯は謎に包まれている。
それでは、花山天皇の生涯を紐解きながら、平安時代の権力闘争の様子を見ていきましょう。
まずは、花山天皇がどのようにして出家することになったのか、その背景から見ていきます。
花山天皇の悲劇:権力闘争と出家
花山天皇はなぜ出家したのか?
藤原兼家の策略によるもの
公開日:2024/03/10

✅ 第10回では、藤原兼家が仕掛けた「寛和の変」が描かれ、花山天皇が退位し、出家させられた事件が描かれた。
✅ 陰陽師・安倍晴明は、花山天皇に亡くなった女御の成仏のために出家すべきだとそそのかし、藤原道兼は自傷の跡を偽り、天皇の信用を得ていた。
✅ 今回の描写は、兼家の陰謀を強く印象付ける演出となっており、大河ドラマ初登場の「寛和の変」は、その陰謀の規模と複雑さを示していた。
さらに読む ⇒サライ|小学館の雑誌『サライ』公式サイト出典/画像元: https://serai.jp/hobby/1178829藤原兼家の策略と、花山天皇の心情が丁寧に描かれていましたね。
陰陽師や藤原道兼の演出も印象的でした。
大河ドラマならではの、重厚感のある描写に引き込まれます。
984年、円融天皇は花山天皇に譲位します。
花山天皇は、わずか17歳で即位し、積極的な政治改革を行いました。
しかし、権力を持つ藤原兼家は、花山天皇の弱点を突いて、自分の娘の子供を天皇にしようと企みます。
兼家は、息子の道兼に花山天皇の寵愛していた女御、忯子の死を利用して出家させようと画策します。
道兼は花山天皇に、共に仏道へ帰依し、愛する者の菩提を弔いましょうと説き、花山天皇は出家を決意します。
しかし、これは兼家が花山天皇を退位させ、権力を掌握するための策略でした。
花山天皇は、出家後も22年生き続け、1008年に41歳で亡くなりました。
花山天皇の出家は「寛和の変」と呼ばれ、権力争いの激化に繋がりました。
花山天皇の退位により、藤原兼家は摂政となり、権力を掌握しました。
また、摂関家であった藤原頼忠は失脚し、政治の実権が九条流に移りました。
この権力の移行は、藤原公任や紫式部の父・藤原為時の運命にも影響を与えました。
花山天皇の置かれた状況や、兼家の策略がよく分かりました。とても興味深い内容でした。史実に基づいたドラマならではですね。
出家の真相:悲しみと策略の渦中
花山天皇の出家、本当の理由は?
愛する忯子の死と、政治的陰謀

✅ 藤原道兼は、父・藤原兼家の策略により花山天皇を出家させ、懐仁親王(一条天皇)の即位を実現させた「寛和の変」の立役者です。
✅ 道兼はその後、権勢を振るい、兄・道隆が関白を務める中で、自身も関白に就任しますが、就任後間もなく病に倒れ35歳で亡くなりました。
✅ 道兼は、紫式部の娘・賢子との結婚を通じて、源氏物語の世界ともつながっています。また、三男の兼綱は三条天皇の蔵人頭を務めたものの、花山天皇の出家事件に関わったことでその後蔵人頭を止められてしまうなど、道兼の生涯は権力闘争と陰謀に満ちたものでした。
さらに読む ⇒߂ޗǁɓȂǁ出典/画像元: https://www.yoritomo-japan.com/etc/murasaki-sikibu/mitikane.html道兼の生涯は、まさに権力闘争そのものだったんですね。
紫式部の娘との繋がりがあったとは驚きです。
様々な思惑が交錯する様子が、興味深かったです。
花山天皇は、藤原道長と深く繋がっていた元慶寺に出家しました。
しかし、道兼は兼家と共謀し、花山天皇を策略に巻き込み、無理やり出家させる計画を立てていました。
花山天皇は道兼の裏切りにより、望まない形で出家させられてしまったのです。
花山天皇は、愛する忯子の死を悲しみ、仏にすがる気持ちから出家を決意したと考えられます。
ドラマでは、忯子の死が花山天皇の出家理由として大きく描かれていますが、他に要因も考えられます。
忯子の死以外にも、花山天皇は叔母や姉を亡くしており、身内を次々と失う悲しみは計り知れません。
さらに、忯子の父である藤原為光が花山天皇を見限り、権力を持つ藤原兼家に接近したことも、花山天皇の心に影を落とした可能性は否定できません。
また、当時の流行していた浄土教の思想も、花山天皇の出家に影響を与えたと考えられます。
花山天皇の出家には、様々な要因が絡み合っていたんですね。悲しい出来事だったんだなと改めて感じました。当時の人々の心情に思いを馳せました。
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花山天皇、謀略で出家!『光る君へ』で描かれる権力闘争と悲劇。裏切りの陰で、天皇の人生は激変。謎に包まれた最期とは?