平安美男子像とは?(平安時代、光源氏、美意識)平安時代の美男子像と、光源氏の魅力
平安時代の美男子像は、現代とは全く異なる!『源氏物語』の光源氏は、ぽっちゃりとした顔立ちで描かれることも。細い首や女性的な仕草、読者の想像力を掻き立てる表現が、彼の美しさを際立たせました。当時の美意識は現代の基準とは異なり、男性も女性的な美しさを追求。清凉寺の阿弥陀如来像や『源氏物語絵巻』の描写から、当時の美の価値観を探ります。その時代背景を知ることで、光源氏の魅力がより深く理解できるでしょう。
💡 平安時代の美男は、現代の美男像とは異なり、細い首や女性的な仕草が重視された。
💡 絵巻では、光源氏は必ずしも美男子として描かれておらず、読者の想像力に委ねられていた。
💡 平安時代の美意識を理解するには、当時の社会構造や価値観を知ることが重要。
それでは、まず平安時代の美男像について、詳しく見ていきましょう。
平安時代の美男像
平安時代の美男子像は?
ぽっちゃり、引目鉤鼻が特徴
はい、平安時代の美人の基準は現代とは大きく異なっていたのですね。

✅ 平安時代の美人の基準は、現代とは大きく異なり、切れ長の目、白い肌、ぽっちゃりとした体形、長い黒髪、美しい頭の形などが重視されていました。
✅ 「紫式部日記」や「源氏物語」では、具体的な顔のパーツよりも、全体的な印象、特に肌の色、髪、体形、そして笑顔が重要視されていたことが分かります。
✅ 当時の美人の基準は、現代の基準とは大きく異なるため、平安時代の美人を現代の価値観で評価するのは難しいですが、当時の美意識を知ることで、平安時代の文化や社会をより深く理解することができます。
さらに読む ⇒源氏びより〜源氏物語をどこよりも詳しくやさしく解説〜出典/画像元: https://ryoutei-senryu.jp/heian-beauty/容姿だけでなく、立ち振る舞いや内面の美しさも重視されていたのかもしれません。
平安時代の美男子は、現代の基準とは異なる美しさを持っていたと考えられます。
現代ではぽっちゃりや引目鉤鼻は美しいとされませんが、平安時代では絵巻の描写技法として頻繁に使われていました。
これは、当時の貴族階級の高貴な人々を描く際の一般的な手法であり、キャラクターひとりひとりに異なる特徴を持たせるという現代の漫画やアニメのような表現とは異なっていました。
『源氏物語』の主人公である源氏は、絵巻ではぽっちゃりした顔で描かれることが多いですが、本文には具体的な容姿の描写はほとんどありません。
これは、読者の想像力を掻き立てるための手法だったと考えられます。
源氏の美しさは、顔の造形だけでなく、細い首や女性的な仕草など、全体的な雰囲気で表現されているとされています。
たとえば、源氏は自分の首が細いことを自嘲気味に語り、その細さが優雅さと結びつけられています。
また、涙を払う手つきが美しく、女性的な優美さを漂わせる描写も見られます。
このように、平安時代においては、男性であっても女性的な美しさを持つことが理想とされていた可能性があります。
源氏の美しさは、明確な容姿描写ではなく、読者の想像力を刺激する、さまざまな場面を通して表現されていると言えるでしょう。
興味深いですね!絵巻の描写技法で、ぽっちゃりした顔が美しさの象徴だったとは。
平安時代の美意識と社会構造
平安時代の美男はどんな特徴を持っていた?
優美で繊細な美しさ
はい、当時の美意識は、女性の感情を表に出さないことと関係があったのですね。

✅ 平安時代の女性の絵画では、多くの女性が同じような顔で描かれているため、当時の美人の基準だったと考えがちですが、実際には「高貴な人は感情を表に出さない」という考え方が反映されている可能性があります。
✅ 国文学者の三田村雅子教授は、平安時代の女性絵画は「妄想装置」として機能していたと説明しています。つまり、無表情に描かれることで鑑賞者が自由に顔立ちや表情を想像し、作品に感情移入しやすくなるのです。
✅ 現代でもマネキンが顔をのっぺりとしているのは、イメージが固定されることで、顧客が自分には似合わないと敬遠してしまうのを防ぐためであり、平安時代の女性絵画も同様の機能を持っていたと考えられます。
さらに読む ⇒日本文化と今をつなぐウェブマガジン出典/画像元: https://mag.japaaan.com/archives/161846「妄想装置」という表現は面白いですね。
鑑賞者の想像力を掻き立てる効果があった。
平安時代の美意識は、現代とは大きく異なる点があります。
当時の美男の象徴とされる光源氏は、現代的な美男像とはかけ離れ、むしろ現代の美的感覚では「女性的」と捉えられるような、優美で繊細な美しさを持っていたと考えられています。
平安時代の美人は、現代の基準では「引目(ひきめ)、鉤鼻(かぎばな)、御樗蒲口(おちょぼぐち)」など、特徴的な顔立ちとされていますが、当時の男性も現代と同様に多様な美意識を持っていたと考えられています。
平安時代の女性の肖像画で顔立ちが似通っているのは、貴族階級が感情を表に出さないことを美徳としたため、絵画でも常に平常心を保つように描かれたという説や、鑑賞者に好きな顔立ちや表情を想像させるための「妄想装置」であったという説があります。
当時の美人像は、貴族社会の価値観や、食糧事情など、当時の社会構造と密接な関係があると考えられます。
無表情に描くことで、色々な想像ができるのは面白いですね。
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