覚音寺の重要文化財、持国天立像の倒壊と修復への道のり(?)長野県大町市覚音寺の地震被害と文化財保護
長野県北部を震源とする地震で、大町市が震度5弱を観測。重要文化財の鎌倉時代初期の木造持国天立像が倒壊する被害が発生。高さ160cmの像は後頭部が外れるなど損傷。覚音寺の観音堂や石垣にも被害。負傷者は1名。気象庁は今後1週間程度の地震に注意を呼びかけ、早期の修復が望まれる。
💡 長野県大町市の覚音寺で、地震により重要文化財の持国天立像が倒壊した。
💡 鎌倉時代に作られた持国天立像の歴史的価値と、覚音寺の歴史について解説する。
💡 今後の修復への取り組みと、大町市における地震被害の状況と注意喚起について言及する。
それでは、本記事では地震による被害と、文化財保護の重要性について掘り下げていきます。
地震発生と覚音寺の被害
長野県北部地震で被害を受けた文化財は?
覚音寺の持国天立像
最初に地震発生と覚音寺の被害について詳しく見ていきましょう。

✅ 18日夜に発生した地震により、大町市八坂の覚音寺の持国天立像(重要文化財)が倒壊し、後頭部が外れるなどの被害を受けた。
✅ 観音堂の台座に固定されていたが、激しい揺れで木のほぞが外れたとみられ、千手観音立像と多聞天立像は無事だった。
✅ 覚音寺は市などと協議の上、一刻も早い修復を目指したいとしている。
さらに読む ⇒信濃毎日新聞デジタル|信州・長野県のニュースサイト出典/画像元: https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2025041900317重要文化財が倒壊したというニュースは非常に衝撃的ですね。
文化財の保護は、歴史を未来に伝える上で重要です。
2023年4月18日午後8時20分頃、長野県北部を震源とする地震が発生し、大町市で震度5弱を観測されました。
この地震により、大町市の覚音寺にある重要文化財の「木造持国天立像」が倒壊し、後頭部が外れるなどの被害を受けました。
像は鎌倉時代初期に造られたもので、高さ160センチです。
地震の影響で、覚音寺の観音堂の木壁に亀裂が入ったり、水子地蔵像が台座から動いたりする被害も発生しました。
また、寺近くの道路脇では石垣が崩れる被害も発生しました。
同市ではその他にも家屋の屋根瓦の損壊が確認されています。
地震による負傷者は、山形村の男性(16歳)が避難中に転倒し軽傷を負った1名のみです。
鎌倉時代の像が倒壊とは…貴重な文化財ゆえに、修復は慎重に進められることでしょう。当時の技術にも興味がありますね。
覚音寺と持国天立像
覚音寺の持国天立像は何年に造立され、何に指定されている?
1194年、重要文化財
次に、覚音寺と持国天立像について、さらに詳しく見ていきましょう。
公開日:2018/06/27

✅ 覚音寺の千手観音菩薩立像、持国天、多聞天は、平安時代の仁科盛家とその妻によって造立されたものであり、戦乱の時代に家族の安全を祈願するために祀られたと考えられる。
✅ 覚音寺は、かつては天台密教寺院として栄え、十二坊を有していたが、現在では金峯山修験本宗の末寺として、千手観音菩薩立像などの貴重な文化財を守っている。
✅ 覚音寺の千手観音菩薩立像は、胎内から発見された墨書木札や紙本千手観音摺仏などから、その造立経緯や当時の情景が詳細に明らかにされており、歴史的価値が高い。
さらに読む ⇒ぶつぞうな日々出典/画像元: https://butsuzodiary.hateblo.jp/entry/2018/06/27/200000覚音寺は歴史あるお寺なのですね。
数々の文化財が残されていることに感銘を受けます。
観音様が無事だったのは幸いです。
覚音寺は平安時代中ごろの創建で、持国天立像は鎌倉時代初頭に仏師の慶円六郎坊が制作したと伝わります。
この像は、高さ168センチで、1194年に造立され、国の重要文化財に指定されています。
地震発生時、覚音寺の住職は激しい揺れで目を覚まし、像が倒れているのを発見しました。
同寺には他に国重要文化財の立像が2体あるが、無傷だった。
平安時代から続くお寺とは、歴史を感じますね! 仏師が作った像ということは、芸術的な価値も高いのでしょうね。
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大町市で地震被害、瓦の落下など14棟。気象庁は1週間、最大震度5弱に注意を呼びかけ。与儀住職は修復を急ぐ。