シベリア抑留の記憶を未来へ:語り部たちの証言と、平和への願いとは?シベリア抑留、戦争、記憶、未来
太平洋戦争から81年。語り部たちが、戦争の記憶を風化させない活動を続けています。シベリア抑留を経験した神馬文男氏は、高校生に自身の壮絶な体験を語り、過去から学び未来を切り開くことの大切さを訴えます。75年の時を経て遺骨が帰還した出来事や、映画、版画展などを通して、戦争の悲惨さと平和への願いを伝えます。99歳の三村節さんの証言も。過去の教訓を胸に、平和な未来を築くために。
💡 シベリア抑留を体験した語り部たちの証言を通して、戦争の悲惨さと平和の大切さを伝えます。
💡 映画や版画などの文化的な表現を通して、抑留者の姿を描き出し、記憶を未来へ繋げようとする試みを紹介します。
💡 遺族の思いや、語り部たちの活動を通して、戦争の風化を防ぎ、平和への願いを込めたメッセージを伝えます。
本日は、シベリア抑留に関する様々な情報をお届けします。
まずは、抑留体験を語り継ぐ活動についてご紹介しましょう。
戦争の記憶を未来へ繋ぐ
戦争体験を語る96歳、何が未来を切り開く鍵?
戦争の教訓を学び、学び続けること。
神馬文男さんのシベリア抑留体験を語る講演は、戦争を知らない世代にとって貴重な学びの場となるでしょう。
公開日:2022/12/20

✅ 第二次世界大戦後、シベリアに抑留された神馬文男さんが、札幌日大高校で体験を語った。
✅ 神馬さんは旧日本海軍に入隊し、旧ソ連侵攻時に朝鮮半島で抑留され、シベリアでの重労働や飢え、寒さによる苦難を経験した。
✅ マイナス40度の寒さや食糧不足で多くの仲間が亡くなり、遺体を埋めるなど、筆舌に尽くしがたい体験を語った。
さらに読む ⇒ニュースサイト出典/画像元: https://mainichi.jp/articles/20221220/ddl/k01/040/168000c神馬さんの語る体験は、想像を絶する過酷な状況だったことが伝わります。
戦争の悲惨さを改めて認識させられます。
太平洋戦争開戦から81年が経ち、戦争の記憶を風化させないための活動が各地で行われています。
札幌では、96歳の語り部、神馬文男氏が札幌日大高校で講演を行い、高校生たちに自身の戦争体験を語りました。
神馬氏は旧海軍航空隊に入隊し、終戦時にシベリアに抑留され、極寒と飢餓、重労働に苦しんだ2年間を過ごしました。
彼は、過去の轍を踏まないよう、生徒たちに戦争の教訓を学び、未来を切り開くことの大切さを訴えました。
また、抑留中にタバコの巻紙に書かれたロシア語を学び、時間を有効活用した経験から、「学ぶチャンスはどこにでもある」と生徒たちに呼びかけました。
神馬さんのような語り部の方々がいらっしゃることは、本当に心強いですね。戦争の記憶を風化させないために、私たちもできることを考えなければなりません。
シベリア抑留の悲劇と遺族の思い
シベリア抑留、75年越しの帰郷…何が物語る?
戦争の悲劇と、遺族の深い悲しみ。
櫻戸さんの遺骨が75年の時を経て遺族のもとに帰ってきたことは、大きな意味があります。
戦争の悲劇を改めて感じます。
公開日:2022/12/20

✅ 旧ソ連によるシベリア抑留で亡くなった櫻戸貫夫さんの遺骨が、DNA鑑定を経て遺族に引き渡された。
✅ 櫻戸さんは朝鮮半島、中国東北部を経てシベリアに抑留され、栄養失調と肺炎で死亡。遺族は長年待ち望んでいた。
✅ 東日本大震災の影響もあり、遺族は通知に気づかず、再度の通知でDNA鑑定を申請。戦争のない平和な世の中を願った。
さらに読む ⇒朝日新聞デジタル:朝日新聞社のニュースサイト出典/画像元: https://www.asahi.com/articles/ASQDM7GBLQDKUNHB00H.html遺族の方々の深い悲しみと、それでも平和を願う思いに胸が締め付けられます。
戦争は、本当に多くのものを奪いますね。
シベリア抑留は、多くの日本人にとって過酷な体験であり、そこで命を落とした方々も少なくありません。
宮城県登米市の櫻戸貫夫さんの遺骨が75年の時を経て遺族に引き渡されるという出来事がありました。
櫻戸さんは旧満州でソ連に抑留され、ハバロフスクで26歳の若さで亡くなりました。
厚生労働省のDNA鑑定により身元が特定され、遺族は父親の遺骨と対面し、故郷で安らかに眠ってほしいと願いました。
この出来事は、戦争の悲惨さと、遺族が抱える深い悲しみを改めて浮き彫りにしました。
遺族の方々の長年の思いが叶ってよかったですね。DNA鑑定技術の進歩も素晴らしいですが、戦争のない世界を切に願います。
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映画と展覧会、そして語り部たちの活動を通して、シベリア抑留の過酷な現実と平和への願いを伝える。戦争の記憶を風化させず、未来へ繋ぐ。