即身仏とは?修行と信仰、そして現代への影響(ミイラ、湯殿山)即身仏:信仰と修行の軌跡
生きたまま仏を目指した即身仏。山形を中心に存在するミイラ化した修行僧は、厳しい修行と独特な風習で知られる。木食行や土中入定、そして人工乾燥…信仰の真実とは? 徳川家とも縁深い湯殿山や、社会活動も行った鉄門海上人など、歴史的背景と現代への影響を探る。信仰と現実の狭間で、即身仏は何を語りかけるのか。
💡 即身仏とは、厳しい修行を通して生きながら仏になった僧侶のこと。
💡 湯殿山は、即身仏修行の聖地として知られ、多くの即身仏が生まれた。
💡 木食行や土中入定など、即身仏になるための過酷な修行が存在する。
本日は、日本独自の仏教文化である即身仏について紐解いていきます。
厳しい修行を経て仏となった方々の、その信仰と歴史に迫ります。
即身仏への道:信仰と歴史の始まり
即身仏とは?どんな修行者がなったの?
ミイラ化した修行者。厳しい修行の末に。
即身仏は、自ら命を絶ち仏となることを目指した僧侶たちの遺体です。
信仰と歴史が複雑に絡み合い、今もなお多くの人々に影響を与えています。
その起源と歴史的背景を解説します。

✅ 即身仏とは、飢饉や病の苦しみを救うために自ら修行し、仏となった方々のこと。明治時代以降は法律で禁止され、大変貴重な存在となっている。
✅ 即身仏になるための修行は、木の実や山菜のみを食べる「木食修行」と、土中に籠り断食などを行う「土中入定」の2つがあり、非常に過酷なものだった。
✅ 即身仏は人工的な防腐処理を行うミイラとは異なり、厳しい修行に耐え抜いた結果として現れたものである。山岳信仰の聖地である湯殿山は、即身仏修行の場として知られている。
さらに読む ⇒ 山形県の公式観光・旅行情報サイト出典/画像元: https://yamagatakanko.com/sokushinbutsu即身仏になるための修行は想像を絶する過酷さですね。
木の実や山菜のみを食べる「木食修行」だけでも大変なのに、土中に籠る「土中入定」とは…信仰心の強さに頭が下がります。
即身仏は、南北朝時代から日本各地に存在するミイラ化した修行者の遺体であり、仏として崇拝されています。
特に山形県の出羽三山周辺に多く存在し、真言宗の影響が強いことが特徴です。
その信仰は、厳しい修行を経て生きながらにして仏となることを目指すという、独特なものです。
木食行や土中入定といった独特な修行方法が存在し、国内外から多くの人が巡礼に訪れています。
即身仏の存在自体、初めて知りました。南北朝時代から存在していたとは、歴史の深さを感じますね。真言宗との関係性や、独特な修行方法にも興味が湧きました。
江戸時代の湯殿山と即身仏の隆盛
江戸時代の即身仏信仰、その場所は?
湯殿山と真言宗が拠点。
江戸時代、湯殿山を中心に即身仏信仰は隆盛を極めました。
厳しい修行に耐え、仏となることを目指す修行者たちの姿は、人々の心に深く刻まれました。
その背景を探ります。
公開日:2023/07/13

✅ 山形県にある湯殿山総本寺大日坊の即身仏「真如海上人」が令和3年の丑年御縁年に衣替えを迎える。
✅ 即身仏とは、人々の苦しみを救うために自らの体を捧げ仏となった方々であり、真言密教の修行を経て成仏した。その修行は木食や土中入定など、過酷を極める。
✅ 大日坊の衣替大祭は6月1日に行われ、即身仏の成功には修行者の努力に加え、協力者の支えも不可欠である。
さらに読む ⇒世界にひとつ - 日常の何気ないことの中で培ってきたオリジナルな体験を出来るだけわかりやすくご紹介するサイトです。出典/画像元: https://lala70.net/dainichibou-sokushinbutsu湯殿山大日坊の衣替え大祭、大変興味深いですね。
即身仏の成功には周囲の協力も不可欠という点も、深く考えさせられます。
修行者の努力と、それを支える人々の想いが伝わってきます。
江戸時代には、湯殿山が真言宗の拠点となり、一世行人と呼ばれる修行者たちが厳しい修行を経て即身仏となる信仰が盛んになりました。
彼らは、木食行という食事を絶つ修行や、仙人沢での過酷な修行を経て、最終的には土中入定という方法で、土の中で入滅するという方法で即身仏となりました。
湯殿山瀧水寺大日坊には、徳川将軍家とも縁の深い真如海上人の即身仏が安置されており、春日局が祈願した寺としても知られています。
湯殿山が真言宗の拠点だったとは知りませんでした。木食行や土中入定という言葉も初めて聞きました。徳川将軍家との繋がりや、春日局の祈願があったという話も興味深いです。
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過酷な即身仏修行。その真実と信仰、社会背景を探る。山形県の寺院に安置された即身仏は、今も人々の心を掴んで離さない。