東京大空襲と平和祈念館 建設への道のりとは?凍結された平和への願いとは!?
東京大空襲から平和祈念館建設へ。戦災の記憶を記録し、後世に伝える活動の歴史を振り返る。証言ビデオ公開、追悼式の開催、そして建設推進を求める声。国際情勢の緊迫化を受け、平和への願いを込めて、未来へ繋ぐ。
💡 東京大空襲は、1945年3月10日に発生し、多数の死傷者と家屋の被害をもたらしました。
💡 東京都慰霊堂は、震災と空襲の犠牲者を慰霊する施設であり、遺骨の納骨や記録の保管が行われています。
💡 東京都は、空襲の体験談をまとめたパンフレット発行や、証言ビデオのデジタル化に取り組んでいます。
まずは、東京大空襲の概要と、その記憶を後世に伝えるための取り組みについて見ていきましょう。
東京大空襲の記憶と慰霊
東京大空襲の悲劇、江戸川区の被害は?
多数の死傷者と家屋の被害が出ました。
1942年から1945年にかけて、東京は100回近くの空襲に見舞われました。
1945年3月10日の東京大空襲では、江戸川区だけでも多数の死傷者が出ました。
今回は東京大空襲の記憶と慰霊をテーマにお届けします。

✅ 東京都慰霊堂(横網町公園)は、関東大震災の記録と復興事業を記念して建てられた復興記念館と、震災と東京大空襲の犠牲者を慰霊する慰霊堂からなる。
✅ 慰霊堂には、震災および東京大空襲で亡くなった約10万体の無縁仏の遺骨が納められており、氏名が判明している遺骨の名簿は復興記念館で保管されている。
✅ 慰霊堂には、東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑があり、復興記念館では戦災死者遺骨名簿の閲覧や、遺骨に関する問い合わせを受け付けている。
さらに読む ⇒空襲日記空襲日記出典/画像元: http://airraiddiaries.com/?p=10東京都慰霊堂は、震災と空襲という二つの大きな災害の犠牲者を慰霊する重要な場所です。
無縁仏の遺骨を納め、記録を保存することで、歴史を後世に伝えています。
1942年から1945年にかけて、東京は100回近くの空襲に見舞われ、1945年3月10日の東京大空襲では、江戸川区だけでも多数の死傷者と家屋の被害が出ました。
戦後、空襲死者の遺骨を合葬した東京都慰霊堂が設立され、空襲の記憶を記録し、後世に伝える活動が始まりました。
なるほど、東京都慰霊堂は、震災と空襲の双方の犠牲者を悼む場所なのですね。無縁仏の遺骨を納めているという点も、歴史を物語っていますね。
平和への願いと東京都の取り組み
東京の平和への誓い、アピールは何を約束?
核兵器廃絶、人権尊重、国際貢献など。
戦争の経験を語り継ぐためのパンフレットや、証言ビデオのデジタル化など、東京都の平和への取り組みをご紹介します。
平和祈念館建設の動きについても触れていきます。
公開日:2023/08/04

✅ 東京大空襲の体験談をまとめたパンフレット『語り継ぐ東京空襲』が発行され、空襲体験者の証言を収集し、戦争の真実を伝え、平和の基盤を築くことを目指している。
✅ 都平和祈念館の建設は凍結されているものの、証言ビデオのデジタル化や都議会による建設推進の動きがあり、ウクライナ戦争をきっかけに空襲体験を語る人が増えている。
✅ パンフレットは小池百合子知事など関係者に配布され、体験談の追加募集も行われており、最終的には平和祈念館の建設に繋げることを目指している。
さらに読む ⇒日本共産党東京都委員会出典/画像元: https://www.jcp-tokyo.net/2023/0804/86478体験者の証言を収集し、戦争の真実を伝える取り組みは非常に重要ですね。
平和祈念館の建設に繋げるという目標も、意義深いと感じます。
1970年代から1990年代にかけて、空襲・戦災資料を保存する資料館や、平和記念館(仮称)の建設を求める動きが活発化し、都知事への働きかけや都議会での議論が繰り返されました。
1990年には東京都平和の日条例が制定され、1995年には東京大空襲から50年、広島・長崎の原爆から50年を迎え、東京都は「都民平和アピール」を発表しました。
このアピールは、平和の重要性を再確認し、核兵器廃絶、人権尊重、環境保護、国際交流を通じた人類の福祉への貢献を約束するものでした。
体験談をまとめたパンフレットの配布や、デジタル化の動きがあるんですね。平和祈念館の建設は、色々な人の願いが込められているんですね。
平和祈念館(仮称)建設の頓挫
横網町公園の平和祈念館、建設が中止された理由は?
財政状況と都知事の方針変更。
平和祈念館の建設が凍結され、証言ビデオが非公開になっているという現状について解説します。
そこには、様々な要因が絡み合っています。

✅ 東京都が1990年代に収集した330人分の戦争体験証言ビデオの多くが非公開のままになっており、一部は公開・活用される見通しだが、残りは証言者の意向確認ができず「お蔵入り」の懸念がある。
✅ 非公開の背景には、石原慎太郎元都知事の保守派からの強い意向があり、大空襲に関する展示内容が「自虐的歴史観」であると反発があったこと、それに伴う都議会でのイデオロギー対立があった。
✅ 職員の意欲が削がれる中で、平和祈念館の建設構想が凍結され、ビデオの公開も阻まれることになった。
さらに読む ⇒東京新聞出典/画像元: https://www.tokyo-np.co.jp/article/275007証言ビデオが非公開になっているのは残念ですね。
イデオロギー対立が、平和への取り組みを阻害する原因になっているというのは、複雑な問題だと感じます。
1998年には、東京都立横網町公園内への平和祈念館(仮称)の建設が決定され、基本設計予算が計上されましたが、財政状況などを理由に凍結されました。
展示内容に関する意見募集や遺品の収集、証言ビデオの録画も行われましたが、25年間公開されず倉庫に保管されていました。
1999年には石原慎太郎都知事の下で、次年度予算計上が見送られ、建設計画は凍結されました。
建設が凍結された背景には、政治的な対立や、展示内容に対する意見の違いがあったのですね。歴史を伝えることは、本当に難しいですね。
現代における平和への取り組みと継承
東京大空襲の記憶を伝え続ける、その理由は?
平和の尊さを後世に伝えるため。
証言映像の一部公開や、追悼式の開催など、現代における平和への取り組みと、その継承についてお伝えします。
公開日:2024/03/31

✅ 東京都は、20年以上非公開となっていた東京大空襲の証言映像の一部を公開した。
✅ これらの映像は、建設が凍結された平和祈念館(仮称)での展示用に撮影されたものだった。
✅ 公開は、東京芸術劇場の資料展で始まり、有料記事となっている。
さらに読む ⇒ニュースサイト出典/画像元: https://mainichi.jp/articles/20240301/k00/00m/040/163000c20年以上非公開だった証言映像が公開されたのは、画期的な出来事ですね。
過去の出来事を風化させないために、積極的に情報を発信していく姿勢は重要です。
2023年3月10日には、東京大空襲江戸川区戦災犠牲者追悼式が開催され、犠牲者を追悼し恒久平和を願うとともに、戦争の記憶と平和の尊さを伝える決意が表明されました。
2024年3月3日には、「東京空襲犠牲者の名前を読み上げ、心に刻む集い」が開催され、約2700名分の犠牲者のお名前が読み上げられる予定です。
東京都は、昨年から証言ビデオのデジタル化と公開を開始しており、国際情勢の緊迫化を受け、戦争の惨禍を後世に伝える重要性が高まっています。
証言ビデオの公開や追悼式の開催を通して、平和への思いを伝えているんですね。戦争を知らない世代にも、その思いが届くように、工夫が必要ですね。
平和祈念館建設への新たな動き
都議会、平和祈念館建設へ!何をする?
建設推進の共同声明を発表、検討開始を要請。
平和祈念館の建設推進を求める動きが再び活発化しています。
その内容と、今後の展望について見ていきましょう。
公開日:2023/07/29

✅ 共産党都議団など5会派が、東京都平和祈念館(仮称)の建設推進を求める共同声明を発表し、都議会の全会派に協力を呼びかけた。
✅ 同館の建設は、過去に基本設計費が計上されたものの、財政状況と議論不足を理由に凍結されていた。
✅ 声明では、現在の都財政の改善を指摘し、戦争の惨禍を伝え平和への決意を固めるため、建設に向けた検討開始を強く求めている。
さらに読む ⇒東京民報出典/画像元: https://www.tokyominpo.com/2023/04/01/%E5%B9%B3%E5%92%8C%E7%A5%88%E5%BF%B5%E9%A4%A8%E3%81%AE%E5%BB%BA%E8%A8%AD%E3%82%92%E3%80%80%E9%83%BD%E8%AD%B0%E4%BC%9A5%E4%BC%9A%E6%B4%BE%E3%81%8C%E7%94%B3%E3%81%97%E5%85%A5%E3%82%8C%E3%80%882023/都議会や関係者の方々が、平和祈念館の建設に向けて尽力されているのですね。
証言ビデオの公開と合わせ、今後の動きに期待したいです。
日本共産党東京都議会議員団など5会派は、東京都平和祈念館(仮称)の建設推進を求める共同声明を発表し、都議会の全会派、議員が協力し、同館建設に尽力することを呼びかけています。
共同声明では、都に対し、証言ビデオのデジタル化と公開をさらに発展させ、平和祈念館(仮称)の建設に向けた検討を開始することを強く求めています。
平和祈念館の建設推進に向けた動きが活発化しているんですね! 多くの人の協力で、実現してほしいですね。
東京大空襲の記憶を風化させず、平和への願いを未来に繋ぐために、様々な取り組みが行われていることが分かりました。
💡 東京大空襲は、多数の死者を出した悲劇であり、その記憶は慰霊堂や資料館で語り継がれています。
💡 平和祈念館の建設は、過去に何度も議論されましたが、様々な要因で凍結されてきました。
💡 近年、証言ビデオの公開や、建設推進を求める動きが活発化しており、今後の動向が注目されます。