榊原康政とは?家康を支えた徳川四天王の生涯と武勇伝とは?徳川家康を支えた武将、榊原康政の生涯
徳川家康を支え、勇猛果敢な戦ぶりと冷静な判断力で名を馳せた武将、榊原康政。13歳で家康に見出され、数々の戦で武功を挙げ「徳川四天王」に。ボロボロの鎧を大切にし、恩を忘れぬ人間性も魅力。小牧・長久手の戦いでの活躍、秀吉を激怒させた檄文、そして内政での手腕。康政の生涯は、家康を支え、徳川家繁栄の礎を築いた、波乱に満ちた忠誠の物語。
💡 榊原康政は、徳川家康に見出され、家康の側近として数々の戦で活躍しました。
💡 小牧・長久手の戦いでは、秀吉を挑発する檄文を発し、その存在感を示しました。
💡 内政にも手腕を発揮し、上野国館林10万石を与えられ、初代藩主となりました。
本日は、徳川家康を支えた武将、榊原康政についてご紹介します。
康政は、家康の天下統一に大きく貢献した人物です。
彼の生涯を振り返りながら、その功績と人となりについて見ていきましょう。
若き日の出会いと武勇伝
徳川家康に認められた榊原康政、何で名を上げた?
数々の戦で勇猛果敢な戦いぶりを見せた!
榊原康政は、13歳で徳川家康に見出され、側近として仕えたことから、その生涯が始まりました。
若き日の出会いから、数々の武功を立てるまでの道のりを見ていきましょう。

✅ 徳川四天王の一人、榊原康政は徳川家康に見出され、家康の側近として数々の戦で活躍し、徳川家康の天下統一に大きく貢献した。
✅ 康政は、三河一向一揆や姉川の戦い、三方ヶ原の戦いなど、多くの合戦で武功を挙げ、家康からの信頼を深めた。特に小牧・長久手の戦いでは大胆な策を用いて秀吉を挑発した。
✅ 関ヶ原の戦いの後、康政は自ら隠居し、群馬県館林で10万石を与えられた。時代の変化を感じ取り、武功派と官僚派の対立の中で自ら身を引いた。
さらに読む ⇒和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!出典/画像元: https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/203789/康政は、家康の信頼を勝ち得て、徳川四天王、徳川十六神将、徳川三傑に数えられる存在となりました。
その活躍は目覚ましく、家康の天下統一に大きく貢献しました。
天文17年(1548年)、三河国に生まれた榊原康政は、13歳で徳川家康に見出され、その才能を認められ側近となりました。
幼少期は大樹寺で学び、文武両道に長けた人物として成長しました。
家康の独立後、康政は本多忠勝らと共に先陣を務め、姉川の戦いや三方ヶ原の戦いなどで勇猛果敢な戦いぶりを見せ、数々の武功を挙げました。
特に三方ヶ原の戦いでは、劣勢の中、家康の退路を確保し、兵を集めて撤退させるなど、その冷静沈着な一面を発揮しました。
19歳で旗本先手役となり、家康の「子飼い」として、その信頼を勝ち得ていきました。
康政は、家康の「康」の一字を与えられ、徳川四天王、徳川十六神将、徳川三傑に数えられるほどの存在となっていきます。
素晴らしい解説ですね! 康政の若き日の活躍が、とても分かりやすくまとまっています。家康との出会いが、康政の人生を大きく変えたことがよく分かります。
不屈の精神と「ちぎれ具足」
榊原康政、出世後も愛用した鎧とは?
親友譲りの「ちぎれ具足」、感謝と験担ぎ。
康政は、幼少の頃から文武両道に優れ、家康の信頼を得て、多くの戦で活躍しました。
そんな康政にまつわる、心温まるエピソードをご紹介します。

✅ 徳川家康の家臣、榊原康政が家康の直参に抜擢された際、友人である神谷金七から餞別として継ぎ接ぎだらけの具足(「ちぎれ具足」)を贈られた。
✅ 榊原康政は元々、酒井将監に小姓として仕えており、松平元康(後の徳川家康)の陪臣だったが、家康の目に留まり抜擢された。
✅ 『名将言行録』によると、この「ちぎれ具足」は、その後の榊原康政の名声と共に出陣の際に最初に持たされる縁起物となった。
さらに読む ⇒日本文化と今をつなぐウェブマガジン - Japaaan出典/画像元: https://mag.japaaan.com/archives/204990康政の人となりがよくわかるエピソードですね。
友情を大切にし、苦労を忘れず、感謝の気持ちを忘れない。
そんな康政の人間性が伝わってきます。
榊原康政には、忘れられないエピソードがあります。
13歳で家康に仕えた際、高価な具足(鎧兜)を準備できなかった康政は、親友である神谷金七から使い古された具足、通称「ちぎれ具足」を譲り受けました。
初陣で大活躍した後、出世して新しい具足を買える身分になっても、金七への感謝と験を担ぎ、戦の際は必ず「ちぎれ具足」を戦場に持参しました。
この「ちぎれ具足」は、新潟県上越市の榊神社に御神体として祀られています。
このエピソードは、康政の苦労を乗り越え、恩を忘れず、責任感を持って行動する人柄を象徴しています。
また、金七の子孫が浪人になった際には家臣として迎え入れ、約束を守り、家臣として取り立てたという話も残っています。
感動しました!「ちぎれ具足」のエピソードは、康政の人となりがよく表れていて、本当に素晴らしいですね。康政の人間性が、歴史をより面白くしています。
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徳川家康を支えた猛将、榊原康政。小牧長久手の戦いで武名を轟かせ、秀吉を激怒させた。武勇と内政手腕で家康に重用され、上野国館林藩主へ。康政の生涯、それは家臣の鑑。