薩摩藩の財政改革:破綻寸前から維新の立役者へ?財政立て直しの奇策!薩摩藩の知られざる改革
18世紀の薩摩藩、巨額の借金と財政破綻の危機! 派手な交際費で知られる島津重豪の時代、藩はどん底に。しかし、調所広郷による大胆な改革が奇跡を起こす! 米の流通改革、密貿易、砂糖専売制… 苦難を乗り越え、薩摩藩はV字回復を果たす。明治維新を支えた、知られざる財政再建の裏側を紐解く!
💡 宝暦治水事件における幕府の対応が、薩摩藩の財政を圧迫した。
💡 島津重豪の贅沢な生活が、藩の財政を悪化させた。
💡 調所広郷による大胆な改革と、その功績と評価の変化を追う。
今回は、薩摩藩の財政改革に焦点を当て、その背景や改革の内容、そしてその後の歴史への影響について詳しく見ていきます。
破綻寸前の薩摩藩
薩摩藩の財政を悪化させた原因は?
借金、武士の多さ、土地の生産性、災害など。
薩摩藩の財政は、宝暦治水事件によって大きく揺らぎました。
幕府の命令で木曽三川の治水工事を担うも、様々な困難に見舞われます。
公開日:2024/07/01

✅ 宝暦治水事件は、幕府の命令で薩摩藩が木曽三川の治水工事を担った際、幕府からの嫌がらせや劣悪な環境による赤痢の蔓延で、多くの薩摩藩士が自害や病死した悲劇的な出来事である。
✅ 工事を指揮した平田靭負は、幕府への抗議と藩の責任を負い自害し、その功績から「薩摩藩士の鑑」として称えられている。
✅ 薩摩藩は財政難の中、幕府の命令で高額な人件費を強いられ、工事の遅延や財政悪化に苦しんだ。
さらに読む ⇒草の実堂 - 色々なものを調べてみる雑学専門サイト出典/画像元: https://kusanomido.com/study/history/japan/edo/76892/宝暦治水事件は、薩摩藩にとって悲劇でしたね。
多くの藩士が命を落とし、藩の財政も悪化の一途を辿ったとのことです。
18世紀、薩摩藩は深刻な財政問題を抱えていました。
その始まりは、宝暦4年(1754年)の木曽三川治水工事による巨額の借金です。
藩の財政は、もともと武士の割合が高いこと、土地の生産性の低さ、自然災害の多さ、さらに徳川将軍家との婚姻に伴う莫大な出費など、構造的な問題を抱えており、これが財政を悪化させる要因となりました。
なるほど、宝暦治水事件がそんなに大きな影響を与えていたんですね。詳細な解説、ありがとうございます。
島津重豪の時代と財政悪化
島津重豪は何で有名?派手な交際費が藩をどうした?
将軍の岳父、財政を圧迫し破産状態に。
島津重豪の時代は、薩摩藩の華やかな時代でもありましたが、同時に財政が悪化する原因ともなりました。
その実態に迫ります。

✅ 島津重豪は将軍の岳父となったことで権勢を振るい、薩摩藩の実権を握っていたため、幕府の役人や諸大名からご機嫌伺いを受けるほどだった。
✅ 重豪は将軍である家斉の父娘関係でありながら、茂姫との面会は稀で、面会も儀礼的なものであった。
✅ 将軍の許可を得て鷹狩を行った際、役人が差し止めようとしたが、重豪の権力により役人が処罰されるなど、重豪の横暴な振る舞いが見られた。
さらに読む ⇒ 幕末島津研究室出典/画像元: https://www.yasukawa1953.net/posts/55133821/島津重豪の権勢は凄まじかったんですね。
将軍の岳父として権力を振るい、派手な交際費が財政を圧迫したとは驚きです。
薩摩藩の財政が悪化する中、8代藩主の島津重豪の存在が注目を集めました。
彼は将軍家との婚姻を通じて薩摩藩の権威を高めましたが、その派手な交際費は藩の財政をさらに圧迫しました。
重豪は、将軍の岳父として権勢を振るい、その影響力は「高輪下馬将軍」と称されるほどでした。
その結果、藩の借金は増大し、文政12年には500万両にも達し、年間利息が収入を大きく上回る破産状態に陥っていました。
高輪下馬将軍って、初めて聞きました!そんな風に言われていたんですね。権力の象徴ですね。
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薩摩藩、財政危機からの脱却!調所広郷の大胆改革で米流通を刷新、砂糖専売制も。明治維新を支えた、驚きの財政再建劇を解説。