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吉田茂の軌跡:戦後日本の外交と安全保障はいかに形成されたか?戦後日本の外交・安全保障政策の形成過程と、吉田茂の役割

戦後日本の舵取りを担った吉田茂。GHQとの交渉、新憲法制定、単独講和と日米同盟の選択…激動の時代を巧みに生き抜き、日本の独立と経済復興の礎を築いた。軽武装・経済重視の政策は、現代にも影響を与え続ける。サンフランシスコ講和条約、日米安保条約…その功罪を問い直し、宰相・吉田茂のレガシーから未来へのヒントを探る。

吉田茂の軌跡:戦後日本の外交と安全保障はいかに形成されたか?戦後日本の外交・安全保障政策の形成過程と、吉田茂の役割

📘 この記事で分かる事!

💡 吉田茂は、サンフランシスコ講和条約を締結し、日本の主権回復に貢献。

💡 日米安全保障条約を締結し、米国の安全保障体制に組み込まれる道を選択。

💡 経済復興を最優先とし、軽武装路線と対米協調路線を推進。

本日は、戦後日本の外交と安全保障政策を決定的に方向付けた吉田茂の功績と、その後の日本への影響について、掘り下げていきます。

終戦直後、日本再生への道:憲法制定と米国の影

戦後日本の転換点!吉田茂は何を成し遂げた?

新憲法制定と対米同盟重視の姿勢を示した。

終戦直後、日本はGHQによる占領下で新憲法制定という大きな変革期を迎えます。

吉田茂は、この過程で重要な役割を果たしました。

憲法制定と米国の影響について見ていきましょう。

誕生 日本国憲法
誕生 日本国憲法

✅ 昭和21年2月13日の閣議でGHQ憲法草案の受入れが事実上決定され、2月26日に全文の日本語訳が配布された。

✅ 日本側は憲法改正草案の起草に着手するも、GHQからの督促を受け、3月4日に日本語の草案を提出することとなった。

✅ 松本大臣に随行した佐藤法制局第1部長は、GHQとの対峙の末、日本側草案の英訳と逐条審議を行い、翌5日の夕方に草案内容を確定させた。

さらに読む ⇒出典/画像元: https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/tanjo_kenpo/contents/1_06.html

GHQとの交渉、憲法草案の作成、そして最終的な決定に至るまで、様々な駆け引きがあったことがわかります。

日本側の苦労が目に浮かぶようです。

1945年の敗戦後、日本は大きな転換期を迎えました。

外務大臣に就任した吉田茂は、GHQとの間で日本国憲法制定に関わり、マッカーサーノートを基にした草案の修正に尽力しました。

1946年11月3日に公布され、翌年5月3日に施行された新憲法は、日本の戦後を決定づける重要な一歩となりました

この時期、吉田は単独講和を選択し、米国との同盟を重視する姿勢を示しました。

これは、経済復興を優先し、軽武装路線を進むという、その後の日本の国家政策の基盤を築いたと言えるでしょう。

吉田茂のリーダーシップと、GHQとの交渉術が、日本という国の進むべき道を決定づけたんですね。非常に興味深いです。

安全保障の選択:日米同盟と再軍備への模索

吉田茂が重視した日米関係、何をもたらした?

日本の安全保障の米国依存と再軍備への道。

次に、安全保障の選択についてです。

日米同盟の締結と、再軍備への模索について見ていきます。

日本の安全保障政策は、どのように形成されていったのでしょうか。

憲法9条を゛盾゛に自衛隊を発足させた吉田茂

公開日:2024/12/16

憲法9条を゛盾゛に自衛隊を発足させた吉田茂

✅ 茂木誠氏の著書『「戦争と平和」の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』では、戦後の日米安保条約締結における自民党内の対応が解説されており、日本の主権回復と米軍駐留の関係性が示されている。

✅ 日本は第二次世界大戦後、武装解除と憲法による戦力放棄により「12歳の子供」のような状態となり、米国の占領政策下で米軍の駐留が決定された。

✅ 朝鮮戦争の勃発を受け、日本は主権回復と同時に日米安全保障条約を締結。吉田茂首相は、米国の再軍備要求に対し、憲法9条を盾に「軍隊ではない武装組織」としての自衛隊を発足させた。

さらに読む ⇒Web Voice出典/画像元: https://voice.php.co.jp/detail/6633

日本が置かれた状況と、吉田茂の政治的決断が、その後の日本の安全保障体制を決定づけたことがわかります。

多大な葛藤があったでしょう。

吉田茂は、日米安全保障条約を基盤とする日米関係を重視し、米軍駐留を認めました。

この選択は、日本の安全保障を米国に大きく依存する体制を確立し、その後の日本の外交・安全保障政策に大きな影響を与えました

同時に、平和憲法を持ちながら、警察予備隊から自衛隊へと再軍備を進めるという、矛盾を抱えた道も歩むことになります。

この再軍備問題は、自衛隊の憲法上の位置づけや国防・安全保障の在り方について、現在に至るまで議論が絶えない問題として残されました。

憲法9条を持ちながら、自衛隊を創設する、というのは、矛盾しているように感じます。でも、それしかなかったのでしょうか。

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1951年、吉田茂首相が主権回復を宣言!サンフランシスコ講和条約と日米安保条約締結で、戦後日本の復興を牽引。彼の外交戦略とレガシーを再評価。