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狩野永徳とは?桃山美術を代表する絵師の生涯と作品を徹底解説!天才絵師・狩野永徳:織田信長に仕えた桃山時代の巨匠

400年間、日本の画壇を席巻した狩野派。その躍進を支えた狩野永徳の波乱万丈な生涯に迫る! 21歳で『洛中洛外図屏風』を制作し、才能を開花。織田信長の庇護のもと「大画様式」を確立し、桃山美術を牽引した。権力者との関係、革新的な表現、そして狩野派の強さの秘密とは? 永徳の作品は、今もなお私たちを魅了し、日本美術史に輝き続ける。

狩野永徳とは?桃山美術を代表する絵師の生涯と作品を徹底解説!天才絵師・狩野永徳:織田信長に仕えた桃山時代の巨匠

📘 この記事で分かる事!

💡 狩野永徳は、織田信長や豊臣秀吉に仕え、安土城や大坂城などの障壁画を手掛けました。

💡 代表作である『洛中洛外図屏風』や『唐獅子図屏風』など、力強い筆致と豪華な表現が特徴です。

💡 狩野永徳は、狩野派の技術を継承しつつ、独自の画風を確立し、桃山美術を代表する絵師となりました。

それでは、狩野永徳の生涯を辿りながら、その功績と作品の魅力を紐解いていきましょう。

狩野派の隆盛と永徳の誕生

狩野派を400年も支えた秘訣は?

血縁、粉本、権力者との関係です。

狩野永徳は、室町時代後期から江戸時代末期にかけて活躍した絵師集団・狩野派の四代目として、その才能を開花させました。

狩野派の隆盛を支えた基盤と共に、永徳の生い立ちを見ていきます。

日本美術の「狩野派」とは?狩野永徳や狩野正信など重要絵師を学ぶ
日本美術の「狩野派」とは?狩野永徳や狩野正信など重要絵師を学ぶ

✅ 狩野派は、室町時代後期から江戸時代末期にかけて約400年間日本美術の中心を担った絵師集団で、将軍や権力者の仕事を請け負い、世襲制で地位を維持した。

✅ 狩野派の絵画は、粉本と呼ばれるお手本を通して、狩野派らしさを継承し、顧客のニーズに迅速に対応できる高い品質の作品を提供した。

✅ 狩野派の代表的な絵師には、狩野正信、狩野元信、狩野永徳、狩野探幽、狩野山楽などがおり、それぞれが狩野派の基盤を築き、画風を発展させた。

さらに読む ⇒アートのイロハが分かるWEBメディア イロハニアート出典/画像元: https://irohani.art/study/26358/

狩野派は、将軍家や時の権力者の庇護を受け、その地位を盤石なものとしました。

永徳もまた、この狩野派の英才教育を受け、才能を伸ばしていきました。

血縁を重視する体制も、狩野派の強さの秘訣ですね。

室町時代、足利将軍家御用絵師・狩野正信を始祖とする狩野派は、約400年にわたり日本の絵画界を席巻しました

血縁を重視した家系継承、絵の手本「粉本」を活用した技術指導、そして権力者との強固な関係構築が、その存続の秘訣でした。

その中心人物の一人、狩野永徳は、1543年に生まれ、幼少期から才能を発揮しました。

祖父である狩野元信から英才教育を受け、狩野派の四代目として頭角を現していきます。

狩野派の歴史、興味深いですね!特に、血縁を重視した家系継承や、粉本を活用した技術指導といった点は、現代の企業にも通じるものがあるように感じます。

転換点:信長との出会い

永徳を変えた出会いとは? 織田信長のどんな影響?

信長との出会い。大胆な大画様式への転換。

永徳は、織田信長との出会いを機に、その画風を大きく変貌させました。

信長の強大な力に触発され、大胆な表現を取り入れた「大画様式」を確立します。

その転換点を探ります。

信長の御用絵師・狩野永徳が命を懸けた天下一絵師への道 48年の生涯を振り返る

公開日:2024/09/13

信長の御用絵師・狩野永徳が命を懸けた天下一絵師への道 48年の生涯を振り返る

✅ 狩野永徳は織田信長との出会いをきっかけに、大画面に力強く描く「大画様式」を確立し、安土城の障壁画を手掛けた。

✅ 本能寺の変で信長が死去し安土城が焼失した後、永徳は豊臣秀吉に仕え、大坂城や聚楽第の障壁画を描くなど、天下一の絵師としての地位を確立した。

✅ 晩年、永徳は「天下一」の地位を脅かす長谷川等伯の台頭に直面。大量の注文をこなす中で心身を消耗した。

さらに読む ⇒ 2ページ出典/画像元: https://bushoojapan.com/bushoo/bunka/2024/09/13/122535/2

永徳の画風の変化は、信長との出会いによって大きく加速しました。

細密描写から大胆な表現への転換は、永徳の才能と時代の要請が見事に融合した結果と言えるでしょう。

時代の流れに合わせた変化ですね。

永徳の才能は、21歳の時に将軍・足利義輝からの依頼で制作を主導した『洛中洛外図屏風』で際立っています。

約2500人もの人物が描かれたこの大作は、京の風俗を活き活きと表現したものでした。

しかし、義輝は完成前に暗殺され、永徳は悲劇に見舞われます。

その後、永徳は織田信長との出会いを経て大きく変わります。

信長の力強い姿に触発され、永徳は従来の細密描写「細画様式」から、大胆な表現を追求する「大画様式」へと画風を転換していきます

義輝の暗殺という悲劇は、永徳にとって大きな試練だったでしょうね。信長との出会いが、永徳の才能を大きく開花させたというのも、ドラマチックで面白いです!

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織田信長と豊臣秀吉に愛された天才絵師、狩野永徳。桃山美術を代表する彼の力作『唐獅子図屏風』や、狩野派の隆盛を辿る。豪華絢爛な障壁画が魅せる、権威と芸術の融合。