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原爆ドーム、平和への願いを未来へ!世界遺産登録までの歴史と保存への取り組みとは?広島の象徴、原爆ドームの歴史と未来

1945年の原爆投下で被災しながらも奇跡的に残った原爆ドーム。その保存を巡る人々の熱意、幾度もの修復工事を経て、世界遺産登録へ。被爆の記憶を今に伝える姿は、核兵器廃絶と平和への願いを込めた人類共通の平和記念碑。未来へと語り継ぐ、その存在意義と取り組みを紐解きます。広島から世界へ、平和へのメッセージ。

原爆ドーム、平和への願いを未来へ!世界遺産登録までの歴史と保存への取り組みとは?広島の象徴、原爆ドームの歴史と未来

📘 この記事で分かる事!

💡 原爆ドームは、1945年の原爆投下による悲劇を伝える平和記念碑です。

💡 被爆した建物の保存と修復は、市民の強い願いと技術者の尽力によって実現しました。

💡 1996年の世界遺産登録は、核兵器廃絶と恒久平和へのメッセージを世界に発信しました。

本日は、広島の原爆ドームについて、その歴史、保存への取り組み、そして未来へ繋ぐ平和への願いを紐解いていきます。

被爆の記憶、平和への願い

原爆ドーム、なぜ解体されなかった?その運命を変えたものは?

被爆者の声、市民運動、そして保存への願い。

1960年代、広島の子供たちが原爆ドームの保存を訴え、市民の支持を得て保存運動が活発化。

保存か解体かで揺れる中、若者たちの熱意が保存への道を開きました。

親や友の犠牲、風化させない 原爆ドーム保存運動始まる【ヒロシマ ドキュメント1960年8月】
親や友の犠牲、風化させない 原爆ドーム保存運動始まる【ヒロシマ ドキュメント1960年8月】

✅ 原爆投下から15年後の1960年、広島の子供たちが原爆ドームの保存運動を開始し、広島折鶴の会が募金や署名活動を行った。

✅ ドームの保存に消極的だった市長に対し、若者たちの熱意と、原爆の記憶を風化させないという思いが、市民の間で賛同を広げ、最終的に保存工事へと繋がった。

✅ 国内外から約6600万円の募金が集まり、1967年4月には第1回保存工事が開始された。保存を巡っては賛否両論があったものの、最終的に永久保存が決議された。

さらに読む ⇒中国新聞デジタル出典/画像元: https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/624259

原爆ドームの保存運動は、未来へ記憶を繋ぐための、市民の強い意志の表れですね。

保存を巡る様々な思いが交錯し、最終的に永久保存が決議されたことに、深く感銘を受けました。

1915年に広島県物産陳列館として建設された原爆ドームは、後に広島県産業奨励館と改称され、地域経済の振興と文化拠点として機能していました

しかし、1945年8月6日の原爆投下により爆心地から至近距離で被爆し、奇跡的に全焼を免れました。

この破壊された建物は「原爆ドーム」と呼ばれるようになり、その後の運命を大きく左右する議論が巻き起こります。

当初は解体も検討されましたが、被爆者の日記や、広島「折鶴の会」の子どもたちの活動、市民の声が後押しとなり、保存運動が活発化しました。

広島市議会での保存決議を経て、原爆ドームは「負の世界遺産」として、その存在意義を世界へ発信し始めることとなります。

原爆ドームの保存を巡るドラマは、正に人間の尊厳と平和への願いが形になったものですね。子供たちの純粋な思いが、世論を動かしたことに感動しました。

保存への道のり、市民と技術者の尽力

原爆ドーム、最初の保存工事は何年?誰が中心?

1967年、二口正次郎氏らが中心。

原爆ドームの保存工事は、技術者たちの献身的な努力によって行われました。

崩壊の危機を乗り越え、市民の平和への願いを具現化した、その過程を追います。

原爆ドーム 継ぐ努力を 第1回保存工事担当 広島の二口さん
原爆ドーム 継ぐ努力を 第1回保存工事担当 広島の二口さん

✅ 45年前に原爆ドームの第1回保存工事で現場責任者を務めた二口正次郎さんが、保存状況を調べる健全度調査中のドームを訪問し、当時の工事を振り返り「平和の象徴をずっと残してほしい」と願った。

✅ 崩壊の危機にあったドームは、保存と撤去で世論が割れるも、市民の保存運動や募金活動によって保存が決定し、二口さんは職人たちを指揮して、壁の補強など大規模な工事をわずか3ヶ月で成し遂げた。

✅ 世界遺産となったドームは、3年ごとの健全度調査で状態がチェックされており、二口さんは雨水対策の重要性を指摘し、100年単位での保存を目指して、早めの補修を続けるよう市に期待を寄せた。

さらに読む ⇒中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター出典/画像元: https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=21834

技術者の方々の、被爆の惨禍を後世に伝えたいという強い思いが伝わってきますね。

わずか3ヶ月での工事は、当時の技術力と熱意の結晶ですね。

戦後21年後の1967年、ついに最初の保存工事が実施されることになりました。

この工事では、市民からの募金が活用され、崩落箇所の補修、鉄骨補強、壁面修復、防水工事などが行われました

工事の現場責任者である二口正次郎氏とその娘である二口とみゑさんのエピソードは、困難な状況での技術者たちの献身的な努力を物語っています。

正次郎氏は当初、老朽化したドームの工事を躊躇しましたが、周囲の勧めと技術者たちの協力により工事を完遂し、その後の工事にも関わりました。

これらの保存工事は、原爆の惨禍を後世に伝えるために、被爆当時の姿を可能な限り維持することを目的として、計5回にわたって実施されました。

現在の第5回保存工事では、鋼材の塗装、煉瓦目地の補修、方立の補修、金物補強が行われています。

保存工事に関わった技術者の方々の熱意に頭が下がります。被爆した建物を残し、後世に伝えるために尽力された姿は、本当に素晴らしいですね。

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核兵器の惨禍を伝える原爆ドーム。世界遺産登録までの道のりと、未来への平和への願い。保存と継承への取り組みを解説。