歌舞伎の歴史と魅力:出雲阿国から現代まで、日本の伝統芸能の変遷とは?歌舞伎:黎明期から現代までの変遷
400年以上の歴史を誇る歌舞伎。出雲阿国の「かぶき踊り」から始まり、江戸時代には庶民の熱狂を呼んだ。女形、花道、隈取…独特の様式美は、時代を超えて人々を魅了し続ける。禁じられた遊女歌舞伎、美少年による若衆歌舞伎を経て、野郎歌舞伎へ。伝統を守りながら進化を遂げ、今もなお、世界を舞台に輝き続ける日本の至宝。「仮名手本忠臣蔵」など名作の数々、劇場で体感せよ!
💡 出雲阿国による「かぶき踊り」の創始。異性装や観客との交流で人気を博し、歌舞伎の原型となる。
💡 女歌舞伎、若衆歌舞伎の禁止を経て、男性中心の野郎歌舞伎が誕生。演劇的要素が加わる。
💡 元禄時代に歌舞伎は隆盛を極め、独自の様式を確立。現代でも多くの観客を魅了し続けている。
それでは、歌舞伎の始まりから現代までの歩みを、歴史的背景と共に紐解いていきましょう。
出雲阿国の誕生と歌舞伎の黎明
歌舞伎の創始者、出雲阿国は何をした人?
巫女から歌舞伎を創始した人。
本日は歌舞伎の歴史について、詳しく見ていきましょう。
まずは、その始まりについてです。
公開日:2019/02/18

✅ 歌舞伎は、出雲阿国によって創始され、元々は女性が踊っていた「かぶき踊り」が原型。
✅ 「かぶき踊り」は、異性装を取り入れた踊りや、出演者と観客が入り乱れて踊るなど熱狂的なもので、遊女屋でも取り入れられ「遊女歌舞伎」として広まった。
✅ 風紀の乱れを理由に江戸幕府が女性の舞台出演を禁止したことで、歌舞伎は女人禁制となり、現在の男性中心のスタイルへと変化した。
さらに読む ⇒歴人マガジン出典/画像元: https://rekijin.com/29846.html出雲阿国による「かぶき踊り」は、当時の人々に強烈な印象を与えたのでしょうね。
その熱狂ぶりが目に浮かぶようです。
日本の伝統芸能である歌舞伎は、17世紀初頭に京都で出雲阿国によって創始されました。
彼女は元々出雲大社の巫女「クニ」として生まれ、勧進のために全国を巡り、踊りを披露したことが始まりです。
阿国の踊りは評判を呼び、慶長8年(1603年)に「かぶき踊り」として確立。
この踊りは、異性装を取り入れ、観客を熱狂させるものでした。
阿国の一座は京都を中心に人気を博し、北野天満宮などでも公演を行いました。
彼女はその後、江戸へ向かい、慶長12年(1607年)に江戸城で上演した記録が最後となります。
阿国の消息が途絶えた後、「かぶき踊り」は遊女屋でも取り入れられ、遊女歌舞伎として発展していくことになります。
なるほど、出雲阿国は巫女だったんですね。勧進活動の中で踊りを披露したことが、歌舞伎の始まりとは興味深いですね。
変遷と禁止、そして野郎歌舞伎の登場
歌舞伎、最初の禁止令は何が理由?
風紀を乱す遊女歌舞伎が理由。
この章では、歌舞伎がどのように変化を遂げ、現代の形へと近づいていったのかを見ていきましょう。

✅ 16世紀後半に流行した「風流踊り」を基盤に、出雲阿国が始めた「かぶき踊り」が人気を博し、その影響で「女歌舞伎」が各地で流行したが、風紀上の理由で禁止された。
✅ 女歌舞伎の禁止後、少年による「若衆歌舞伎」が人気を集めたが、これも禁止され、成人男性による「野郎歌舞伎」が誕生した。
✅ 野郎歌舞伎は、レビュー的なものから演劇的なものへと発展し、女方などの役柄の確立や多様化が進み、舞台芸術として発展した。
さらに読む ⇒文化デジタルライブラリー出典/画像元: https://www2.ntj.jac.go.jp/unesco/kabuki/jp/history/history1.html女性や美少年の歌舞伎が禁止されていった背景には、時代的な倫理観の変化があったことが伺えますね。
遊女歌舞伎は遊女による劇で、三味線が初めて用いられましたが、風紀を乱すとして江戸幕府によって寛永6年(1629年)に禁止されました。
これを受けて、美少年による若衆歌舞伎へと移行しましたが、これもまた衆道(男色)の問題から禁止され、舞踊から演劇的なセリフ劇へと変化していきました。
そして男性が演じる野郎歌舞伎が登場。
この野郎歌舞伎では、女形が初めて登場し、古浄瑠璃の影響を受け、内容も深化しました。
禁止の理由が興味深いですね。時代によって娯楽に対する考え方が変わっていくのが面白いです。
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