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『お伽噺の父』巌谷小波が生きた時代と児童文学の世界とは?児童文学の黎明期を切り開いた巌谷小波の世界

「お伽噺の父」巌谷小波が、明治時代の子どもたちへ贈った百科事典。医師の道を捨て、文学の道を選んだ彼の情熱が詰まっている。国際女性デーに注目するのは、女子向け百科事典『明治少女節用』。日本髪の結い方から世界各国の知識まで網羅。国立国会図書館デジタルコレクションで無料公開中。当時の女性たちの美意識と教養を育んだ一冊を、ぜひ手に取って。

『お伽噺の父』巌谷小波が生きた時代と児童文学の世界とは?児童文学の黎明期を切り開いた巌谷小波の世界

📘 この記事で分かる事!

💡 巌谷小波は日本児童文学の父と呼ばれ、多くの童話や児童向け書籍を執筆し、子供たちの心を育んだ

💡 明治時代に子供向けの百科事典『明治少年節用』『明治少女節用』が刊行され、子供たちの学習を支援した。

💡 『明治少女節用』は、女性の教養と美意識を育むための情報が満載されており、現在でも興味深い内容である。

本日は、日本児童文学の父、巌谷小波とその時代を紐解きます。

彼の作品を通して、子供たちの教育や文化に焦点を当てていきます。

「お伽噺の父」巖谷小波の生い立ち

「お伽噺の父」巌谷小波、文学への転向のきっかけは?

兄からのドイツ童話集との出会い。

近江への郷土愛が込められた校歌や、小波の筆跡を通して、彼の人物像に迫ります。

巖谷小波書跡/滋賀県立琵琶湖文化館
巖谷小波書跡/滋賀県立琵琶湖文化館

✅ 「おとぎのおじさん」として知られる巖谷小波は、日本初の少年向け図書に作品が掲載されたのを機に児童文学の世界で活躍し、晩年には全国各地で「おとぎ話」を語った。

✅ 本記事で紹介されている書跡は、小波が作詞・書した大津市高等女学校の校歌であり、近江に対する小波の強い思い入れが込められている。

✅ 小波は琵琶湖にちなんで筆名「小波」を名乗り、その書跡は令和3年に開催された地域連携企画展に出展された。

さらに読む ⇒滋賀県立琵琶湖文化館出典/画像元: http://www.biwakobunkakan.jp/db/db_04/db_04_008.html

郷土愛が伝わる校歌や、小波の筆跡が残されていることに感動しました。

地域連携企画展での展示も素晴らしいですね。

1870年、東京に生まれた巌谷小波(本名:季雄)は、「お伽噺の父」として日本児童文学の黎明期を切り開いた人物です

幼少期から和漢の古典や西洋の学問に親しみ、父の影響で漢学を、家庭教師を通じてドイツ語を学びました。

医師を志すも、兄からもらったドイツの童話集との出会いによって文学への関心を深め、済生学舎を中退。

俳句や漢詩に親しみ、独自の語り芸術「お伽俳画」を確立するなど、言葉と表現を追求する道へと進みました。

巌谷小波は医師を志していたんですね。文学への転換も、兄からもらったドイツ童話集がきっかけとは興味深いです。

児童文学への転換と活動

小波が子ども文化に貢献した方法は?

創作童話、雑誌編集、語り聞かせ活動。

玉野市和田に残る巌谷小波の書や写真について解説します。

詳細については、会員限定記事でご確認ください。

巌谷小波の書や写真玉野の民家に児童文学先駆者口演活動で滞在か:山陽新聞デジタル
巌谷小波の書や写真玉野の民家に児童文学先駆者口演活動で滞在か:山陽新聞デジタル

✅ 児童文学の先駆者である巌谷小波の書や写真が、玉野市和田の民家に保管されていることが判明した。

✅ 巌谷小波は童話「桃太郎」を広めた人物であり、玉野市での口演活動で滞在していた可能性がある。

✅ 記事本文は会員限定で、詳細については購読登録が必要となっている。

さらに読む ⇒山陽新聞デジタル|さんデジ出典/画像元: https://www.sanyonews.jp/article/1664179

子供たちのために尽力した巌谷小波の姿が印象的です。

安定した道を捨て、自由に表現を求めた生き方に感銘を受けます。

医師の道を諦め、文学の道を選んだ巌谷小波は、日本初の創作童話『こがね丸』を発表。

その後、雑誌編集や全国での語り聞かせ活動を通じて、子どもたちの文化を育むことに尽力しました

彼の生涯は、安定した道を捨て、自由に表現を求める漂流の道のりであり、子どもたちのために尽力する姿が印象的です。

巌谷小波が『桃太郎』を広めたというのは知りませんでした。玉野市での口演活動も興味深いです。会員登録を検討します。

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