持統天皇の歌「春過ぎて夏来にけらし」とは?〜百人一首の歌と持統天皇の生涯〜持統天皇の歌「春過ぎて夏来にけらし」に見る季節の移ろい
飛鳥時代を彩る持統天皇。夫・天武天皇の遺志を継ぎ、日本の礎を築いた女帝の姿とは? 藤原京遷都、そして万葉集に残る名歌「春過ぎて…」に込められた想い。夏の訪れを告げる白衣の風景を通して、自然との調和を歌い上げた感性。その歌に隠された、季節への繊細な眼差しと、いにしえのロマンを紐解きます。
💡 持統天皇は、天武天皇の后であり、女性天皇として即位。藤原京遷都を成し遂げ、律令国家の基盤を築いた。
💡 万葉集に収録された歌「春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣干したり 天の香具山」の解釈と表現技法を解説。
💡 歌に込められた季節感、自然への表現、そして当時の人々の心情を読み解き、その時代背景を考察します。
それでは、持統天皇の生涯と藤原京遷都、そして万葉集に収められた歌について詳しく見ていきましょう。
持統天皇の生涯と藤原京遷都
持統天皇は何を成し遂げた? 遷都?治世?
藤原京への遷都を成し遂げた。
歴史に名を残す持統天皇の生涯を紐解き、その政治的功績と、藤原京遷都の背景を探ります。
公開日:2019/07/14

✅ 藤原京は、天武天皇が造営に着手し、持統天皇の時代に完成した日本初の本格的な都城であり、律令国家体制の形成を目指し、皇親政治のもとで天皇権力が強化されました。
✅ 天武天皇は冠位制・国史編纂・八色の姓の制定を進め、それらは律令国家の基盤を築くためのものでした。その後、持統天皇は飛鳥浄御原令を施行し、戸籍作成や班田収受を開始しました。
✅ 藤原京遷都後、持統天皇は文武天皇に譲位しましたが、太上天皇として政治の実権を握り、都の整備や律令国家体制の強化を進めました。
さらに読む ⇒世界の歴史まっぷ世界史用語を国・時代名・年代・カテゴリから検索出典/画像元: https://sekainorekisi.com/glossary/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E4%BA%AC/持統天皇は、夫である天武天皇の遺志を継ぎ、藤原京遷都という大事業を成し遂げました。
彼女の政治手腕と決断力は特筆すべきものです。
持統天皇は天智天皇の皇女であり、天武天皇の后として、3人目の女性天皇として即位した。
彼女は夫の遺志を継ぎ、藤原京への遷都という偉業を成し遂げた。
天武天皇のようなカリスマ性に欠けていたため、各地を行幸し、先代のカリスマ性を利用して自身の治世を盤石にした。
なるほど、持統天皇は単なる后ではなく、自ら政治を動かす力を持っていたんですね。天武天皇の基盤を引き継ぎ、さらに発展させたというのは興味深いです。
万葉集と歌の背景
持統天皇の歌、何を見て初夏を詠んだ?
干された夏衣と天香具山。
万葉集に収録された持統天皇の歌は、日本の古典文学における重要な位置を占めています。
その歌の背景にある想いを読み解きます。
公開日:2023/mm/dd

✅ 百人一首『春すぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山』の現代語訳、解説、語句解説、作者紹介がされている。
✅ この歌は、春から夏への季節の移り変わりを、香具山に干された白い衣のコントラストを通して表現し、天皇の政治が順調に進んでいることを示唆している。
✅ 作者である持統天皇は、有能な統治者として知られ、律令制定や藤原京造営などを行った。この歌は「春す」の三字決まりで、語呂合わせで覚えやすくなっている。
さらに読む ⇒ベネッセ教育情報みつかる、明日のまなび。出典/画像元: https://benesse.jp/kyouiku/hyakuninisshu/002.html歌に込められた季節の移ろいや、香具山の情景描写が印象的ですね。
当時の人々が自然をどのように捉えていたのかが伝わってきます。
持統天皇の歌「春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣干したり 天の香具山」は『万葉集』に収録され、初夏の情景を詠んだ歌として知られている。
この歌は藤原京から望む天香具山の麓で、夏衣が干されている様子を見て詠まれたもので、初夏の到来を象徴する。
藤原京から香久山を眺めて詠んだとされる。
百人一首にも選ばれている歌なんですね! 語呂合わせで覚えやすいのもいいですね。 でも、もっと背景を知ると、さらに深く味わえそうです。
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夏の訪れを白衣で表現。香具山の風景に持統天皇の感性が光る万葉集の名歌。季節の移ろいを受け入れる、穏やかな心を詠んだ歌。