三毛別羆事件の英雄、山本兵吉とは? 生涯と事件、現代への影響について(?)三毛別羆事件と山本兵吉: 知られざる英雄の生涯
明治・北海道開拓時代、ヒグマとの死闘で名を馳せた猟師、山本兵吉。卓越した狩猟技術と日露戦争での経験を持つ彼は、三毛別の悲劇で英雄となる。300頭以上のヒグマを仕留めた伝説の猟師は、いかにして人々の命を守ったのか?吉村昭の小説「羆嵐」のモデル、山本兵吉の波乱万丈の生涯と、彼にまつわる謎に迫る。
💡 山本兵吉は、三毛別羆事件で人喰いヒグマを仕留めた英雄。その狩猟技術と勇猛さで人々の命を守った。
💡 事件後、彼は小説『羆嵐』のモデルとなり、その生涯は伝説として語り継がれている。彼の晩年と、現代への影響を考察。
💡 幕末から昭和初期にかけて活躍した猟師、山本兵吉。 300頭以上のヒグマを捕獲し、その功績は北海道開拓の歴史に刻まれる。
本日は、明治時代から昭和初期にかけて活躍した猟師、山本兵吉について詳しく見ていきましょう。
まずは、彼の功績を振り返りましょう。
北の大地を駆ける猟師
北海道開拓時代最強の猟師とは?
山本兵吉、300頭以上のヒグマを捕獲。
山本兵吉は、卓越した狩猟技術で、数々のヒグマを仕留めた。
特にサンケベツ村を襲った巨大ヒグマを単身で仕留めた話は有名です。
公開日:2019/08/05

✅ 伝説のマタギ、山本兵吉が、サンケベツ村を襲った巨大ヒグマを単身で仕留めた。
✅ 山本は、マタギとしての経験と技術を駆使し、ヒグマの心臓と脳天を正確に射抜いた。しかし、謝礼を拒否するなど、激しい性格の持ち主でもあった。
✅ ヒグマ退治後、山本はサンケベツ村に住み、その後も猟師として生きた。小動物を百発百中で仕留める腕前を持ち、長生きした。
さらに読む ⇒スッポコ谷の楊貴妃出典/画像元: https://dekochanya.hatenablog.com/entry/2019/08/05/120842山本兵吉の生きた時代は、北海道開拓の真っ只中。
生活を守るために狩猟は不可欠であり、彼の存在は人々の暮らしを支えました。
明治から昭和初期にかけて、北海道の開拓時代には、生活を守るために狩猟が不可欠でした。
その中で名を馳せたのが、山本兵吉という猟師でした。
彼は幕末の留萌郡鬼鹿村で生まれ、卓越した狩猟技術を磨き、若くして「サバサキの兄」と呼ばれるようになりました。
日露戦争に従軍した経験を持ち、射撃の腕前は非常に優れており、生涯で300頭以上のヒグマを捕獲したと伝えられています。
山本兵吉という人物の生きた時代背景がよく分かりました。日露戦争にも従軍していたんですね。射撃の腕も相当だったのでしょう。
三毛別羆事件:死闘の始まり
三毛別ヒグマ事件、何が悲劇を呼んだ?
開拓民を襲い、7名が死亡した。
1915年に起きた三毛別羆事件は、日本史上最悪の人喰い熊事件として知られています。
その詳細を紐解いていきましょう。

✅ 109年目を迎える三毛別事件について、被害を食い止めたハンター山本兵吉の知られざる足跡を著者が追跡した。
✅ 事件は1915年12月9日に発生し、加害熊によって胎児を含め7名(合計8名)が犠牲になった日本史上最悪の人喰い熊事件である。
✅ 山本兵吉の直孫である山本隆巳氏への取材や原戸籍の閲覧を通して、兵吉の知られざる来歴が明らかになった。
さらに読む ⇒現代ビジネス講談社出典/画像元: https://gendai.media/articles/-/142101三毛別羆事件は、多くの人々の命を奪った悲しい事件ですが、山本兵吉の行動が被害の拡大を防いだことは事実です。
1915年、北海道三毛別で、開拓民を襲うヒグマによる悲惨な事件が発生しました。
7名が死亡、3名が重傷を負うという、日本の獣害史上最も悲惨な事件でした。
事件当時、山本兵吉は経済的な理由で銃を質入れしていましたが、この事件の噂を聞きつけ、熊討伐隊に加わりました。
彼の狩猟技術は、この未曾有の事態において、大きな役割を果たすことになります。
三毛別羆事件、本当に恐ろしい事件ですね。山本兵吉は、そんな状況下で、どんな活躍をしたのか、次が楽しみです。
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20m先のヒグマを射止めた伝説のマタギ、山本兵吉。日露戦争の銃を手に、人々の命を守った英雄の生涯。彼の功績と、死後に囁かれる”羆の呪い”とは?