清原元輔の落馬騒動から読み解く、平安時代のユーモア精神とは?落馬、冠の脱落、そして清原元輔の機転
賀茂祭で落馬しハゲ頭を晒した清原元輔。周囲の嘲笑をものともせず、ユーモアと機知で笑いを笑い飛ばす! 清少納言と紫式部、対照的な二人の才媛を育てた父たちの個性と、笑いの本質を問いかける。容姿への揶揄がタブー視される現代社会で、笑いの奥深さを浮き彫りにする、抱腹絶倒エッセイ。
💡 清原元輔の落馬エピソードを通して、平安貴族の精神性や、ユーモアのセンスを探ります。
💡 清少納言と紫式部の対照的な個性と、それぞれの作品に現れる時代背景を考察します。
💡 現代のお笑いと、時代背景や価値観の変遷に伴う笑いの変化について考えます。
それでは、落馬というハプニングを機転とユーモアで乗り越えた清原元輔のエピソードから見ていきましょう。
清原元輔のユーモアと機転
清原元輔は落馬してどんな騒動を起こした?
禿頭をさらして笑い者に
清原元輔の落馬事件は、彼の機転とユーモアが際立つエピソードです。
周囲を笑わせながら場を収める姿は、流石としか言いようがありません。
公開日:2021/07/24

✅ 清原元輔は賀茂祭の奉幣使として一条大路を通りかかった際、馬から落馬し、頭から転倒しました。
✅ 元輔は落馬後も冷静に立ち上がり、冠が落ちたことを笑い者にされないよう、周囲の人々に説明しました。
✅ 元輔は落馬の原因を馬や道だけでなく、自身の鬢の薄さにも触れ、過去の同様な事例を挙げながら、笑いを嘲笑にしないよう説得しました。
さらに読む ⇒今昔物語集現代語訳出典/画像元: https://hon-yak.net/28-6/清原元輔は、落馬という不測の事態にも動じず、自らをネタにして周囲を笑わせました。
彼の機転と、自己を客観視する能力には感銘を受けます。
清原元輔は、賀茂祭の奉幣使として一条大路を進む際、馬がつまずいて落馬し、冠が脱げて禿頭をさらしてしまいました。
しかし、元輔は慌てることなく、周囲の公達に向かって、落馬は馬のせいであり、冠が脱げたのは頭髪が薄くなったせいだと説明し、過去の例を挙げて笑い者にされるのはおかしいと主張しました。
さらに、冠を取りに来た馬の口取りにも冷静に説教を行い、周囲の人々を笑わせたという話です。
元輔は世慣れた人物で、おかしなことを言って人を笑わせることを得意としていたようです。
落馬した際の元輔の対応、素晴らしいですね!ユーモアセンスもさることながら、状況を冷静に分析し、笑いに変える話術は、見習いたいです。
清少納言と紫式部の対照的な個性
清少納言と紫式部の対照的な個性は何が影響した?
父の性格
清少納言と紫式部の対比は興味深いですね。
二人の女性作家の個性、作品、そしてそれぞれの人生背景が詳細に語られています。

✅ 清少納言は、漢詩に明るく才知に長けた女性であり、一条天皇の中宮定子の家庭教師を務めた。 定子の父である藤原道隆の死後、宮中での立場が危うくなり、家に引きこもり「枕草子」を執筆した。 その後、定子の願いにより宮中に復帰するも、定子の死後再び宮中を去り、隠遁生活を送る。 「枕草子」は当初非公開であったが、左中将・源経房によって世間に広まり、大評判となり、完成に至った。
✅ 紫式部は、学者の父の影響で読書に親しみ、文学的才能を育んだ。 20代後半で結婚するも、夫の女性問題で寂しい思いをし、夫の死後に「源氏物語」を書き始める。 中宮彰子の家庭教師として宮中に仕え、漢文の才能も開花させた。 「源氏物語」は宮中で大評判となり、藤原道長の庇護を得て、五十四帖の大長編を完成させた。
✅ 清少納言と紫式部は、才気溢れる女性として知られるが、性格や作品は対照的である。 清少納言は明るくユーモアに満ちた作品「枕草子」を残し、紫式部は内気で自意識過剰な一面を持つ「源氏物語」を残した。 二人の間には確執があったという説もあるが、実際には会ったことはなく、紫式部が清少納言の才能に嫉妬していただけという見方もある。 どちらも平安時代を代表する女性作家であり、それぞれの作品を通して当時の社会や文化を垣間見ることができる。
さらに読む ⇒【公式】家庭教師のアルファ|プロ家庭教師の上質な指導出典/画像元: https://alpha-katekyo.jp/tips/tips233/清少納言と紫式部の父親の違いが、二人の性格や作品に与えた影響についての考察は、非常に興味深いですね。
それぞれの人生背景を理解する上で、重要な視点だと思います。
清少納言と紫式部は、共に受領となった父を持つ、そこまで身分が高くない貴族の娘です。
しかし、父のキャラクター性は正反対でした。
父と娘でケラケラ笑い合う清少納言と、父から「お前が男ならいいのにな」と言われてしまう紫式部。
二人の対照的な性格は、父親の影響も大きいと考えられます。
清原元輔は、天才的な和歌の才能を持つ一方で、藤原為時は漢籍を地道に読み込む秀才タイプでした。
清少納言は父の才能を受け継ぎ、才気あふれる人物として知られる一方で、紫式部は漢籍に精通し、深みのある作品を残しています。
このように、清少納言と紫式部の対照的な個性は、二人の父親の性格からも説明できます。
父親の影響は、二人の人生に大きく影響を与え、それぞれの個性や才能を形成したと考えられます。
清少納言と紫式部、こんなにも違う人生だったんですね。父親の性格がこんなにも影響するとは驚きです。それぞれの作品を読み返してみたくなりました。
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落馬で冠を落とした清原元輔。嘲笑する人々を前に、ユーモアと皮肉を交え冷静に反論!笑いの本質を問う、時代を超えた痛快エピソード。