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岸田吟香と岸田劉生:近代日本を彩った父子の足跡を辿る(?)岸田吟香と劉生、洋画家としての才能、実業家としての功績を紐解く。

銀座で育った洋画家・岸田劉生の父、岸田吟香。幕末から明治を駆け抜けた彼は、日本初の和英辞書編纂、従軍記者、そして日本初の水性目薬「精錡水」の発明者!実業家としても、初の見開き広告でレモン水を大ヒットさせるなど、革新的な試みに挑みました。社会貢献にも尽力し、盲人教育の基盤も築いた吟香の波乱万丈な生涯を、パンフレットで紐解きましょう。

岸田吟香と岸田劉生:近代日本を彩った父子の足跡を辿る(?)岸田吟香と劉生、洋画家としての才能、実業家としての功績を紐解く。

📘 この記事で分かる事!

💡 岸田吟香と岸田劉生の親子が遺した作品から、近代日本の思想と芸術を探求。

💡 岸田吟香の和英辞典編纂や目薬販売など、近代日本の発展への貢献を紹介。

💡 岸田劉生の西洋絵画と東洋文化の影響を受けた独自の画風、近代洋画への影響を解説。

それでは、まずは岸田吟香と岸田劉生の親子が遺した作品を中心に展示される企画展についてご紹介します。

銀座中央通りで育った画家、岸田劉生とその父、岸田吟香

岸田劉生はどんな場所で生まれ育ちましたか?

銀座中央通り

今回の企画展は、近代日本の文化と芸術に大きく貢献した岸田吟香と岸田劉生の功績を称えるものです。

岸田吟香と岸田劉生—近代、それは東洋にあり—
岸田吟香と岸田劉生—近代、それは東洋にあり—

✅ 豊田市博物館で開催される「岸田吟香と岸田劉生—近代、それは東洋にあり—」展では、実業家・ジャーナリストの岸田吟香と洋画家・岸田劉生の親子が遺した作品を中心に展示され、西洋文化や技術を日本に普及させながらも東洋文化への関心を持ち続けた彼らの思想と芸術を探ります。

✅ 吟香は、日本初の和英辞典『和英語林集成』の編纂や目薬「精錡水」の製造・販売など、近代日本の発展に貢献した一方、中国に渡り、最先端の書を日本にもたらしました。

✅ 劉生は、西洋絵画に学んだ写実的な表現に加え、宋・元時代の中国絵画の影響を受け、独自の画風を確立し、近代日本の洋画発展に大きな影響を与えました。

さらに読む ⇒今見られる全国のおすすめ展覧会出典/画像元: https://katycom.info/museum/%E5%B2%B8%E7%94%B0%E5%90%9F%E9%A6%99%E3%81%A8%E5%B2%B8%E7%94%B0%E5%8A%89%E7%94%9F-%E8%BF%91%E4%BB%A3%E3%80%81%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%AF%E6%9D%B1%E6%B4%8B%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8A/

岸田吟香と劉生の作品を通して、近代日本の文化を多角的に見ることができそうですね。

西洋と東洋、それぞれの文化がどのように影響し合ったのか、興味深いです。

岸田劉生は、銀座中央通りに面した場所、現在の銀座貿易ビルの南半分、地上に花店のある場所で生まれ育ちました。

彼の父、岸田吟香は、明治期のジャーナリスト・実業家で多岐にわたる活躍を見せました。

吟香は、幕末にヘボン博士と共に日本で初めての和英辞書「和英語林集成」を編纂し、台湾従軍記で従軍記者として名を馳せました。

また、ヘボン博士から目薬の処方箋を受け継ぎ、日本で初めて水タイプの目薬「精錡水」を販売しました。

さらに、盲人教育のための「楽善会訓盲唖院」を設立し、現在の筑波大学付属視覚特別支援学校の礎を築きました。

劉生自身も、銀座中央通りで育ち、その思い出をエッセイ「新古細句銀座通」に記しています。

岸田吟香さんの多才ぶりには驚かされますね。ジャーナリスト、実業家、教育者…様々な顔を持ちながら、そのすべてで日本の発展に貢献しているなんて。

多面的で先駆的な実業家としての岸田吟香

吟香はどんなビジネスに挑戦しましたか?

横浜新報発行、銀座経営など

企画展では、岸田吟香の多面的な活躍に焦点を当て、その功績を多角的に検証するとのことです。

【豊田市】豊田市博物館開館周年及び岸田吟香没後年を記念した企画展「岸田吟香と岸田劉生―近代、それは東洋にありー」を開催します
【豊田市】豊田市博物館開館周年及び岸田吟香没後年を記念した企画展「岸田吟香と岸田劉生―近代、それは東洋にありー」を開催します

✅ 豊田市博物館は、開館1周年と岸田吟香の没後120年を記念して、企画展「岸田吟香と岸田劉生―近代、それは東洋にあり―」を開催します。

✅ 本展では、西洋文化と東洋文化を融合させた岸田吟香と、画家の岸田劉生の作品約100点を展示し、日本の近代化が西洋だけでなく東洋からの影響も受けていることを示します。

✅ 関連イベントとして、吟香と同時代の書や、劉生の人物像に関する講演会が開催されます。

さらに読む ⇒|プレスリリース・ニュースリリース配信サービス出典/画像元: https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000063.000110999.html

岸田吟香は本当に様々な事業を手掛けていますね。

レモン水の広告は、当時としてはかなり斬新だったのではないでしょうか。

「清涼甘美」というコピーも印象的ですね。

吟香は、様々な事業を成功させた実業家でもありました。

横浜新報の発行、銀座での店の経営、精錡水の取次所設置、レモン水の販売など、数々の挑戦を行いました。

特に、日本で初めて2ページ見開き広告を掲載し、「清涼甘美」という名コピーでレモン水を宣伝したことが注目されます

日清戦争の前後に中国へ渡った吟香は、若者たちの活動支援や日中間の将来について考え始めました。

岸田吟香さん、すごいですね! 実業家としても革新的なことをたくさんされていて。日清戦争前後に中国へ渡られたというのも興味深いです。

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幕末~明治を生きた岸田吟香。神童と呼ばれ、眼科医や実業家として活躍。洋画家・劉生らの父であり、その功績は今も語り継がれる。彼の生涯をパンフレットで紐解こう。