日本海中部地震から40年~追悼と防災意識~何が起きた?日本海中部地震の犠牲者を悼む追悼式典と、防災意識の向上
1983年5月26日、日本海中部沖地震が秋田県を襲い、津波で多くの命が失われた。42年が経ち、犠牲者を悼む追悼の祈りが捧げられた。壊滅的な被害、救助活動、そして残された人々の深い悲しみ。未来へ語り継ぐ教訓とは? あの日の記憶を胸に、防災意識を高め、命を守るために。
💡 1983年5月26日に発生した日本海中部地震の概要と、秋田県と青森県を中心とした被害状況について解説します。
💡 地震による津波の被害が大きく、特に秋田県では多くの犠牲者が出ました。死者の多くは津波によるものでした。
💡 地震発生後の復旧活動と、防災意識の向上のための取り組み、そして40年経った追悼の様子について紹介します。
それでは、まず日本海中部地震の概要と、当時の被害状況について見ていきましょう。
日本海中部地震の発生と被害
1983年日本海中部地震、秋田県にどんな被害?
死者104名、津波被害が深刻
1983年5月26日に発生した日本海中部地震は、秋田県と青森県に大きな爪痕を残しました。
当時の記録や被害状況を振り返り、その教訓を今に伝えます。
公開日:2022/02/20

✅ 1983年5月26日に発生した地震について、当時30代前半だった著者が、地震発生時の状況と、街中や駅周辺で目撃した被害の様子を振り返っている。
✅ 著者は、地震発生直後に街中や駅周辺の被害状況を撮影するために、北羽新報二ツ井支局から能代市の本社に向かった。
✅ 記事では、地震の揺れよりも津波による被害が大きく、多くの犠牲者が出たことなどが記されている。
さらに読む ⇒ニュースサイト出典/画像元: https://mainichi.jp/articles/20220220/ddl/k05/070/017000c津波の恐ろしさを改めて感じます。
地震だけでなく、津波による被害の大きさを知り、防災意識を高く持つことの大切さを痛感しました。
1983年5月26日、日本海中部沖地震が発生し、秋田県と青森県に大きな被害をもたらしました。
秋田県では、死者104名、負傷者324名、住宅被害は全壊1584棟、半壊3515棟、一部破損5954棟に達しました。
特に、津波による被害が大きく、死者104名中100名が津波による犠牲者でした。
秋田県は地震発生後すぐに県災害対策本部を設置し、被災地の支援活動を行いました。
政府も「昭和58年(1983年)日本海中部地震非常災害対策本部」を設置し、被災地への支援を行いました。
詳細な被害状況ですね。津波が原因で多くの犠牲者が出たというのは、本当に恐ろしいことです。当時の人々の心情を考えると胸が痛みます。
災害復旧と防災意識の向上
秋田県は地震の教訓から何を強化した?
防災意識と対策
大雨による土砂災害の危険性について、具体的な注意点と避難の必要性を解説します。
梅雨時期の災害への備えについて考えていきましょう。

✅ 秋田県では、18日(火)~19日(水)にかけて再び大雨の恐れがあり、土砂災害、川の増水や氾濫に厳重に警戒する必要がある。
✅ 17日(月)は梅雨前線の活動は弱まるものの、湿った空気の影響で断続的な雨が降り、局地的に雨脚が強まる可能性もあるため、地盤の緩みに注意が必要。
✅ 土砂災害の前触れとして、がけや地面のひび割れ、木が裂ける音、井戸や川の水の濁り、がけからの水湧き出しなどが挙げられ、これらの兆候が見られた場合は、すぐに安全な場所に避難する必要がある。
さらに読む ⇒日本気象協会出典/画像元: https://tenki.jp/forecaster/y_maki/2023/07/16/24251.html災害復旧のための予算計上や、防災意識向上のための取り組みが行われたことは重要ですね。
過去の教訓を活かし、より安全な社会を築いていく必要があると感じました。
秋田県では、災害復旧のための予算を計上し、県議会で災害復旧対策について議論が行われました。
また、政府、国会、その他の関係機関に対し、支援を求める陳情を行いました。
この地震を教訓に、津波対策や港湾堤防などの災害復旧について議論が進み、防災意識の向上に繋がりました。
土砂災害の前触れとなる兆候を具体的に教えていただけて、とても参考になりました。いざという時のために、しっかり覚えておきたいと思います。
次のページを読む ⇒
日本海中部地震から42年。男鹿市と能代市で追悼。津波の犠牲者を悼み、記憶と教訓を未来へ。あの日の悲劇を忘れず、防災意識を高める。