福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件とは? 1970年北海道日高山脈での悲劇の詳細(?)日高山脈ヒグマ襲撃事件の真相と教訓
1970年、北海道を震撼させたヒグマ襲撃事件。福岡大学ワンダーフォーゲル部の学生3名が死亡した悲劇は、登山道の安全対策と自然への畏敬の念を問いかける。生存者の証言、興梠メモの悲痛な記録、そして事件後50年経っても消えない記憶。史上最悪の獣害事件から、現代の登山者が学ぶべき教訓とは何か。ヒグマの脅威、そして人間との共存への道を探る。
💡 1970年7月、北海道日高山脈で福岡大学ワンダーフォーゲル部の学生5名がヒグマに襲われ、3名が死亡するという悲劇的な事件。
💡 事件はヒグマの執拗な襲撃と、生存者の証言、そして犠牲者の残したメモによって、その詳細が明らかになっていく。
💡 この事件は、現代の登山における安全対策の重要性、自然との共存について、改めて考えさせる教訓を含んでいる。
それでは、この記事では、1970年に発生した福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ襲撃事件について、詳細に解説していきます。
まず、この事件の概要と、そこから私たちが学べる教訓について見ていきましょう。
悲劇の始まり 1970年夏の遭難
日高山系での悲劇、何を教訓にすべき?
安全対策と畏敬の念
この章では、事件の始まりである遭難の具体的な状況を解説します。
ヒグマの襲撃、メンバーの行動、そして悲劇的な結末へと至るまでの詳細な経緯を追っていきましょう。

✅ 1970年7月、北海道日高山脈で福岡大学ワンダーフォーゲル部の5人がヒグマに襲われ、3人が死亡した事件。
✅ 事件はカムイエクウチカウシ山付近で発生し、ヒグマは執拗にテントを襲撃。メンバーは何度もヒグマから逃げるため、山を下りようとした。
✅ 最終的に3人のうち、河原さんがヒグマに襲われて死亡。他の2人は助けを求めて下山し、事件は悲劇的な終わりを迎えた。
さらに読む ⇒怖いお話【厳選まとめ】出典/画像元: https://kowaiohanasi.net/fukuokadai-wangerubuヒグマの恐ろしさと、自然の厳しさを痛感させられる事件でした。
あの時代に、このような事件が起きてしまったことは、本当に悲しいです。
安全対策がいかに重要か、改めて考えさせられます。
1970年の夏、北海道の日高山系で福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の学生5名がヒグマに襲撃され、3名が亡くなった事件は、登山における安全対策の重要性と、自然への畏敬の念を改めて考えさせる教訓となりました。
この事件は、昭和・平成を通じて史上最悪のヒグマによる獣害事件として知られています。
当時のメンバーは13日間かけて登山中、何回かクマと遭遇し、テントを破壊されるなど被害を受けました。
特に7月25日の夜は、ヒグマがテント周辺をうろつき、メンバーのリュックサックをくわえて移動する様子、ラジオの音で逃げるヒグマなどが記録されています。
翌26日には、ヒグマが再度テントに近づいたため、リーダーの指示でサブリーダーの滝俊二さんと河原吉孝さんは救助要請に向かいました。
彼らは北海学園大学の登山部と出会い、救助を依頼し、再びメンバーと合流しました。
しかし、その日の夕暮れ時、ヒグマが再び出現し、メンバーは逃げ惑い、バラバラに身を隠すことになりました。
この事件は、登山者だけでなく、自然と関わる全ての人々にとって、教訓となる出来事ですね。当時の状況を詳細に知ることで、安全意識を更に高める必要性を感じます。
生存者の証言と興梠メモ
ヒグマ襲撃事件の死者の記録は何が教えてくれる?
事件の恐怖と危険
この章では、生存者の証言や興梠メモを通して、事件の深層に迫ります。
彼らの言葉から、事件の真相と、ヒグマの脅威、そして当時の状況を詳しく見ていきましょう。
公開日:2024/05/01

✅ 1970年7月、北海道の日高山脈で福岡大学ワンダーフォーゲル部の5人がヒグマに襲われ、3人が亡くなった「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」の概要と、事件の経緯、犠牲者、生き残った2人のその後について説明します。
✅ 亡くなった興梠盛男さんが残したメモ「興梠メモ」の内容を紹介し、彼がヒグマと遭遇してから逃げ、テントに隠れるまでの状況を詳しく説明します。
✅ 興梠メモの最後には、ヒグマがテントの上部に現れたこと、救援を呼ぶことができたのか不安であること、霧が濃くなっていることなどが震えた文字で書かれていたことが記されています。
さらに読む ⇒みつリン食堂出典/画像元: https://javelinmitsu.com/wadahiejireuide/興梠メモの記述は、本当に生々しく、読んでいて胸が締め付けられます。
極限状態での人間の心理描写は、忘れられないものとなります。
生存者の証言と共に、事件を多角的に理解できます。
事件の発生後、生存者である滝俊二さんと西井義春さんは、それぞれの経験を語っています。
滝俊二さんは、当初「人食い熊」と表現されたヒグマを、その後「単なる動物」として捉え、自然に対する畏敬の念を強調しました。
一方、西井義春さんは、ヒグマの襲撃から逃れる過程で、自分の行動が仲間を危険にさらしてしまったという強い後悔の念を抱えて生きています。
事件当時、大学2年生だったメンバーの興梠盛男さんは、ヒグマに襲撃される直前までメモを残していました。
そのメモの内容は恐ろしいものであり、事件の悲惨さを改めて認識させます。
興梠メモは、この事件で亡くなったメンバーの一人、興梠盛男氏が事件中に記録した手記です。
この手記は、ヒグマがテント周辺をうろつき、メンバーのリュックサックをくわえて移動する様子、ラジオの音で逃げるヒグマ、そして最終的にヒグマに追いかけられ、必死に逃げ惑う様子などが克明に記されています。
特に、ヒグマに追いかけられた際の恐怖と必死の逃亡の様子は、読み手の心を強く揺さぶるものであり、ヒグマの脅威と遭遇時の危険性を改めて認識させてくれます。
興梠さんのメモは、事件の悲惨さを物語っていますね。生存者の証言と合わせて、当時の恐怖が伝わってきます。事件の全容を知る上で、非常に貴重な資料だと思います。
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ヒグマとの遭遇、その悲劇を忘れない。昭和の獣害事件を教訓に、安全な登山のために。貴重な証言と教訓が、あなたの登山を変える。