Gone Hidden Logo Menu opener

中世日本の騒乱!僧兵と強訴とは?(?)武装した僧侶たちの戦い

平安時代、白河法皇を悩ませたのは、武力ではなく神仏の権威を笠に着た僧兵たちの「強訴」! 恐るべきは、神木や神輿を掲げ、朝廷を震え上がらせるその戦術。怨霊や祟りを恐れる貴族たちは屈するしかなかった。東大寺、興福寺、延暦寺…巨大寺社と僧兵の知られざる攻防戦! 織田信長が武力で制圧した、宗教勢力の闇と権力闘争の歴史を紐解く。

中世日本の騒乱!僧兵と強訴とは?(?)武装した僧侶たちの戦い

📘 この記事で分かる事!

💡 僧兵とは、武装した僧侶のこと。彼らは寺社を守るため、または自らの要求を通すために、武力を行使した。

💡 強訴とは、僧兵が神仏の権威を笠に着て朝廷に要求を突き付ける行為。神木や神輿を運び込み、圧力をかけた。

💡 僧兵は、平安時代から鎌倉時代にかけて勢力を拡大。しかし、戦国時代には織田信長によって武力で制圧された。

それでは、中世日本の歴史を揺るがした僧兵と強訴について、詳しく見ていきましょう。

まずは、その始まりから解説します。

僧兵の台頭と強訴

平安時代の白河法皇を悩ませた、延暦寺僧兵の脅威とは?

神仏の権威を使った「強訴」

比叡山延暦寺が強訴を通じて権威を確立していく過程は、当時の社会情勢と密接に絡み合っています。

この章では、僧兵がどのように台頭し、強訴という手段を用いて権力を掌握していったのかを解説します。

僧侶が武装化!源頼朝や織田信長も恐れた権力者に屈服しない僧兵集団「比叡山延暦寺」【後編】
僧侶が武装化!源頼朝や織田信長も恐れた権力者に屈服しない僧兵集団「比叡山延暦寺」【後編】

✅ 比叡山延暦寺は、朝廷や幕府に対し、自らの要求を認めさせるため、神罰や武力をかざす「強訴」を繰り返し、権威を確立しました。

✅ 強訴の代表例として、建久2年の強訴では、延暦寺は近江国守護・佐々木定綱を襲撃し、源頼朝に強訴して定綱ら親族を配流させました。

✅ 天文法華の乱では、日蓮宗との宗教問答に敗れた延暦寺は、日蓮宗撃滅のため武力行使を行い、京都における日蓮宗の寺社を焼き払い門徒を殺害しました。

さらに読む ⇒日本文化と今をつなぐウェブマガジン出典/画像元: https://mag.japaaan.com/archives/235093

強訴は、時の権力者たちにとって頭の痛い問題だったことがよくわかります。

神仏の権威を盾に、あの手この手で要求を通そうとする姿は、現代社会にも通じる部分があるかもしれませんね。

平安時代の白河法皇は、強大な権力を持っていても、延暦寺の僧兵による強訴には頭を悩ませていました。

僧兵は武装した僧侶で、仏法によって国を護るために国に認められ出家した僧侶でしたが、土地や税金をめぐる争いを勝ち抜くために武装化しました。

当時の日本は神仏習合が盛んで、仏教における仏様は日本の神々の化身とされ、僧侶は神々の権威を利用して朝廷に圧力をかけました。

特に、東大寺、興福寺、延暦寺の三寺院は大きな勢力を持ち、僧兵を擁していました。

僧兵の厄介な点は武力ではなく、神仏の権威をかざして朝廷に無理難題を要求する「強訴」という行為です。

強訴の具体的な方法としては、神木や神輿を朝廷内に持ち込むことがありました。

神聖なる神木や神輿を掲げられると、平安貴族たちは怯み上がり、僧兵の要求を受け入れざるを得ませんでした

これは、怨霊や祟り、穢れに対する強い恐怖心があったためです。

興福寺は春日大社、延暦寺は日吉神社の神を信仰しており、それぞれの神社の神輿や神木が強訴の道具として利用されました。

強訴の手口が、まるで策略のように思えますね。神輿や神木を使い、貴族を脅すとは…当時の人々の宗教観や、権威のあり方が興味深いです。

白河法皇と僧兵の対峙

白河法皇は何に悩んでいた?

僧兵の強訴

白河法皇が、僧兵の強訴に悩まされたというエピソードは、権力者の苦悩を象徴していますね。

この章では、白河法皇と僧兵の対立を中心に、強訴の実態に迫ります。

僧兵の強訴について簡単にわかりやすく紹介【白河法皇を悩ませた山法師とは】

公開日:2018/03/15

僧兵の強訴について簡単にわかりやすく紹介【白河法皇を悩ませた山法師とは】

✅ この記事は、平安時代の僧兵とその強訴について解説しています。

✅ 僧兵は、武装した僧侶のことで、武力により土地や税金の争いを勝ち抜く必要から生まれました。

✅ 僧兵が行った強訴は、神仏習合思想に基づき、神木や神輿を朝廷内に持ち込み、朝廷に無理難題を要求するものでした。当時の平安貴族は、怨霊や祟りを恐れていたため、僧兵の強訴に屈することが多かったのです。

さらに読む ⇒まなれきドットコム出典/画像元: https://manareki.com/sohei_goso

白河法皇の「わが心にかなわぬもの」という言葉に、当時の僧兵への困惑や、どうしようもない気持ちが表れていますね。

権力者でもどうすることもできない状況があったことに驚きます。

白河法皇は僧兵の強訴に悩まされ、「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」という言葉を残しました。

これは、僧兵の強訴が自然災害や運勢のようにどうしようもないと感じた白河法皇の苦悩を表しています

僧兵の強訴は、白河法皇にとって大きな頭痛の種であり、彼の権力をもってしても解決できない問題でした。

白河法皇ですら悩ませた僧兵たちの強訴、一体どんなものだったのか、とても興味があります!当時の人々の生活や、宗教に対する考え方も知りたいです。

次のページを読む ⇒

鎌倉時代から戦国時代へ。強訴と寺社勢力の台頭、織田信長の武力制圧。宗教勢力と権力者の攻防を描く歴史の転換点。