朋誠堂喜三二とは? 多才な黄表紙作家の生涯と作品の魅力に迫る!多才な江戸の戯作者、朋誠堂喜三二の世界
江戸の浮世を彩った戯作者、朋誠堂喜三二。吉原を舞台に、洒落本や黄表紙で一世を風靡し、蔦屋重三郎との出会いも。しかし、寛政の改革が彼を翻弄。それでも狂歌で筆を執り続けた。NHK大河ドラマ『べらぼう』でも描かれる、彼の作品と人生。吉原細見、見徳一炊夢…その名は、江戸文化を象徴する。
狂歌への転向と晩年
朋誠堂喜三二はどんな活動で知られていますか?
狂歌と文筆
狂歌に転向後の喜三二の活躍についても見ていきましょう。

✅ 手柄岡持(朋誠堂喜三二)は江戸時代の狂歌師であり、彼の自筆作品と関連資料は、狂歌や絵画、書道、日記など多岐にわたる内容で、彼の多才な才能と当時の文化を知る貴重な資料です。
✅ 自筆作品には、狂歌や俳句などの作品に加え、絵画や書道作品も含まれており、彼の芸術的な側面も垣間見ることができます。
✅ 関係資料には、手柄岡持自身の作品以外にも、彼の友人や知人である飯塚盞瓶や岩堀氏應の作品が含まれており、当時の文化人たちの交流やネットワークを知る上で重要な資料です。
さらに読む ⇒文化遺産オンライン出典/画像元: https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/430006狂歌の世界でも才能を発揮し、晩年まで文筆活動を続けたんですね。
様々なジャンルで才能を発揮した喜三二は本当に多才ですね。
黄表紙の創作を断念した後、朋誠堂喜三二は狂歌に熱中し、「手柄岡持」の名で文筆活動を続けました。
1813年(文化10年)に亡くなり、翌年には『岡持家集我おもしろ』が出版されました。
朋誠堂喜三二は、吉原通いを通して培った知識と経験を活かし、数々の作品を発表し、江戸の文化に大きな影響を与えた人物です。
狂歌に転向後も活躍していたんですね。黄表紙から狂歌へと、表現方法を変えながらも創作を続けた喜三二は素晴らしいですね。
大河ドラマ『べらぼう』に登場する平沢常富
大河ドラマ「べらぼう」の平沢常富はどんな人物?
秋田藩士で戯作者
大河ドラマでの平沢常富の登場も楽しみですね。

✅ 「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第12回では、尾美としのりさん演じる平沢常富が、人気戯作者・朋誠堂喜三二であることが明らかになりました。
✅ 平沢は吉原通いを経験し、遊里での立ち振る舞いやファッションなどを記した「当世風俗通」を出版したことから、ドラマ内で゛吉原通゛ぶりを披露しました。
✅ 平沢の役職である留守居役は、江戸屋敷に常駐し、幕府や他藩との交渉、情報収集などを行う外交官であり、藩の垣根を越えた親睦を図る留守居組合が存在していました。この組合の活動は、遊興目的の懇親会も多く、吉原での会合も頻繁に行われたため、「留守居役の勤務先は遊郭」と陰口をたたかれたほどでした。
さらに読む ⇒ニュース出典/画像元: https://news.yahoo.co.jp/articles/7d3081fac742132dcbe4dbfd77d3f7781868bd26ドラマでは、平沢常富として描かれるんですね。
吉原通としての側面や、戯作者としての活躍がどのように描かれるのか、とても楽しみです。
2025年のNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』第12話では、尾美としのりさんが演じる平沢常富が登場します。
彼は秋田藩士でありながら、吉原に通い、戯作者としても活躍していました。
平沢常富は、秋田藩の江戸留守居役として、藩の重要な役職を担っていました。
彼は、吉原に通う通人として、江戸の文化に精通し、人脈を築きました。
また、蔦屋重三郎とも親交があり、出版界にも関与していました。
平沢常富は、戯作者「朋誠堂喜三二」として、江戸庶民を笑わせる戯作を執筆していました。
例えば、『桃太郎後日噺』や『南陀羅法師柿種』などがあります。
彼の戯作は、吉原や江戸の庶民生活を描いたもので、当時の社会風俗や人々の暮らしを知る貴重な資料となっています。
大河ドラマで朋誠堂喜三二が登場するなんて、歴史好きとしては嬉しいですね! どのような物語になるのか、今からワクワクします。
「明月余情」と「見徳一炊夢」に見る喜三二の多才さと出版界
「明月余情」は何を記録した本?
吉原の祭り「俄」
喜三二の多才さと出版界との関係性について、さらに詳しく見ていきましょう。
公開日:2024/11/05

✅ 朋誠堂喜三二は、秋田藩の江戸留守居役で、吉原遊郭に精通した戯作者であり、蔦屋重三郎の「エンタメ本」の「顔」として活躍しました。
✅ 喜三二は、蔦屋重三郎との深い関係があり、吉原遊郭を題材にした洒落本や黄表紙を数多く執筆しました。
✅ 喜三二は、恋川春町と親交があり、二人は共同で黄表紙を制作するなど、当時の文化界を牽引する存在でした。
さらに読む ⇒美術展ナビ出典/画像元: https://artexhibition.jp/topics/news/20241028-AEJ2463256/『明月余情』や『見徳一炊夢』を通して、当時の出版業界の様子や、喜三二と蔦重、春町の関係性がよく分かりますね。
『明月余情』は、吉原の祭り「俄」を記録した本で、武士であり文才・画才を持つ喜三二と春町が共同で制作した。
喜三二は序文を執筆し、春町は挿絵を担当した。
吉原の繁栄を象徴するイベントである「俄」の模様を、番付形式で詳細に描き、当時の風俗や文化を垣間見ることができる。
喜三二と春町は、共に武士でありながら狂歌の世界でも活躍していた。
彼らは、吉原という当時の最先端の文化に触れ、そこでの交流を通して蔦重と出会い、耕書堂の出版活動に深く関わるようになった。
喜三二は、耕書堂の出版物に多くの序文を執筆し、春町は絵師として作品に彩りを添えた。
彼らの才能と知識が蔦重の出版事業を成功に導き、吉原という独特な文化を世に広める役割を果たした。
『明月余情』は、当時の吉原の様子を知る貴重な資料であり、同時に、武士と遊廓という一見異なる世界が交差する興味深い側面を浮き彫りにする作品である。
NHKの大河ドラマ『べらぼう』20話「寝惚けて候」では、板元たちが「みるがとく」というセリフを頻繁に口にする。
これは、戯作者の朋誠堂喜三二が書いた黄表紙本「見徳一炊夢」の略称で、実在した作品である。
「見徳一炊夢」は、金持ちの息子が親の金を盗んで豪遊の旅に出るが、歳をとって戻ってみると家は没落していたという物語。
しかし、実はそれは出前の蕎麦が届くまでの「一炊の夢」だったというオチである。
この「見徳」という作品は、文人としても名高い大田南畝が著作の黄表紙評判記「菊寿草」で高く評価したことから、江戸市中でベストセラーとなる。
しかし、蔦屋重三郎の耕書堂が板元となっているため、地本問屋同士の取り決めで江戸市中では扱えないという問題があった。
「見徳一炊夢」をきっかけに、蔦屋重三郎は大田南畝に礼を述べるため、本とせんべいを土産に南畝の屋敷を訪れる。
これが、二人の初対面となり、その後も交流を深めていくことになる。
ドラマのこのエピソードは、史実に基づいているとされ、蔦屋重三郎が南畝の評価に喜び、感謝の気持ちを表すために初めて南畝の自宅を訪れたという記録が残っている。
『べらぼう』20話では、「みるがとく」というセリフを通して、「見徳一炊夢」の評判、蔦屋重三郎と大田南畝の関係、そして当時の出版業界の状況が描かれている。
「見徳一炊夢」が蔦重と大田南畝の出会いのきっかけになったというのは、面白いですね。出版業界の裏側を知ることができて興味深いです。
朋誠堂喜三二は、多才な才能で江戸文化に貢献した人物でした。
大河ドラマでの活躍も楽しみですね。
💡 朋誠堂喜三二は、黄表紙作家として活躍し、吉原遊郭に関する作品を多く執筆。
💡 晩年には狂歌に転向し、多才ぶりを発揮。大河ドラマにも登場。
💡 蔦屋重三郎との協力関係も深く、江戸の出版文化に貢献しました。