大プリニウスと博物誌、ヴェスヴィオ火山噴火の謎?古代ローマの博物学者プリニウス
古代ローマの博物学者、大プリニウス。百科事典『博物誌』で知られ、ポンペイを襲ったヴェスヴィオ火山の噴火を詳細に記録。その最期は、友人救出に向かう途中で火山ガスに倒れた悲劇。近年、噴火を目撃した可能性がある別荘が発見され、その生涯と業績への関心が再び高まっている。軍人であり、多才な作家でもあったプリニウスの知られざる姿に迫る。
💡 大プリニウスは、百科事典『博物誌』の著者であり、自然科学、地理学、美術など幅広い分野に精通していました。
💡 ヴェスヴィオ火山噴火の際、友人を救うために現場に向かい、そこで命を落としました。彼の死は、自然の脅威を物語っています。
💡 近年、大プリニウスに関連する別荘が発見され、彼の研究や生活に関する新たな手がかりが得られる可能性が出てきました。
今回は、古代ローマの博物学者大プリニウスに焦点を当て、彼の生涯、功績、そしてヴェスヴィオ火山噴火との関わりについてご紹介します。
それでは、まずプリニウスの功績から見ていきましょう。
大プリニウスの生涯と業績
大プリニウスは何で有名?
百科事典「博物誌」
さて、大プリニウスの生涯について、さらに詳しく見ていきましょう。
公開日:2021/06/20

✅ ガイウス・プリニウス・セクンドゥスは、古代ローマの博物学者であり政治家として知られています。彼は、膨大な知識を詰め込んだ百科事典的な著作「博物誌」の著者として有名です。
✅ プリニウスはストア派の思想に傾倒し、自然界の理解を深めることに情熱を燃やしていました。彼は生涯を通じて精力的に研究と執筆を行い、博物誌以外にも、歴史、軍事、弁論術に関する多くの著作を残しました。
✅ プリニウスは、ヴェスヴィオ山の噴火で死亡しました。彼は噴火の調査と友人の救出のため現場に赴きましたが、火山ガスによる中毒死と考えられています。彼の死後、甥の小プリニウスが「博物誌」を出版し、現在に至るまで重要な文献として読み継がれています。
さらに読む ⇒世界の歴史まっぷ世界史用語を国・時代名・年代・カテゴリから検索出典/画像元: https://sekainorekisi.com/glossary/%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%82%AF%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%B9/大プリニウスの学問に対する情熱と、それを支えた環境がよくわかります。
彼の著作が後世に与えた影響は計り知れませんね。
ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(大プリニウス)は、西暦23年から79年にかけて生きたローマの作家、博物学者、自然哲学者、初期ローマ帝国の海軍および陸軍司令官であり、皇帝ウェスパシアヌスの友人でした。
彼は百科事典的な『博物誌』を著しました。
これは人間の知識と自然界に関する幅広いテーマを網羅した包括的な37巻の作品で、百科事典の編集モデルとなりました。
彼は余暇のほとんどを研究、執筆、および現場での自然現象と地理現象の調査に費やしました。
大プリニウスはコモで生まれ、騎馬武者のガイウス・プリニウス・ケレルと妻マルチェラの息子でした。
彼は、皇帝の胸像に刻まれた「PLINIOPRAEFEQ」という刻印がついた、ザンテン騎馬像の1つとして、彼の部隊の兵士全員に支給されたものと思われます。
彼は妹のプリニアがおり、彼女はカエキリウス家に嫁ぎ、甥の小プリニウスの母親となりました。
小プリニウスの手紙には、叔父の大プリニウスの仕事や勉学の習慣が詳細に記されています。
小プリニウスはタキトゥスに宛てた手紙の1つで、叔父が私たちの祖先の習慣に従って、軽くてシンプルな朝食を食べていたことを詳しく述べています。
なるほど!プリニウスって、ものすごい人だったんですね。百科事典を作ったってだけでもすごいのに、軍人でもあったなんて!朝食が軽食だったってのも、ちょっと意外でした。
ヴェスヴィオ山噴火と大プリニウスの死
大プリニウスの死因は?
有毒ガス
次に、ヴェスヴィオ火山噴火と大プリニウスの死について見ていきましょう。

✅ ヴェスヴィオ火山の噴火で有名なポンペイの近くで、古代ローマの別荘が発見されました。
✅ この別荘は、79年のヴェスヴィオ火山の噴火を記録した「博物誌」の著者である大プリニウスの別荘である可能性が高いとされています。
✅ 別荘は今後野外博物館として公開され、市民や観光客に公開される予定です。
さらに読む ⇒(ギガジン)出典/画像元: https://gigazine.net/news/20240202-roman-villa-discovered-pliny-the-elder/大プリニウスが友人を救おうとした行為は、彼の人間性を表していますね。
自然災害の恐ろしさと、それに立ち向かった人々の勇気を感じます。
大プリニウスは、西暦79年にスタビアエで、ヴェスヴィオ山の噴火から友人とその家族を救出しようとして亡くなりました。
彼は軍人であり、多作な作家でもありました。
彼は、世界についての知識をまとめた『博物誌』で特に有名です。
大プリニウスは、ヴェスヴィオ山噴火の際に友人を救出するために危険な場所へ向かい、有毒ガスに襲われて亡くなりました。
彼の死は、自然の力に対する人間の脆さを物語っています。
噴火で亡くなったなんて、悲しいですね…。でも、友人を助けに行こうとしたっていうのは、すごいと思います!
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ポンペイを飲み込んだヴェスヴィオ火山噴火。大プリニウスの別荘発見!噴火を目撃し、命を落とした場所か?貴重な歴史資料となる発見に注目。