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大奥最後の御年寄・瀧山とは?激動の幕末を駆け抜けた女性の生涯とは?江戸城大奥を支えた女性、激動を生きた瀧山の生涯

江戸幕府の大奥を揺るがした女、瀧山。14歳で大奥入りし、2代の将軍に仕え、異例の出世を遂げた。将軍の決定に影響力を持つほど権力を握り、徳川慶喜からも警戒された。激動の幕末を生き抜き、大奥を守り抜いた彼女の生涯とは?将軍継嗣問題での葛藤、大奥の裏側、そして子孫へと受け継がれる女性像を描く、波乱万丈の物語。

大奥最後の御年寄・瀧山とは?激動の幕末を駆け抜けた女性の生涯とは?江戸城大奥を支えた女性、激動を生きた瀧山の生涯

📘 この記事で分かる事!

💡 瀧山は、江戸幕府の大奥で最後の御年寄を務め、将軍に仕え、幕末の混乱期を生き抜いた人物です。

💡 彼女は16歳で大奥に入り、異例の出世を遂げ、権力の中枢で活躍。将軍家定、家茂に仕えました。

💡 大奥の終焉を見届け、静かな余生を送った瀧山。その生涯を紐解きます。

それでは、瀧山の生涯を年代ごとに追っていきましょう。

まずは、彼女が大奥に入るまでです。

大奥入りと激動の日々

瀧山はどんな人物だったの?

聡明で優れた御年寄

瀧山は、大奥で才能と勤勉さで出世し、激動の幕末を経験しました。

将軍家定に仕え、大奥を支えましたが、その道のりは平坦ではありませんでした。

大奥最後の御年寄・瀧山の生涯

公開日:2023/11/13

大奥最後の御年寄・瀧山の生涯

✅ 瀧山は、江戸城の大奥最後の御年寄であり、16歳で入奥し、才能と勤勉さで異例の出世を果たしました。

✅ 瀧山は文化3年(1806年)に生まれ、化政文化と呼ばれる華やかな町人文化が花開いた時代を生き、激動の幕末を経験しました。

✅ 瀧山は御年寄として、将軍・家定に仕え、大奥を支え、幕末の混乱期においても最後まで職務を全うしました。

さらに読む ⇒サライ|小学館の雑誌『サライ』公式サイト出典/画像元: https://serai.jp/hobby/1160798

瀧山は聡明で、その才覚で異例の出世を遂げたのですね。

16歳で御年寄に昇進とは、相当なものでしょう。

将軍の母に命を狙われるというエピソードも、彼女の置かれた状況を物語っています。

1805年、四谷の旗本・大岡権左衛門の娘として生まれた瀧山は、14歳で叔母のつてで大奥に入り、13代将軍家定と14代将軍家茂の2代に仕えました。

聡明で優れた仕事ぶりから、16歳で御年寄という異例の地位に昇り詰め、将軍の母である実成院の乱痴気騒ぎを注意したことで、命を狙われる危機に晒されました

しかし、瀧山は辞職せず、大奥に残り続けました。

大奥での生活はストレスが溜まりがちでしたが、正室様や側室様たちからのお呼ばれや着物のお下がりなど、楽しい瞬間もありました。

16歳で御年寄ですか!ドラマチックですね!彼女の類まれな才能と、大奥という特殊な環境での立ち回りが興味深いです。命を狙われるほどの出来事があったとは、驚きです。

権力と責任

瀧山は将軍選びにどんな影響を与えた?

慶福を推して将軍に

慶喜を嫌悪し、女性への暴力に立ち向かった瀧山。

将軍の決定に影響を与えるほどの権力とは、想像をはるかに超えます。

彼女の決断は、大奥の行方を大きく左右しました。

慶喜に「手強い」と警戒された大奥の御年寄・瀧山~史実ではどんな女性だった?

公開日:2025/01/13

慶喜に「手強い」と警戒された大奥の御年寄・瀧山~史実ではどんな女性だった?

✅ 慶喜の将軍就任は大奥から強い反発を受け、特に瀧山は慶喜とその父・斉昭の愚行を目の当たりにしてきたことから、慶喜を嫌悪していた。

✅ 斉昭のマッチョイズムと女性の蔑視、そして慶喜の聡明さと美貌が、大奥の懸念を募らせ、瀧山は女性への暴力に断固立ち上がった勇気ある存在として描かれる。

✅ 瀧山は大奥の終焉を見守り、家茂の母である実成院の騒がしい性格を諫め、篤姫を支え、慶喜の正室・美賀子から贈り物を受け取ったのち、江戸開城前に大奥を退職し、静かな余生を送った。

さらに読む ⇒ページ出典/画像元: https://bushoojapan.com/jphistory/edo/2025/01/13/177966/2

家茂の死後も大奥に残ったということは、それだけ彼女の責任感が強かったということですね。

将軍不在の中、大奥の体制を維持するという重責を担った瀧山。

その覚悟に頭が下がります。

瀧山は、将軍の決定にまで影響を与えるほどの権力を持つ人物でした。

家定の死後、次の将軍を誰にするかという問題で、篤姫は一橋家の慶喜を、瀧山は紀州の慶福を推しました。

結果的に慶福が家茂として14代将軍となり、瀧山の推しが叶いました。

しかし、激動の幕末期、家茂は攘夷運動に対処するため上洛を繰り返し、1866年に大坂で病没します。

瀧山は、将軍不在の大奥を長年支え、家茂の死後も、15代将軍・慶喜が京都にいたため、江戸城が城主不在となる状況下、大奥の体制維持のために残りました。

権力を持つ女性というと、どうしても悪女のようなイメージを持っていましたが、瀧山はそうではないんですね。慶喜を嫌悪し、女性の権利を守ろうとしたというエピソードに、人間味を感じます。

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徳川慶喜を警戒させた大奥総取締・瀧山。激動の時代を生き抜き、子孫は今も。家系と権力、そして「手強い」女性の生涯を描く。