陰陽師の歴史と現代における役割とは?~陰陽道、安倍晴明、日本の歴史を紐解く~陰陽師の変遷と現代社会における陰陽道の再評価
日本の歴史を彩った陰陽師。本書は、陰陽道の起源から、国家官僚としての役割、安倍晴明の登場による変化、そして庶民への浸透までを鮮やかに紐解きます。戦国時代、江戸時代を経て、近代化の中で衰退しながらも、現代で再評価される陰陽道の軌跡を追体験。陰陽師ブームの背景や、その魅力に迫る一冊。
💡 陰陽師は、古代から日本の歴史において、占術や天文観測、祭祀などを通して政治的、社会的な役割を担ってきた。
💡 平安時代には、安倍晴明をはじめとする陰陽師が活躍し、陰陽道は貴族社会で高い評価を得ていた。
💡 近代化の中で陰陽道は一時的に衰退するも、現代では再評価され、陰陽師ブームが起きている。
それでは、陰陽師の歴史を古代から現代まで、その変遷と役割を追っていきましょう。
古代から平安時代初期 陰陽師の政治的役割
平安時代の陰陽師は何をしていた?
国家官僚としての役割
本日は、陰陽師の歴史と役割について深く掘り下げていきます。
まずは、陰陽師という言葉がどのように生まれ、どのような役割を担ってきたのかを見ていきましょう。

✅ 本書は、日本における陰陽師の歴史を、平安時代から明治時代まで、その変遷と役割を詳細に解説しています。
✅ 陰陽師は、単に鬼や怨霊を退治する魔術師ではなく、天体観測や占術、祭祀など、多岐にわたる知識と技術を駆使した専門家であり、時代とともにその役割を変化させてきたことがわかります。
✅ 平安時代の安倍晴明をはじめ、歴史上の著名な陰陽師たちの活動や思想、そして陰陽道の発展と衰退、現代における陰陽道への関心の高まりまで、興味深い内容が盛り込まれています。
さらに読む ⇒讀書共和國網路書店出典/画像元: https://www.bookrep.com.tw/?md=gwindex&cl=book&at=bookcontent&id=19713陰陽師は、単なる占い師ではなく、多岐にわたる知識と技術を持った専門家だったことがわかりますね。
政治的な役割も担っていたとは驚きです。
陰陽師は、日本の歴史において重要な役割を果たしてきました。
著者の斎藤英喜教授によると、陰陽道という用語は中国文献には確認されておらず、日本の平安時代中期以降の文献から登場したことがわかります。
さらに、陰陽道の萌芽は天武天皇の時代に始まったとされています。
平安時代初期には、陰陽師は天皇直属の機関である「陰陽寮」に所属する官人として、天体の動きで吉凶を占ったり、呪術を用いて邪気を払ったり、卜占を行ったりすることで、政治的な役割を担っていました。
現代でいうところの国家官僚だったのです。
なるほど、陰陽道って日本独自のものじゃないんですね! 天武天皇の時代から萌芽があったなんて、ますます興味深いです!
平安時代中期から室町時代 陰陽師の役割の変化と普及
陰陽道はどのように発展していったのか?
公から私へ変化
次に、平安時代中期から室町時代にかけての陰陽師の役割の変化と普及について見ていきましょう。
安倍晴明の存在が大きな転換点だったようですね。
公開日:2024/07/19

✅ 平安時代の天文博士である安倍晴明は、陰陽寮という国家機関に所属する公務員であり、占いや呪術、天文観測などを行っていた。
✅ 晴明は、当時の人々から優れた能力を持つ陰陽師として高く評価されており、貴族社会では預言者や呪術師として崇拝されていた。
✅ 晴明の死後、賀茂家と安倍家の間で陰陽師の地位を巡る争いが発生し、後世においては、賀茂保憲が陰陽師の模範として扱われるようになったことで、晴明は次第に忘れられていった。
さらに読む ⇒出典/画像元: https://www.nippon.com/hk/japan-topics/g02411/晴明公の死後、陰陽師の地位を巡る争いがあったとは、少し意外な話ですね。
権力争いは現代にも通じるものがあります。
平安時代中期には、賀茂忠行などの有名な陰陽師が登場し、陰陽道は発展しました。
カリスマ陰陽師・安倍晴明が登場したことで、陰陽師の役割は公から私へと変遷し、時の権力者への私的なアドバイスを行うようになります。
その後、源平合戦の時代の安倍泰親、室町時代の安倍有世など、各時代の陰陽師が活躍し、陰陽道は庶民生活にも馴染みのあるものになっていきました。
晴明さんがそんなにもすごい人だったんですね! 陰陽師って、どんどん身近になっていったんですね!
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戦国から現代まで、陰陽道の変遷を追う!陰陽師ブームのルーツや、歴史的役割をわかりやすく解説。知られざる陰陽道の魅力を解き明かす。